大混乱の徳川家
天正十一年(1583年)二月三日
遠江国 浜松城近く
「藤十郎!!貴様の首を殿の御前にお出しして、儂も腹を切る!だから逃げずに首を出せ!!」
「拙者は何もしておりませぬ!お願いですから、刀を納めてくだされ!父上!」
「たわけ!!於古都様をたぶらかした時点で貴様は許されぬ身じゃあ!許されたくば首を殿に差し出せ!」
「だから拙者は何もしておりませぬと!」
「ええいちょこまかと逃げ回りおって!刀ではなく槍で叩きのめしてくれようぞ!おい!槍を持ってまいれ!」
「ははっ!」
「槍を渡すなあ!」
六三郎が過労で三日間寝ていた頃、徳川家では於古都の問題で右往左往していた。浜松城近くの水野家の領地では、藤十郎の父の藤兵衛が、息子の罪で水野家が改易にならない為に、
藤十郎の首を取って家康の前に差し出し、自身も切腹する事で家康から許してもらい、水野家の改易だけは免れようとして、藤十郎を追いかけていた
そして、遂に藤十郎は捕まった。縄で縛られた状態で藤兵衛の前に連れて来られると
「藤十郎。お主が許婚のいる姫君をたぶらかす阿呆に育てたのは儂の責任じゃ!じゃが安心せい!お主を殺した後で儂も後を追う!だから首を出せ!」
「ち、父上!おやめくだされ」
藤兵衛が刀を持ち上げ、一気に振り下ろそうとした時、
「やめんか!」
後ろから声が聞こえて、藤兵衛が振り返ると
「殿!」
家康が立っていた。家康に気づいた藤兵衛は
「殿!此度、倅が於古都様をたぶらかした罪、倅の首を差し出した後に、拙者が切腹する事でどうかお許しいただきたく存じます!今から倅の首を」
「だからそれをやめんか!!」
「し、しかし」
「藤兵衛!お主の気持ちは分からんでもない。だがな、先程三郎殿から、この件について文が届いた」
「織田様は何と仰っているのですか?」
「何とも難しい内容じゃ。何故なら「この件の最終判断は六三郎本人に委ねる」とある。つまり、六三郎殿本人が「藤十郎の首を出せ!」と言うのであれば、
出すしかないが、当人の六三郎殿から何も音沙汰が無い。だからこそ今は藤十郎の首を斬るのはやめんかと言っておるのじゃ」
「殿がそう仰るなら従います」
「そもそも藤兵衛。藤十郎は於古都に手を出した訳ではない。於古都が「藤十郎の嫁になる」と勝手に言っておるだけじゃ。だから、今は首を斬るなど考えるな。縄を解いてやれ」
「ははっ」
こうして藤十郎何とか死なずに済んだ。縄を解かれた藤十郎は何度も家康に頭を下げた。その後、解散して家康は浜松城に戻った。浜松城内では
「於古都!あなたの行ないは徳川家と織田家の関係を壊すかもしれないのですよ!それだけでなく、六三郎様にお世話になっておきながら!」
古茶が於古都を叱っていた。それでも於古都は
「母上!確かに六三郎様に感謝はしております!ですが、母上が勝手に決めた許婚など嫌です!六三郎様は兄の様な存在で、遠いお人です。ですが藤十郎様は
近くに居てくれて、私や兄上に優しく接してくださるのです!だから!」
自分の意見を曲げなかった。
「於古都!」
「母上!話が終わりなのでしたら、私は部屋に戻ります!」
古茶の言葉も聞かずに於古都は部屋に戻って行った。全く話を聞く様子の無い於古都に古茶は、
「私の言葉も聞いてくれないとは。もう殿にお頼みするしか」
打つ手無しの状況に、家康に対応してもらう事に決めた。しかし家康は家康で家臣達の取りまとめに苦労していた、
「そもそも!殿の娘である於古都様が、織田様の男児に嫁ぐならまだしも、家臣の倅に嫁ぐ事が間違っておったのじゃ!このまま水野家の藤十郎に嫁がせた方が良い!」
「お主は何も分かっておらぬ!於大様と古茶様が頼み込む程の傑物で、父の柴田殿の再婚相手は織田様の妹君なのじゃぞ!
言わば、織田家の一門に入った者の許婚を藤十郎は奪ってしまったのじゃぞ!事と次第によっては、織田家と戦になる可能性や、領地を削減される可能性も有るのだぞ?冷静になって考えよ!」
「男女の問題で戦を仕掛けてくるならば、返り討ちにしたら良いではないか!」
「お主は阿呆か!畿内の全て、北陸、山陽、山陰の半分を征圧した織田家と、三河国、遠江国、駿河国、そして信濃国の一部を有している徳川家では戦力に差が有りすぎる!まともな戦になると思うのか!」
「戦は数だけでは決まらぬ!」
家臣団でも意見が割れていたからで、於古都を信長の息子以外に嫁がせるくらいなら藤十郎に嫁がせた方が良いという者達と、
織田家との関係を守る為に於古都をそのまま六三郎に嫁がせた方が良いという者達で議論が平行線だったからだ
家康はどちらの意見も納得出来るが、どちらも決定打に欠けている為、判断をくだせずにいた。なので、
「どちらの意見も納得出来るが、三郎殿は「最終判断は六三郎に委ねる」と言っている。だから六三郎殿に委ねるしかない!しかし当人の六三郎殿から何も音沙汰が無いのは」
「殿!その若造は調子に乗っているのです!「柴田の鬼若子」と大層な二つ名で呼ばれている割に、出陣した戦はたったの二回だけの若造は、於古都様の婿に相応しくありませぬ!」
「お主は徳川家どころか岡崎の三郎様達も六三郎殿に何度も世話になっている事を忘れたのか!殿は律儀者として知られておるのに、世話になった恩を返さないままでは、殿が孤立してしまうではないか!」
「静かにせんか!!」
「「殿」」
「先程も言ったが、最終判断は六三郎殿に委ねられた。その六三郎殿が何も言わない以上、我々は待つしかない!それまでは短慮を起こすでない!
この話は六三郎殿が何か言ってくるまでは保留とする!だからいつも通りに過ごせ!良いな!」
「「「「ははっ!」」」」
こうして議論は強制的に終了した。家臣が全員帰った後、家康は
「戦でも政でもない事でこれ程に頭と胃を痛めるとはのう。息子だったら言う事を聞かなければ遠くに行かせる事も出来るが、娘であるし、母上も五月蝿いからのう。六三郎殿、早く返答を聞かせてくれ」
対応に苦しみながら、六三郎の返答をを待っていた。