賭ける価値
天正九年(1581年)二月二十日
近江国 長浜城
「皆!出陣準備は完了しておるな!?」
「「「ははっ!」」」
「山陰は寒い!身体を温める物は多めに持って行け!」
「「「ははっ!」」」
六三郎が父勝家の平時の暮らし振りをまとめて、清正達に教えた数日後、秀吉は山陰方面軍の総大将として出陣準備を進めていた。
信長からの領地加増のお墨付きと、本願寺との戦で途中離脱した事による後ろめたさから来るものなのか、秀吉は軍勢の編成を急いで終えて、直ぐにでも出陣出来る様にしていた
そんな最中、信長経由で六三郎からの文が届く
「殿!安土城の大殿からの文でございます!」
「何事じゃ?何やら厚めの様じゃが」
秀吉は疑問を持ちながらも、文を開いて読みだす
「筑前へ。お主の事じゃ、文が届いておる頃には出陣出来る状態であろう。だが少しばかり、出陣を遅らせて、この文を読んでもらいたい
お主にとっては信じられぬ話ではあるが、内蔵助が一年半程前に新しい嫁をもらった。それだけでなく、前月に嫡男も産まれた」
そこまで読むと秀吉は、
「何じゃあ!殿は、儂に子が出来ぬ事を憐れんでおるのか!?それとも馬鹿にしておるのか!?織田家の為に三十年も身を粉にして働いて来たのに!」
と、怒りから文を投げ捨てた。それを秀長が拾うと、ある事に気づく
「兄上。大殿は兄上を憐れんだり、馬鹿にしているわけではなさそうですぞ?」
「小一郎!何を言っておる?」
「大殿は、まだ文を二つも残しております。全てを読んでから大殿が兄上を憐れんだりしているのかを判断しても良いのでは?」
「仕方ないのう。持ってまいれ」
秀長から残りの文を受け取った秀吉は、そのうちのひとつを読み始める
「だが、新しい嫁が若いからと言って簡単に子が産まれたわけではない!知ってのとおり、内蔵助はお主と同い年じゃ。前の嫁との子は若い時の子であるが、
六年前の武田との戦で嫡男は討死し、前の嫁は八年前に亡くなった事から、家督は娘の婿養子に継がせるつもりだったが、ある事を頑張っていたら、見事に嫡男が産まれた」
此処で2枚目の文が終わると秀吉は、
「小一郎!三枚目を早う持ってまいれ!続きが早う見たい!」
「兄上。こちらです」
秀長を急がして三枚目を受け取り、読み出した
「内蔵助が頑張った事とは、身体を鍛える事と食事に気をつける事じゃ。その内容を詳しく知りたいとお主が思うのであれば詳しい者を、長浜城へ派遣させる!
まだ、お主が我が子を諦めておらぬのであれば、出陣を遅らせて構わぬ!賭ける価値を見出したならば、安土城に文を寄越せ」
最期の文を読んだ秀吉は、泣いていた
「うう、ううう。殿、殿!殿は、儂の血筋の為に、そこまで心配や配慮をしてくださるとは!疑って、申し訳ありませぬ!!」
泣いている秀吉に対して秀長は、
「兄上。安土城に詳しい者の派遣の文を書く準備は整っておりますぞ」
文を書く準備を進めていた。それに秀吉は、
「流石小一郎じゃ!手際が良い!急ぎ文を書く!出陣は取りやめじゃ!殿も出陣を遅らせて良いと言っておられる!これは金ヶ崎以来の人生を賭けた勝負じゃ!
皆、儂のわがままで準備をしたり、取りやめたりして済まぬ!だが、我が子が産まれたならばと考えると!」
秀吉はそう言いながら、家臣達に頭を下げた。家臣達は仕方ないか。みたいな感じでそれぞれの屋敷や部屋に戻っていった
同日夜
「寧々!寧々!まだ起きておるか!?」
「何ですかお前様?こんな夜中に大声で」
秀吉は正室の寧々の部屋に駆け込んでいた
「大声も出るものじゃ!これを見てくれ!殿からの文なのじゃが、儂に子が出来るかもしれぬと!」
「それは誠ですか?」
「この三枚の文を見てくれ!」
そう言って秀吉は寧々に文を渡した。読み終えた寧々は
「お前様。確かに同い年の佐々殿が子を授かったとされるのならば可能性は有りますが、絶対ではないのですよ?」
「それは分かっておる!だが、最早我が子を諦めていた時に、実例が有るのであれば儂はそれに賭けたい!」
秀吉の真剣な顔に寧々は、
「分かりました。私も出来るかぎり協力します」
「寧々!ありがとう!」
こうして秀吉の悲願、我が子の誕生の為に羽柴家中はまとまった
天正九年(1581年)二月二十六日
近江国 安土城
「殿!羽柴殿からの文でございます」
「うむ。予想より早くに来たな。どれ
「殿へ。拙者の為に、此処まで考えていただいた事、誠に!誠に!感謝の念しかありませぬ!誠に勝手ながら、殿のお言葉に甘え、出陣を遅らせていただきます
そして、是非とも内蔵助の頑張った事に詳しいお人を。長浜城へ派遣していただきたく存じます!」とあるが、
猿の奴め、賭ける価値のあるものと判断した様じゃな。ならば、長浜城へ六三郎と赤備え数人を派遣せよ!市には恨まれるかもしれぬが、儂には市の個人的感情よりも、
乱れた日の本を統一し、南蛮に負けぬ国を作るという優先すべき事がある!その為に猿は必要な人間じゃ!
お蘭!大和国に居る六三郎へ文を書け!「近々、迎えの者がある所へ案内するから、黙ってそこに行け」と!
六三郎が天下を見る目があるならば、命令を聞いて長浜城へ行くだろうな」
何やら過度な期待を六三郎はされていた。




