役目に戻る父
天正四年(1576年)八月一日
山城国 某所にて
「十兵衛。嫁と子達の側に居てやれた事、誠に感謝しかない。何かあったら儂に言ってくれ」
「はっはっは。柴田殿。新しい子に出会えて嬉しそうな顔をしておるのですから、その顔を見ただけでも、
戻らせて良かったと思います。まあ、拙者の家に慶事が起きた時は、柴田殿へ少々負担をお願いする事になりますが」
「その時は喜んで負担を請け負う。だから十兵衛。遠慮なく言ってくれ」
「その時はお願いしましょう」
「うむ。ところで話は変わるが十兵衛よ。実はな、儂はほぼ確定と言ってよいが、お主も、と言うよりもお主に是非とも共に役目に就いて欲しい」
「どういう事でしょうか?」
「お主も耳にしておると思うが、越前国の混乱の件じゃ」
「ああ。朝倉旧臣の者達の内紛に一向衆が助力して、その結果、一向衆が越前国で権勢を奮っている話ですな。それと柴田殿と拙者がどの様に繋がるのですか?」
「うむ。近々、殿からお話が来ると思うが、戦果次第になるが越前国の混乱を終息させたら、儂は越前国の大部分、もしくは越前国を丸々頂戴するかもしれぬ。
そして、そのまま上杉にあたる北陸方面軍の総大将に就任する可能性が高い」
「それはそれは。厳しい戦になると思いますが、重要な役目ではないですか」
「うむ。それでな殿から軍勢の編成も考える様に内々で言われておったのじゃが、儂は最初に与力として又左と内蔵助が出て来てしまう。
そこで倅に三人目の与力は誰が良いかを聞いてみたのじゃがな、十兵衛。倅はお主を与力に。いや、むしろ絶対与力として加わって欲しい。と、言っておったのじゃ」
「拙者を柴田殿の与力に絶対欲しいとは。六三郎殿は、どの様な理由でその様に言っていたのですか?」
「うむ。倅曰く、儂は戦で危険な場所や、味方が窮地に陥っている場所があったら自ら其処に行くが、儂が危険な場所や味方を助けに行った時に儂の代わりに采を振る事が出来る者が居た方が良いと。
そしてそれが、十兵衛との事じゃ。倅は智勇兼備で広い視野を持つ十兵衛を絶対に与力にすべきと言っておるのじゃが」
「それはそれは。柴田の鬼若子と呼ばれる六三郎殿にそこまで言われるとは、嬉しいですな」
「そう思ってくれて儂としてもありがたい。それに倅が、儂の思っていた事を当てたのじゃがな、最初儂は三人目の与力に藤吉郎を考えておった」
「羽柴殿をですか?それは何故?」
「藤吉郎も儂や十兵衛と同じく大軍を動かせる大将だと思っておる。だが、倅は藤吉郎の出自のせいで、
命令を拒否する者が与力から出ると言っておる。そうなっては、儂が一人で細かい策やら何やらを考えないといけない上に、先程の儂が危険な場所に行った場合、
軍勢をまとめる者が居らぬから、そうなった場合の与力として倅は十兵衛を強く進めておるのじゃ」
「確かに六三郎殿の言うとおりですな。総大将の柴田殿が前線の、しかも危険な場所に行ったとなれば、
代わりに采を振る者が居ないと軍勢が崩壊しますし、羽柴殿の出自のせいで命令を聞かない人も出る可能性は高いかと」
「だからこそ六三郎は、十兵衛を与力にすべき!と、言っておるのじゃろう!儂としては、十兵衛に与力になって欲しい」
「分かりました。柴田殿が北陸方面軍の軍勢を編成する権限を持っていたら、拙者を与力に入れてくだされ」
「済まぬ。殿との話し合い次第だが、上杉は軍神と評される程の戦上手じゃ。儂の知恵や軍略では不安しかなかったが、十兵衛を与力に出来たなら、きっと不安も減るじゃろう」
「そう言ってもらえるのは嬉しい限り。ところで柴田殿。新たな子は男児でしたか、女児でしたか?」
「女児であった。これで娘が四人じゃ。産まれたばかりの娘を見た時、六三郎が産まれた日を思い出したわ。
あの時はまだ、神童だの鬼若子だのと呼ばれる様な常識外れな子になるとは思わなかったのだがなあ」
「まあまあ柴田殿。子は親の思ったとおりに育たないのが常ですから。拙者の娘の珠なんて、お転婆過ぎて「顔は美しいが、中身は武士だ」などと言われた事もありましたから」
「儂の末の娘もそうなりそうじゃな。既に上の娘達は六三郎の家臣の赤備え達と毎日走っておるし、屋敷内にある鍛錬場では長刀を振っておるし」
「屋敷内に鍛錬場とは。柴田殿の屋敷では、何処でも身体を鍛えられますな」
「鍛錬場を作らせたのは、儂ではなく倅じゃ。倅曰く赤備え達が雨でも鍛えられる様に。との配慮だそうじゃ」
「成程。拙者も領地に戻る時は、その様な場所を作らせましょうかな。むしろ一度、六三郎殿の家臣の赤備え達と合同訓練をしてみたいですな」
「それも良いな。そうじゃ十兵衛。これはあくまで儂の提案なのじゃが、現在の儂の領地を殿は、任せられる後任の者が見つからないと仰っていたが
十兵衛!儂はお主を後任に推挙してみようと思う。お主は確か元々、美濃国の生まれであったな。
儂の今の領地は、信濃国との境にあるが、武田への睨みの役目もある。十兵衛ならば適任だと思うが」
「推挙していただくのはありがたいですが、殿が決める事なので、後任になれるかどうかは」
「殿次第なのは分かっておる。あくまで推挙じゃ」
「まあ、それならば」
「それとじゃ十兵衛。領地に戻る前にお主が儂に言っていた再婚の話や新たな子をもうける事を極力話すな。と言っていた事を六三郎に聞いてみたのじゃが」
「どの様な事を言っていたのですか?」
「うむ。儂の話を聞いて十年以上、子が出来ない者は殺意を覚えるかもしれぬ。と言っておった。
倅曰く「口は災いの元」とも。幸せ自慢は嫉妬や妬みを抱き、やがて憎しみになり最期は殺意になると」
「それは少々大袈裟に聞こえますが、実際はそのとおりですぞ。柴田殿の場合は、美しい奥方であるお市様が居て、六三郎殿と娘達。更に言うなら末の娘は、
お市様との子。羽柴殿からしたら、自らが欲している物を全て柴田殿は手にしているのですから
知られた場合、良くない心情になるでしょうから、六三郎殿の言うとおり、言わない方が自身の為、家族の為です」
「うむ。聞いてくれて忝い!そろそろ藤吉郎が引き継ぎに来るじゃろうから、行こうではないか」
「ええ。参りましょう」
勝家は六三郎と話した事を光秀に伝えると、少し気分が軽くなった。