殿の粋な計らい
天正十二年(1584年)一月十日
越前国 柴田家屋敷
「若様!織田様からの文です」
皆さんおはようございます。甲冑職人の金四郎さん達に、製作依頼を出したもののブラック企業みたいな事をしてしまったと思って、少し反省しております
柴田六三郎です。出陣する人数を増やさないといけないし、かと言って、色がバラバラだと分かりにくいので、全員まとめて赤備えにしてしまえ!
と言う安直な考えでブラック企業の様な依頼を出してしまいましたが、完成させてくれる事を祈りましょう
改めてですが、殿からの文を読みましょう
「え〜と。「六三郎!そろそろ出立の準備をしていると思うが、日程を考えると十五日か、十六日には越前国を出立する様に!そして、ここからか本題じゃが、
三吉の元服の儀を行なうならば、利兵衛と紫乃と道乃にも見せてやってくれと帰蝶から頼まれた。なので、安土城に来る時は、三人も連れて来い!」か
利兵衛!お主も紫乃も道乃も準備せよ!三吉の元服に立ち合ってよいと、殿からのご配慮じゃ!」
「若様の元服の儀でも立ち合わせてもらえたのに、三吉の時にも立ち合わせてもらえるとは、誠に感無量です。しかし、若様。三吉の師である水野様にも立ち合っていただきたいのですが」
「それもそうじゃな。分かった。水野様の立ち合いを殿にお頼みするとしよう!早馬を出しておく!」
天正十二年(1584年)一月十二日
近江国 安土城
「殿!柴田六三郎殿から早馬で文が届きました」
「ほう。早馬とは、急ぎの文と言う事か。どれ「殿へ。利兵衛達を三吉の元服の儀に立ち合う許可を与えていただきありがとうございます!
ですが、三吉の元服の儀にもう1人、三吉の師である水野様も立ち合わせていただきたく存じます。弟子である三吉の元服した姿を見たいただきたいと思いましたので、お許しいただきたく存じます」との事か、
確かにそうじゃな。弟子の元服した姿を見ない事には師として心残りじゃろうな。よし、六三郎の願いを叶えてやろう!
お蘭!水野藤四郎の立ち合いを許可する旨を書いた文を六三郎へ早馬で届けよ!」
「ははっ!」
信長は六三郎の頼みを聞く文を書いて、早馬で届ける事を決断した。そして、その日のうちに文を書いて、使者を出立させた
天正十二年(1584年)一月十三日
越前国 柴田家屋敷
「若様!織田様からの文です」
「もう来たのか。どれ。「六三郎!お主からの水野藤四郎を三吉の元服の儀に立ち合わせてくれとの頼みじゃが、許可する!
師が弟子の元服した姿を見ないと心残りであろうからな!そこでじゃ、藤四郎の軍勢も武田征伐に編成する!藤四郎に連れて行く者達を厳選しておく様に伝えておく様に」とあるな、水野様に伝えて、喜んでもらおう!」
俺は殿からの文を持って水野様の元へ行きまして、殿からの文を見せましたら
「殿がその様なご配慮を。しかも、武田征伐に参加させていただくとは」
水野様、大泣きしております。まあ、健康と言えど60歳になっていますから、次の戰が最期になるかもしれないという思いも混ざっているんだと思います
「六三郎殿。拙者の事も伝えていただき、忝い」
「水野様、実は利兵衛が最初に拙者に頼んで来たのです。三吉の師である水野様にも立ち合っていただきたいと」
「利兵衛殿が。誠に、儂は果報者じゃなあ。弟子や弟子の家族にも慕われておるとは。六三郎殿、儂にとって最期の戦になるかもしれぬ武田征伐は、出来るかぎりの人数を連れて行く!」
「水野様。それだけの気概があるならば、松千代殿が元服して初陣を迎える時でも、戦場に立っておりますよ。拙者の父上がそうである様に」
「はっはっは!権六殿を引き合いに出されたら、確かに隠居などと口に出せぬな!そうじゃな、松千代が元服して初陣を迎えるまでは戦場に立とうではないか!」
「ええ。その時に拙者が近くに居たら、補佐します」
「うむ!その時はよろしく頼む!それでは軍勢の編成を考えるから、六三郎殿」
「はい。それでは失礼します」
俺は水野様の部屋を後にした。殿と勘九郎様のいわゆる織田家の主力がどれだけの数が居るか分からないけど、数が多いに越した事はないからな
さて、殿へお礼の文を早馬で届けて、秀長さんにも小吉の事を書いた文を届けよう。どうせだから、智さんと弥助も連れて小吉の元服した姿を見せるか
あ、小吉の烏帽子親は秀長さんでいいけど、元服後の名前どうしよう?史実の秀勝だと、「柴田家の通字の勝の字を下に付けるなど不敬ではないか!」と、
言ってくる人が居そうだからなあ、でも、秀吉と秀長さんの一族だから秀の字は上に付けた方が良いとも思うし、これは秀長さんや寧々様と相談だな




