順調な織田徳川と暗雲漂う武田
天正十二年(1584年)一月二十七日
近江国 長浜城
「先ずは美濃国の岐阜城で勘九郎達と合流する!全軍出陣じゃあ!!」
「「「「「おおお!」」」」」
皆さんおはようございます。武田征伐へ出陣する織田軍の後ろの方に位置しております柴田六三郎です
織田軍の先陣を水野様と鬼武蔵こと森さんの軍勢が務めて、その後ろに滝川様の軍勢が位置して、中央に殿と馬廻りの皆さんが居て、そこから後ろに金森様も居て、最後尾と言っていいポジションに俺と赤備えの皆が居ます
総勢二万五千、俺と赤備えの皆は300以下なので、本当におまけみたいなものです。まあ、新三郎に無理をさせない為には、これくらいの立ち位置はありがたいです
しかも、この二万五千に勘九郎様の軍勢と家康の軍勢も参加するんですから、少なくとも四万五千前後の大軍になると予想してます。更に、その大軍に、
親父率いる北陸方面軍が参戦する可能性もあるわけだから、某アニメの人気キャラの言葉を借りるなら
「圧倒的ではないか、我が軍は」なわけですよ。そんな中で、俺達が武功を挙げる機会はほぼ無い!と思っております
まあ、明智十兵衛くんも参戦するけど、扱いは俺達と同じ感じでしょうから、のんびり出来そうです
六三郎がそんな呑気な事を考えながら、岐阜城を目指していた頃、徳川家では
天正十二年(1584年)二月三日
遠江国 浜松城
「皆!織田家の主力は安土城から出陣し、岐阜城で勘九郎殿の軍勢と合流してから、儂達と合流するわけじゃが、合流前に少しばかり働いておく!
具体的に言うと、遠江国から信濃国と美濃国の境を征圧しておく!新たな領地になるのだから、安心して領有出来る様にしておくぞ!出陣じゃあ!」
「「「「ははっ!」」」」
信濃国の西側を征圧する為に、浜松城から信濃国へ出陣していた。家康は、その事を事前に信長に文で伝えていた為、信長達の進軍速度はゆっくりだった
天正十二年(1584年)二月十日
美濃国 岐阜城
「勘九郎!待たせたな!」
「父上!思っていた以上に遅かったので、何かあったのかと心配しましたぞ?三七の軍勢の方が早く着きましたし、
明智家嫡男の十兵衛も待ちきれずに岐阜城に来ております。ゆっくりとした進軍速度は、やはり徳川様に花を持たせる為ですか?」
「はっはっは!勘九郎よ、心配する余裕があるか。大将として無理をしない心構えが出来ておるな!」
「父上、勘九郎兄上は気が気でなかったのですから」
「勘九郎も三七も、気が気でない状態であっても家臣達に狼狽えている様子を見せてない事、父は嬉しいぞ!それよりも、武田征伐について軍議を行なう!
二人は当然参加するとして、六三郎!お主も参加せよ!何かしらの常識外れな策でも良いから、提案してみせよ!」
「ははっ!」
六三郎はしっかりと返事をしたが。内心は
(いやいや!勘九郎様と三七様の軍勢を足したら三万を超えているんだから、数の暴力の力攻めで良いじゃないですか!俺の提案は必要ないと思うんですが?)
いつもの様に目立たず地味な場所に居たいと思っていた。しかし、六三郎以外の軍議に参加した全員が六三郎に期待していた
織田家と徳川家の双方共に、無理なく進軍していた。その様子を信濃国の家臣から聞いた武田家では
天正十二年(1584年)二月十日
甲斐国 躑躅ヶ崎館
「四郎殿!織田と徳川が甲斐国を目指して進軍していると報告があって、徳川は信濃国の西側を中心に征圧しているのですぞ?このままでは、信濃国を奪われてしまいますぞ?如何なさるのですか?」
「穴山殿!お館様は、報告を聞いて対策を考えている最中ですぞ!その様に急かしては」
「この様な状況だから急かしておるのじゃ!そもそも、四郎殿が高天神城を奪われて以降、武田は手詰まりなのじゃぞ!どうやって乾坤一擲の策を出すのかを聞くのは当然ではないか!
さあ!四郎殿!どの様に織田と徳川を撃退するのですか?お答えを聞かせていただきたく!」
相変わらず穴山信君が勝頼を馬鹿にした物言いをしていた。それでも勝頼は冷静に
「今、嫁の桜の実家の北条家に援軍要請の文を出しておる。北条の軍勢が到着したら」
「その様な不確定な援軍など、期待出来ぬ!そもそも、甲斐武田家だけで」
穴山が興奮してきた所に、信玄の弟で武田のまとめ役の信廉が間に入る
「待て待て彦六郎。お館様も現状で出来る策を選択したのじゃ。その様に言ってはならぬ」
「孫六様!四郎殿に甘すぎますぞ!」
「その、様、な、事、は」
穴山の言葉に反論しようとした信廉だったが、意識を失って倒れてしまった。
「「「「孫六様!」」」」
「医者を呼んで来い!早く!」
勝頼は家臣に医者を連れて来る様に命令した。現在の武田家の精神的支柱である信廉が倒れた事で、武田家中に暗雲が漂いだした




