徳川家からの文で父は大変な事に
天正十一年(1583年)三月三十日
近江国 安土城
「殿!徳川様からの文でございます!」
「ほう。二郎三郎め、思ったより早く決断出来たか。どれ、「三郎殿へ。此度の件、拙者に責任が無いと言ってくださり、誠にありがとうございます。
それだけに留まらず、藤十郎の首を要求せず、於古都の出家も止める配慮、誠に感謝しかありませぬ!
それに感謝して、三郎殿が六三郎殿と話し合い決めた条件を全て飲みます。一部の家臣は反対しておりましたが、その者達を先陣に入れる事で静かにさせます
最期に、差し出がましいかもしれませぬが、武田征伐を終えた後、甲斐国の土地改善に人員を多く出しますので、信濃国を領有したく存じます。何卒お願いします」
とあるが、信濃国をくれと言うあたりちゃっかりしておるのう。だが、上杉への睨みの為に信濃国は徳川家に領有してもらった方が良い。これで於古都姫の話は終わった事とするか
さて、六三郎に頼まれていた権六への文を書いておくか。お蘭!長浜城近くで露天風呂に入っていた時に六三郎が言っていた事を文に書いてあるか?」
「はい。此方に」
蘭丸が事前に書いていた文を信長に見せると
「うむ。この内容ならは、権六も六三郎を問いただすなどしないじゃろう!早速、権六に届けてやれ!
確か現在は、北陸のどこら辺を進軍しておった?越前と加賀は征圧を完了し終えたと聞いておったが」
「殿。北陸方面軍は越前、加賀を征圧し、能登もまもなく征圧出来るところまで来ていると半年程前に文が届いておりました」
「お蘭の言っているとおりに進軍しているならば、現在は越中に居ると見てよいか。よし、越中国に行き権六へ文を渡してまいれ!」
「ははっ!」
こうして勝家に六三郎の破談を知らせる文が届けられる事になったが、この文か原因で軽く一悶着が起きる事を信長は知らない
天正十一年(1583年)五月一日
越中国 某所
信長の予想通り、勝家率いる北陸方面軍は能登国を征圧し、越中国に進軍していた。この日は越中国南部を征圧して、本陣を片付けて更に進軍する予定だった
「越前国から進軍を開始したが、加賀国と能登国は比較的早めに征圧出来たな。総勢三万五千の軍勢じゃが、皆や、皆の家臣が油断なく働いている事、誠に感謝する!」
「親父殿。我々だけではないですぞ。親父殿の家臣の方々も中々の暴れっぷりではないですか!」
「又左の言うとおりですぞ親父殿!それに、親父殿が暴れている時の明智殿の采配も素晴らしいですからな!親父殿の倅の六三郎が「智勇兼備の名将」と評するだけありますなあ」
「佐々殿。そう言ってもらえて嬉しいかぎりですが、皆が率先して先陣を切るからこそ、家臣の方々の士気も高く、敵か怯えて動けない感じになっている事もあって、拙者の采配が奇跡的に上手く行っているのだと」
「又左も内蔵助も十兵衛も、全員が協力して働くからこそ、戦が上手くいっておるのじゃ。改めて感謝する!これより先は上杉の勢力が強い地域じゃ!気を引き締めてくれ!」
「「「ははっ!」」」
「さて、それでは進軍準備を」
勝家がそう言って床机から立ち上がると、
「柴田様!安土城の大殿からの文でございます!」
「儂に?まさか、殿の身に何か起きたのか?」
勝家は伝令の足軽から文を受け取る。そして目を通すと
「はあっ!!?」
と思わず大声を出してしまった。その様子に
「親父殿?何か良くない事でも?」
「親父殿!教えてくだされ!」
利家と成政は勝家に質問するが、京都警護で長く一緒だった光秀は
「柴田殿。六三郎殿の事が書いてあるのですな?」
と当ててみせた。勝家は
「その通りじゃ。内容を読み上げるから三人共、聞いてくれ。では「権六へ。北陸地方の征圧は順調に進んでおる様じゃな。皆をまとめあげる権六の武将としての器と統率力は、儂にとって変え難いものである!
体調に気をつけて役目に励んでくれ!そして、ここからがお主に伝えておきたい本題じゃ!
と言っても倅の六三郎の事なのじゃが、最初に喜ばしい事をやってのけた!実子か居ない事で危険な態度を取っていた藤吉郎に我が子を抱かせた!
しかも、正室の寧々との子で男児じゃ!夫婦になっておよそ二十年。子が出来ずに諦めていた時に、六三郎が指導して、お主の平時の暮らし振りをさせたり、
食事も作ってやるなどを藤吉郎と正室の寧々や側室達にさせた結果、今や藤吉郎は九人の子が産まれた。これで藤吉郎の危険な態度は無くなり、山陰地方を征圧する方面軍の総大将として役目に励んでおる
ちなみにじゃが、その藤吉郎は、弟で城代の小一郎に、六三郎と共に北近江で何か銭の種になる物を見つけろと命令したのだが、六三郎がやりよった!
長浜城近くに天然の湯が湧き出る水脈を見つけたぞ!六三郎や小一郎達で北近江に安い銭を払って入る風呂場を作る計画を進めておる!その中に六三郎が命名した露天風呂というものがあるが、あれは良き物じゃ!
詳しく説明したいが、これは体感しないと理解出来ぬであろうから、北陸地方を征圧し終えたら、長浜城に来たら良い
話か逸れたから、本筋に戻そう。六三郎に残念な事が起きた。簡単に言うと、徳川家の於古都姫と破談になった。細かい事は徳川家の事もあるから文には書かぬ、そして聞かないでやってくれ!
まあ、要は正室候補が居なくなっただけじゃ。側室に道乃が決まっておるのじゃから、正室は後からゆっくり探せば良いと、儂は思う。この事で六三郎を叱責するでないぞ?
儂が伝えたかった事は以上じゃ。改めて、体調に気をつけて北陸地方の征圧に励んでくれ」とある。
藤吉郎に子を抱かせてやる為に、儂の平時の暮らし振りで身体を鍛えさせて、食事も作ってやるとは
まあ、市に叱責を受けているだろうが、儂くらいは六三郎を誉めてやろう。皆もそう思わぬか?」
勝家がそう言いながら三人を見ると
「親父殿!儂とまつの間には歳頃の娘が五人居るのじゃが、六三郎の正室にもらってくださらぬか?」
「待たんか又左!親父殿、儂は前の嫁との間に歳頃の娘もおるし、兄の孫娘も居るのじゃが六三郎の正室にもらっていただきたいのですが」
「お二人共!それなら拙者も!柴田殿!拙者は歳頃の娘が一人居ます!六三郎殿の正室に是非とも!」
全員、「娘を六三郎の正室に!」と猛アピールしてきた。勝家は三人の圧に驚きながらも、
「三人共!その話は北陸地方の征圧が終わったら真剣に考えるから!一旦保留にしておいてくれ!」
三人は一応納得したが、
「「「娘を六三郎殿の元に行かせて、中を深めてもよろしいですか?」」」
と言って来たので、勝家は
「それくらいは良い。だから、今は戦に集中してくれ」
と言って、この話を終わらせた。
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