当主の意地と愚者の思惑
「孫六、叔父、上、が」
信廉の訃報を聞いた勝頼は膝から崩れ落ちた
「「お館様」」
昌恒と貞胤は勝頼にかけより、肩を貸して、勝頼を立たせた
「惣右衛門と新之助、済まぬが、今日のうちに全ての準備を終えておいてくれ!」
「何か策があるのですか?」
「うむ。武田家の菩提寺である恵林寺に叔父上の亡骸を移動させて葬儀の準備をしている間に、御旗と楯無を偽物とすり替える」
「そ、その様な事をしたら」
「穴山達がお館様を攻撃する口実を与えてしまいます」
「確かにそうじゃろう。だが、穴山達とて、孫六叔父上が亡くなったその日に謀反を起こす程、阿呆ではないはずじゃ。
「そ、それでも、葬儀が終わった夜にでも攻撃してくる可能性は充分ありますぞ?」
「夜に攻撃してくるのなら、お主達が昼頃に逃げ出しておけば追いつかないであろう?それに数日前から動ける様にしておく。
それに、二人に御旗と楯無を持っていってもらいたい理由もあるのじゃ」
「「どの様な理由でしょうか?」」
「実は、儂が側室に産ませた子がたった一人の男児で、唯一の嫡男なのじゃ。名は虎次郎と言うのじゃが、五年前、妹の松が武田から出て行った時に、
一緒に連れて行かせた。その虎次郎に御旗と楯無を託したい、それが出来るのは、お主達しか居ないのじゃ!」
「そ、その様な理由が。しかしお館様!その虎次郎様は、どちらに居るか分かっておられるのですか?」
「奥方様と姫様を柴田家に託しても、その虎次郎様の居場所が分からない事には」
「松と共に織田家に居る」
「そ、それは誠ですか?」
「うむ。松は織田家嫡男の織田勘九郎に嫁入りし、二人が虎次郎を養育しているそうじゃ」
「あ、有り得ませぬ!普通、敵対勢力の嫡男は殺されるはず」
「儂もそう思うが、織田信長という男、恐らくではあるが虎次郎を神輿に、甲斐国を統治する正当性を主張するつもりなのじゃろう」
「その様な事をさせない為にも、織田徳川との戦に」
「惣右衛門、織田と武田の戦力が拮抗していたなら、織田信長も虎次郎を殺していたであろう。
だが、それをしなかった理由は、「武田はもはや虫の息、一捻りで滅ぼせる」と思ったからなのじゃろう
儂が武田家中をまとめられていたなら、その様な事は無かったのじゃが、それが出来なかったから、今に至っておる。惣右衛門、新之助。ここ迄言えば分かるであろう?
織田徳川の軍勢が穴山達も滅ぼした後、虎次郎を新たな武田の当主に据えた時、お主達やお主達の息子で虎次郎を支えてくれ!」
「「お館様」」
「儂は、甲斐国を統一した祖父と、領地を拡大し港を手にした父上の功績を潰した、愚か者じゃ。武田を滅亡に追い込んだ暗愚と呼ばれるじゃろう
だが、儂にも当主の意地がある。穴山達に実権を握らせぬ!権勢を振るわせぬ!穴山達が甲斐国を治めたら、間違いなく国が乱れ、民が苦しむ。その様な事はさせたくない!
