遂に到着した一行
天正十二年(1584年)一月五日
越前国 某所
「父上!流石にあの屋敷で間違いないでしょう!」
「待て待て源二郎よ。源三郎は母上を背負っているし、他の者達も疲れておるから走れぬ。あまり急かすな」
真田家一行は、前年の師走の五日に美濃国の明智家屋敷を出立してから、休みもほぼ取らないで、越前国を目指し。強行軍で睦月の五日に柴田家屋敷が見える場所まで来ていた
しかし、強行軍がたたり体力的に動けるのは信繁だけになっていたので、昌幸は
「源二郎!お主が門番に話をして来い!念の為、山県様からの文を持っていけ!」
「はい!」
信繁を使者に立てて、門番の前に行かせた。門番の前に来た信繁は
「御免!此方は柴田の鬼若子殿が居られる屋敷で間違いありませぬか?」
「そうじゃが、何用じゃ?」
「拙者、信濃国の小県から柴田の鬼若子殿に召し抱えていただきたいと思い、此方を目指して父上達と共に来た次第にございます!
父上達は疲れ果てて少しばかり、近くで休んでおりますので、拙者が代理で来ました!お話を柴田の鬼若子殿にお通ししていただきたく」
「仕官希望者と言うわけか。暫し待ってくれ。おーい、仕官希望者が来たから利兵衛殿と若様に伝えてくれ!」
「分かった。ちなみに、その仕官希望者の名は分かるか?」
「済まん!今、確認する。それで、お主の父の名は何と申す?」
「真田喜兵衛と申します!」
「さ、さ、真田!?それならば!」
門番は
「おい!仕官希望者は明智様から事前連絡が来ておった真田家一行じゃ!」
「それを早く言わぬか!」
慌てながら、屋敷内に大声で伝える。それから間もなく、
「喜兵衛殿の次男坊ではないか!信濃国からよくぞ越前国まで来たな!喜兵衛殿はどちらに居る?」
山県源四郎が出て来て対応する。源四郎を見た源二郎は
「父上達は、近くで休んでおりますが。あなた様は?」
「儂は、山県源四郎昌満じゃ!お主の父上の喜兵衛殿に儂の父、山県三郎兵衛慰から儂達兄妹以外に、
喜兵衛殿へ遺書とも取れる文を送っていた事は知っていたのじゃが、遂に決心したのじゃな!」
「は、はあ」
「お主は幼い頃に会っただけじゃから覚えてないのも仕方ないか。それより、若様!拙者が、源太郎の嫡男が産まれた日に話していた真田家一行です」
源四郎が六三郎を振り向きながら話したので、信繁も同じ向きを見て
「あ、あ、あなた様が柴田の鬼若子殿ですか?」
「まあ、何故かそう呼ばれておるな。柴田六三郎じゃ。信濃国から来たそうじゃな?明智殿から話は簡単にではあるが、聞いておる。総勢何人で来たのじゃ?」
「父上と母上と祖母様と兄上と拙者と弟妹と家臣や侍女も含めて三十名程です」
「三十名か。それくらいなら問題なく屋敷に入るな。源太郎、赤備えの皆を使い真田家一行を屋敷内に案内せよ!丁重にな!」
「ははっ!」
こうして真田家一行は、温かい場所で休む事が出来た。時間にして午前10時頃だった。そこから食事も出してもらって、身も心も落ち着いた約3時間後、
皆さんこんにちは。明智家嫡男の十兵衛殿から「真田家一行が俺に召し抱えてもらいたいみたいだから、越前国へ行かせたよ」の文のとおり、真田家一行が越前国に居る事に驚いております、柴田六三郎です
すっかり真田家の事を忘れておりました。大河ドラマだと、甲州征伐が始まる直前くらいに織田家に降った感じに描かれていたけど、武田家滅亡の後も北条、上杉、徳川を翻弄した、俺なんて足元にも及ばない
知恵が回る真田昌幸が俺の所に来るなんて、ねえ。まさかと思うが、俺の首を取りに来たのか?いや、だとしたら、家族総出でわざわざ信濃国から越前国に来るわけないか
だって未来で言ったら、長野県から福井県ですよ?車でもそこそこの時間がかかる距離を歩いて来たわけですから、生半可な覚悟ではないはずなんだよね
とりあえず、色んな話をしてみますか!戦国時代では親父の昌幸さんと、次男坊の信繁が超有名人だけど、
江戸時代では長男の信之が、有能で超健康だった事もあって、90代前半まで働かされるという嫌がらせを超えるレベルで働かされて、それでも不平不満を言わないで働いた、社畜のお手本みたいな人だったし、この3人の話なら、何か得られそうだしな
ただ、史実の上田合戦みたいに「この土地は自分達の土地だ!誰にも渡さないぞ!」みたいな頑固者だと、後々、殿や勘九郎様とぶつかりそうだなあ
それが俺に召し抱えられた後だと、俺が板挟みになって胃にダメージが来るからなあ。それは何とか避けたい!「そこそこの大きさの領地なら何処でも構いません!」と言ってくれるなら召し抱えるけど、
そうじゃなかったら、うん。ここから先は俺には対応出来ないから、親父か殿か勘九郎様に丸投げしよう!
そうと決めたら、チート武将一家と話し合いますか
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