主君は良かれと思った結果
天正四年(1576年)十二月二十八日
美濃国 岐阜城にて
「五郎左!戻って来たぞ!」
「殿。お帰りなさいませ」
柴田家の領地に行っていた信長は、本音はもう少し居たかったが、正室の帰蝶を始めとする面々から、
「雪で動けなくなる前に戻るべきだ」と言われて、渋々岐阜城に戻って来た。そんな信長に長秀は
「殿。満足そうな顔をしておりますが、目的は達成出来たと見て良いのですか?」
「うむ。武田の内情を可能な限り聞いて来たが、武田家中は信玄坊主の死後、一時的にまとまっていたが、
今では内紛が起きる寸前と言ってよい程、家中が割れておる。そして四郎勝頼は家中をまとめるのではなく、
内紛に勝利する為に、恐らく全ての領地に重税を課しておる。これは武田の滅亡まで十年も無いであろう」
「では、本願寺が片付いたら」
「うむ。本願寺を屈服させたら武田に引導を渡す。もっとも、今すぐは出来ぬ。武田が大きな動きを見せない限りは、本願寺に集中じゃ」
「ははっ」
「それとじゃ五郎左。権六の領地に行ったら、六三郎の家臣の嫁が出産したのじゃが、権六の末の娘も産まれた事で、一年に二人も子が産まれるとは、
誠にめでたい!五郎左。お主の倅は、今年で六歳じゃから、まだ先の話じゃが、元服しておる子を持つ者や、
子が未だ居ない者に子作りに励む様に文を書こうと思うが五郎左、子が居ない者は誰が居たか分かるか?」
「拙者の覚えている者達ですと、内蔵助、又左の倅の孫四郎、それから藤吉郎でございます」
「ふむ。内蔵助に関しては、数年前に嫁が死んでしまったからな。嫁も居ないのに子作りに励む事は不可能じゃ、同じ事は犬の倅にも言えるな
ならば猿だけになるか。そもそもあ奴は、側室がそれなりの数が居るのに子が居ないのは何故じゃ?」
「殿。人間の身体は個人差が有ります、権六の様に五十歳を超えているのに、あっという間に子を持つことが出来る者も居ると同時に、
藤吉郎の様に嫁をもらっても十年以上子が出来ない者も居ります。なので、そこを叱責するのは」
「何故じゃ五郎左?権六は還暦間近なのに子が出来たのに、猿の方が権六より十以上若いのだぞ!それで子が出来ぬのは怠慢ではないのか?」
「殿。拙者がそうであった様に、子が出来る出来ないは運もあります。更に言うならば、子が出来やすい家系、子が出来にくい家系まであります。
これでもし、しっかりと働いて結果を出している藤吉郎が、子が居ない事で殿から叱責を受けたなら、
「自分はこれ程織田家の為に働いているのに、何故、お役目以外の事で叱責されなければならないのか」と
思う様になったなら、出奔する可能性も出てきます。本願寺相手に佐久間殿が役に立たない今、藤吉郎が居ないと、
織田家に不利な戦況になってしまいます。なので」
「ええい!分かった分かった!この事は何も言わないでおく」
「有り難き。殿、その藤吉郎ですが、この二年、本願寺と対峙したままなので、一度領地に戻して気持ちを入れ替えさせてはいかがでしょうか?
権六と十兵衛の軍勢も併せたら、佐久間殿の軍勢が役に立たなくとも、本願寺を囲むだけならば、
来年から始まる北陸道の進軍に影響も無いと思いますが」
「ふむ。それもそうじゃな。佐久間と違い、猿や家臣達は働いておる。たまには領地に戻してやるか。
弥生の間中までは休ませてやろう。うむ、結果を出しておるし、分からぬ事を聞いてくる者には良き対応をしてやらねばな
よし!お蘭。本願寺と対峙しておる猿に文を出すぞ、儂と五郎左が話しておった、休ませる部分をしっかりと書いておけ」
「ははっ」
こうして、秀吉達の一時帰還が決まった
天正五年(1577年)一月十五日
近江国 長浜城にて
「久しぶりの我が家じゃあ。小一郎!しっかりと休もうぞ!佐吉や虎之助達のおかげで領内の銭と年貢米の回収は問題無いのじゃから、
儂が出ないといけない事が無いかぎり、呼ぶでないぞ。おっ母の飯を食って寝る日々の後、再度本願寺に向かう」
「それは良い考えだと思います。そういえば兄上、虎之助の母君の件、そろそろ会わせてやっても良いのでは?」
「それもそうじゃな!儂や小一郎が母の作る飯を食っておるのに、虎之助は駄目とは言えぬしな。
うむ!殿を経由して、柴田家に文を渡してもらおう!」
秀吉が信長経由で六三郎へ文を届けて5日後、
天正五年(1577年)一月二十五日
美濃国 柴田家屋敷にて
「若様。織田様からの文です」
「父上に何かあったのか?どれ」
六三郎は文を読みだすと
「ああ。あの件か」
「若様。あの件とは?」
「利兵衛、伊都殿を呼んでくれ。伊都殿に関わる事じゃ」
「ははっ」
六三郎に命令された利兵衛は伊都を連れて来た、そして、
「若様。何かありましたでしょうか?」
「うむ。伊都殿。簡潔に伝えるが、羽柴様が領地に戻ってしばらくの間、休むそうじゃ。そのついでみたいな感じではあるが、
虎之助殿を伊都殿に会わせてやってくれと、羽柴様が殿経由で文を送って来たのじゃ」
「で、では若様」
「うむ。虎之助殿が来月には此方に来るそうじゃ。来たら、久しぶりの親子水入らずを過ごしなされ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
こうして、清正の柴田家来訪が決まった。