その為にも、お主達が桜と勝を連れて行く事、御旗と楯無を持って虎次郎の元へ行く事が絶対に必須なのじゃ!」
「分かり、ました」
「お館、様の、命令、に、従い、ます」
「儂の様な、情けない、不甲斐ない男に仕え続けた事!誠に感謝する。それでは、準備に取り掛かってくれ!」
「「ははっ!」」
こうして勝頼は、昌恒と貞胤に全てを託した。一方、穴山達はと言うと、
「遂に、孫六様が死んだぞ!」
「彦六郎様、今日にでも襲撃しますか?」
「いや!流石に諏訪四郎を憎んでも、孫六様の葬儀の間は喪に伏すが、葬儀が終わったその日の夜に襲撃を決行する!」
「では、これで」
「ああ!儂は、先先代の武田家当主信虎公の孫であり、儂の子の勝之助は先代当主信玄公の孫じゃ!あんな、諏訪の者よりも家督継承の正当性は儂達にこそある!」
「そのとおりです!」
「彦六郎様と勝之助様が武田の当主として相応しい!」
「そうじゃあ!」
「諏訪四郎なぞ、亡き者にしてしまえ!」
「諏訪四郎と、その家族、更には諏訪四郎に従う者達の首を織田徳川に引き渡して、武田の当主として甲斐国の統治を認めてもらおうではないか!!」
信廉の死を悼むどころか喜んでいる様子で、誰に聞かれても構わないのか、大声で勝頼殺害計画を話していた。もはや、頭の中がお花畑状態だった
そんな両派閥の思惑が交差する中、信廉の葬儀が武田家の菩提寺の恵林寺で行なわれる日取りが決まった
天正十二年(1584年)二月十五日
甲斐国 恵林寺
「四郎様と彦六郎様、お二人が色々な感情を抱いているのは分かります。ですが、今日だけは孫六様の為に、その感情を胸の内に抑えてくださいませ」
恵林寺のトップの快川紹喜に葬儀開始前に忠告された二人だが、二人共返事は無く頭を下げるだけだった
不穏な空気の中、葬儀が始まった。恵林寺に殆どの武田家臣が集まっている中、勝頼から重要な役目を託された昌恒と貞胤は
「急げ!見つかれば、お主達も殺されてしまうぞ!」
「母上、辛いでしょうが、辛抱してくだされ!」
桜と勝、更に自分達の家族も連れて、甲斐国を抜けて、信濃国の中央まで来ていた。勝頼が穴山達からの「早く信廉の葬儀を行なうべき」と催促を
のらりくらりと交わしながら、二人の逃げる時間を稼いでいた為である。そんな状況なので、本来なら綺麗な着物を着てい桜と勝も、
「奥方様、姫様。汚れやすい召物で申し訳ありませぬ」
「ですが、怪しまれない為なので、ご勘弁を」
「惣右衛門殿、新之助殿。お二人のお気持ちは分かりますが、四郎様のこれからを思えば、大した事ありませぬ」
「そうです。父上は、父上は」
「ああ、申し訳ありませぬ」
「姫様、今泣かれては」
勝頼が自らを囮に自分達を逃してくれている現状に胸を痛めていた
そして、もう少しと言うところで
「貴様ら!怪しいのう、何処の者達じゃ?名を名乗れ!」
穴山に従う甲斐派の者達に見つかった。その数、およそ200人、
囲まれた昌恒と貞胤は
「新之助殿、お館様に命にかえてもお二人を守ると約束を交わしたのじゃ、こんな奴ら、斬り捨てようぞ!」
「惣右衛門殿、勿論じゃ!此奴ら全員を殺せば、この先は楽な道じゃ!参る!」
「そうりゃああ!」
昌恒と貞胤が同時に動き出して、敵を斬り捨てる。二人で五人殺したが、
ピーッ!
敵の一人が笛を吹くと、援軍が出てきた。援軍も合わせた総勢はおよそ500人、二人は万事休すと覚悟した、その時、
「かかれー!」
「「「「「おおお!!!!」」」」」
突如、周囲から怒声が聞こえて来た。昌恒と貞胤、そして敵ですら混乱している所に
「遅いわ!」
「何と弱い!」
「二人に対して百人以上で囲むとは!」
「何と情けない!」
「数以外は大した事がないな!」
赤に染め上げられた甲冑を来た武士達が現れて、敵をあっという間に斬り捨てていき、気がついたら敵は100人以下になっていた
その状況に敵の大将らしき者は
「くそ!退け!退くのじゃ!」
味方の者達をまとめて、その場から撤退した。何とか助かって、一息つけた昌恒と貞胤は無事達に御礼を言おうと、刀を納めて近づくと
「「ああ!」」
思わず叫んだ。何故なら
「お主、儂の弟の銀次郎ではないか!」
「新左衛門兄上!新左衛門兄上ではありませぬか!」
武士達の正体は、六三郎率いる赤備え達で、先陣と一番槍を争っていた銀次郎と新左衛門を先頭に、40人で敵の殆どを斬り捨てていたのだが、この様子を見ていた六三郎は
(今、銀次郎に弟と言って、新左衛門に兄上と言ってたけど、ま〜た訳ありな人か?俺は今回、源三郎様の護衛も兼ねているから、お世話とかやりたくないんだが?)
と呑気に構えていた。




