兄弟は重要人物と分からずに
天正十二年(1584年)二月二十八日
信濃国 某所
「兄上!そろそろ飛騨国との境ですな!」
「三七、まだ北信濃の者達は武田家が降伏した事を知らぬのだから、我々を攻撃してくる可能性が高い。油断するでないぞ?」
「それは勿論!ですが、源三郎の成した事があまりにも大きく、見事なので嬉しいのですよ」
「まあ、それは儂も同じじゃ!六三郎達の助けがあったとはいえ、あの武田を降伏させたのじゃから、なあ」
信忠と信孝が信長の命令で信濃国北部へ武田家が降伏した事を広める為に、飛騨国へ向かっていた。その道中、
「兄上、この城は武田の旗が」
「うむ。どうやらこの城には降伏した事が伝わってない様じゃな。背後を攻撃されても困るし、この城に降伏勧告をしてから、北信濃へ移動しよう。六三郎の真似事になるが、
矢文を送ろう!ここに本陣を置く!急ぎ準備せよ!文を書く準備も忘れるな!」
「「「「ははっ!」」」」
信忠達が降伏勧告を行なうと決めた城は小諸城。武田信繁の嫡男の信豊が城代を務めているが、
仁科盛信が叔父の信廉の死を知らなかった様に、信豊も信廉の死を知らないし、盛信が勝頼の名代として織田家に降伏した事も知らない
そして、城主が信豊である事、その信豊が甲斐国内で起きている事を知らない事を信忠と信孝も知らない
そんなお互いに、何も知らない中で、信忠は矢文を城内に射って、城側の反応を待つ事にした
小諸城内
「織田と徳川が攻めてくるぞ!あ奴らは、総勢五万にも及ぶ軍勢で、油断無く信濃国を東へ進んでいると聞く!この小諸城が抜かれたら、甲斐国まであっと言う間の距離じゃ!
それに、信濃国を守る武田家の城が高遠城だけになってしまう!気合いを入れて、織田と徳川を止めるぞ!」
「「「「ははっ!」」」」
叱咤する声の主は城主の武田典厩信豊。史実では織田家の甲州征伐で城を枕に自害しているが、この世界線では、現在のところ生きている
そんな信豊に
「殿!城の中に矢文が!」
「何処の誰からか分かるか?」
「送り主は申し訳ありませぬが、分かりませぬ!」
「ならば、読んで判断するか。どれ」
信豊は、そう言って矢文を読み出す。すると、
「はあっ!?」
思わず声が出た。しばらくして読み終えると、
「済まぬが、主だった者達を大広間へ集めてくれ。矢文の内容を聞かせたい、そして、皆の意見も聞きたい」
「は?ははっ!」
家臣は呆気に取られたが、直ぐに家臣わ集まる為に動きだした。そして、主だった者達が集まって、
「皆!織田と徳川が攻めてくるかもしれぬ時に済まぬ!実は、織田家の者から矢文が届いた!
その内容が、儂一人では判断して良いか分からぬ!だからこそ、皆の意見を聞きたい、今から読むから、読んだ後に意見を聞かせてくれ。
では、「こちらの城の城主の方へ、拙者は織田内府の嫡男の織田従四位上左近衛中将にございます。
現在、弟の神戸従五位下伊勢守と共に、北信濃征圧の為に進軍しております。最終的な目的は甲斐国の征圧、つまり甲斐源氏武田家を滅ぼす事ですが、
実は、ここ数日の間に風向きが変わり、武田家を滅ぼすのではなく、武田家、ひいては甲斐国を食い荒らす穴山を討伐する事が最終的な目的に変わりました
その、風向きが変わった理由の説明と、降伏勧告の為の話し合いをしたいと思い、矢文を送りました
一度、お考えくだされ。我々は城から東に半里程の距離に本陣を置いております。疑問に思われるのは当然ですので、
誰か家臣の方を派遣させて確認していただいても構いませぬ。織田家の黄色い旗が見えるので、分かりやすいかと思われますので、来てくだされ」と、あるが、皆の意見を聞かせてくれ!」
「織田の嫡男やその兄弟が、北信濃征圧の為に動く事をは分かりますが」
「我々と話し合いたいなど、信じられないのですが」
「だが、穴山が武田家中を荒らしている事を知っているとなると」
「そもそも、織田の嫡男はこの小諸城の城代が武田の一門の殿である事を知らずに矢文を送ってきた可能性も」
「だとしたら、何の為に矢文を送るのじゃ?」
「城を奪う為の罠なのでは?」
家臣達が意見を言い合うも、信豊は決断出来ずに居た。なので、
「皆の意見はどれも納得出来る。だからこそ、決断出来ぬ!しかし、武田家と甲斐国を食い荒らす穴山を討伐すると書いてあるのであれば、穴山を討伐する事以上に
武田家にとって大事な事を知っているのではないかと、儂は思うのじゃ。だからこそ、儂はこの者達の本陣に向かいたいと思う?」
「殿!危のうございます!」
「その様な事をせずに、城に呼びよせたらよいではないですか!」
「おやめくだされ!」
「皆の気持ちはありがたいが、儂の様な無位無官の者が、戦以外で出来る数少ない事は、これくらいしかない。
それに、この話し合いで武田家の現状がどうしようもないと、知る事が出来たなら、降伏して皆の命を助ける事も出来るじゃろう。だから、儂は行くぞ」
「ならば、拙者を護衛に」
「拙者も同じく!」
「拙者も!」
「拙者も!」
信豊が信忠達との話し合いで本陣に行く事を決めると、家臣達は護衛に立候補した
「皆、済まぬ」
こうして、現在の武田家において仁科盛信と同じくらい重要な人物との話し合いが決まった。




