兄弟が思いの丈を出した後
「2人共。辛い事を思い出させて済まぬ。だが、今ならば山県殿が、この文を書いた理由が分かるな?」
「はい。父を止められなくて済まない。と言う後悔が感じられました」
「そして、もし自身の子達が、武田を出奔して柴田家に来た場合召し抱えてくれ。と、武田がこの先、強大な家になる事は無いと、暗に言っている様です」
「うむ。儂もその様に感じたし、殿からも概ね読み取れておるとも言われた。そこまで理解した2人に改めて言っておく。
儂は山県殿の子達がその身ひとつで来て、立場が下から仕え始めでも構わないと本人が納得したなら召し抱えるぞ」
「若様がお決めになられたならば、従います」
「兄上?山県の子ですぞ。そんな」
「源次郎。お主は若様から言われておらぬかもしれぬが、若様は儂が岩村城に佐野様の首と甲冑を持っていく前日に、こう言われた
「親の罪を子に被せてはならぬ」と。この事を忘れて山県の子達を殺してしまえば、儂は若様を裏切った事になってしまう、
儂は、その様な事は出来ぬ!それに、かつて敵だった儂達が若様のお心に惚れた様に、山県の子達も、余程の阿呆でない限り、若様のお心に惚れるじゃろう
だから源次郎。山県の子達が召し抱えられたなら、最初は複雑な気持ちかもしれぬが、少しずつ、いや、微々たる程度でも構わぬ。
母上の事を忘れろとも言わぬ。若様に仕える者同士として、接していこうではないか」
「分かりました」
うん。何とか暴れないでくれたか。山県殿の子供が来るかは分からないけど、来たら色々聞いてみるか。
「源太郎。源次郎」
「「はっ」」
「これは利兵衛にしか話してなかったが、今のお主達なら話しても大丈夫と思ったから話すが、
儂に男児が3人居たら、長男は利兵衛に、次男は源太郎に、三男は源次郎に傅役を任せたいと思う。
まだまた先の話ではあるが、その時が来たら頼むぞ。そして、光と花、源太郎と源次郎をこれからも支えてやってくれ」
「「「「はい」」」」
「うむ。夜も遅くに済まない。戻って休んでくれ」
こうして俺は4人を帰した。とりあえず、山県殿の願いは叶えたぞ。後は、どうなるかは本人達次第だ。
天正四年(1576年)三月一日
駿河国 江尻城内にて
「ご城代。お館様からでございます」
「うむ。どれ」
「ご城代」と呼ばれた武士の名は山県源四郎昌満。長篠•設楽原の戦いで討死した名将、山県三郎兵衛慰昌景の嫡男である。
その昌満は、主君の勝頼から、父の昌景が城代を務めていた江尻城の城代を引き継ぐ様に命令されて、その立場に居るが、勝頼からの文に顔が曇る
「また、同じ内容じゃろうな」
そう言いながら、文を開くと
「やはりか」
「ご城代。お館様は何と?」
「前月よりも銭を二割増で出せと言っておる。この半年で五回目じゃぞ?お館様は駿河国は銭が溢れかえっていると思っておるのか?
こんな時に父上や馬場殿の様な、先先代から武田に仕えている方が居たら、お館様を諌めてくれるのじゃがなあ
前年の織田徳川との戦で父上が討死しただけでなく、壊滅と言っていい程の被害が出ているのだから、
今は耐えて銭と兵を増やす時期だと思うのだが、お主はどう思う?」
「拙者もご城代と同じく、そう思いますが」
「お館様の考えは分からぬ。か」
「申し訳ありませぬ」
「良い。儂も同じくじゃ。じゃが、少なからずお館様は、現状を打破しようとしておられるのかもしれぬな。
だが、信濃国と駿河国は武田の領地で、徳川が攻めて来た場合は壁になれるから焦る必要は無いと思うのだがな。それこそ、同盟相手の北条もいるのだから、
いや、お館様は何かしら考えているのだろう。家臣の儂が言っても意味の無い事か」
昌満は、そこまで言うと、それ以上の発言を止めた。
その日の夜
「誰も居ないな」
昌満は、自室で周囲に誰も居ない事を確認してから、襖を閉めた。そして、ある1通の文を開いた
その文の送り主は父の山県昌景。長篠•設楽原の戦いの前日に書いた6通の文のうち、3通を昌満に届けていたが、そのうちの1通は、中々読む決心がつかなかった。
「父上。最期の戦の前日の父上も、今の武田家の危うさを感じていたのでしょうな。今なら、残りの文も読める、いや、読まねばならないと思います」
そう言いながら昌満は、文を開いて読み出す。内容は
「源四郎よ。この文を読んでいるという事は、儂と同じく武田家の行く末どころか、現状に不安が出て来たのであろう。
儂がこの文を書く前に、武田家は織田徳川の軍勢と戦をする前の軍議をしておったが、
その軍議の時から、お館様を何度も「四郎殿」と呼び続ける愚か者達のせいで、お館様も意固地になって、
戦に決したが、お館様が一部の家臣を重用し、他の家臣を蔑ろにして、更には領民に重税を強いる様であれば。
武田を出奔しても構わぬ。古今東西において、立場が脆弱な主君に取り入る佞臣を重用しだす事は家の滅亡への第一歩じゃ。
一部で名将と呼ばれたりした儂も、やはり人の親じゃ。子達には平穏な人生を歩んで、山県家の血筋を残して欲しいと願っておる。
そこでじゃ、儂の兄の子達の話になるが、兄の子、儂の甥にあたるが、甥達は昔、足軽として武田に仕えておった。だが、美濃国で起きた戦で、武田家は敗れ、
甥達二百名は捕虜になった。だが、その後、領主を務めていた織田家重臣の柴田という武士の嫡男が、
まさかの全員を臣従させた。そして、その嫡男は元服して、家臣となった甥達を使い、武田家の砦を破壊し、守っていた兵達全員を討ち取ったそうじゃ、
この話を聞いた時、儂はこの若武者ならば、源四郎達が武田を出奔しても召し抱えてくれるかもしれぬと思い、
父の柴田殿への文を書いたが、読んでいただいたかは分からぬ。だが、その柴田殿の領地が変わってなければ、美濃国の東端が領地であるはずじゃ
そして、甥達が仕えておる嫡男殿は、「柴田の鬼若子」と呼ばれておるそうじゃ。
その鬼若子殿に儂の書いた文が届いておる事に賭けてみる覚悟かあるならば、お主が下の立場で仕える事になっても構わない心構えならば、その鬼若子殿の元へ出奔せよ
お館様や周りの者達が変わっておらぬと判断したなら、早いうちに動け。
武田に仕え続けるも、出奔するもお主次第じゃが、源四郎!他の子にも文を送ったが、儂は子達全員、平穏な人生を歩んで欲しい。
親らしい事を殆ど出来なかった、駄目な父の最期の願いじゃ」
「父上。武骨で厳格な近寄り難いお人だと思っておりましたが、そこまで儂達の事を考えてくださっていたとは。
せめて今年年内。いや、領民達が年貢を回収する神無月が過ぎる頃までは、お館様の周囲の佞臣から領民達を守らなければなりませぬ。
霜月に入ったら決断したいと思います」
名将の嫡男は心が揺れていたが、領民達を守ろうという気概は残っていた。




