父は驚く。周りはもっと驚くも不穏な影
天正四年(1576年)一月五日
山城国 某所にて
場所と年が変わって、此処は勝家の現在地の京の警護の為の詰所。そこで勝家と交代で十一月中盤から十二月いっぱい休んでいた光秀と勝家は軽い話をしていた
「十兵衛。もう少し長く家族と過ごしても良かったのだぞ?儂も一月半は過ごしたのだから」
「柴田殿。拙者も過ごした期間は一月半で、同じです。領地が近いから短い期間に思えるかもしれませぬが、大体同じ期間なので」
「そうか。そう言ってくれるなら、儂も気が楽じゃ。久しぶりの家族や領地は何かしらの変化はあったか?」
「嫡男の十五郎が、多少、いえ、微々たる程度には体が丈夫になった事と、娘夫婦が久しぶりに顔を見せた事くらいでしょうか。
その婿殿が、柴田殿の嫡男の六三郎殿に興味津々でしたのが、印象深かったですな」
「どの様な事を婿殿は話していたのじゃ?」
「先ず話していたのが、十一歳で元服した事です。父の柴田殿が元服させたならまだ、納得出来るが、自ら元服させろと文で伝えるなど、古今東西の武士で聞いた事が無い
更には初陣で、自らが先陣を切るのではなく、家臣達に先陣を譲る冷静さを持ちながらも、攻撃した砦を全壊させて。
家臣の倍以上居た武田を、全員討ち取るという見事な采配を、「硬軟織り混ぜた見事な策」と言っておりましたからな」
「倅に対して過大評価が過ぎると思うのだがなあ」
「柴田殿。その言葉が出る時点で、柴田殿も普通の親ではないですぞ。普通の親ならば、少なからず我が子の初陣での武功を喜ぶものです。それを喜ばずに冷静でいられるとは」
「十兵衛。倅は常識外れ過ぎる行動をして、それがたまたま良い方に進んでおるだけじゃ」
「柴田殿。それは幸運を引き寄せる天賦の才があるのだと思います。それは父である柴田殿に新しい嫁が来た事も含めてです」
「それを言われるとなあ。普通に考えたら、父である儂が殿に倅の嫁をお願いするのだが、あ奴の場合は、逆だからのう」
「柴田殿。きっと六三郎殿は、途方もない大きな事をやって、それが巡り巡って織田家の為になると思いますよ」
「それならば良いが」
2人が話していると、
「失礼します。岐阜城の大殿から、柴田様へ文でございます」
「儂にだけか?十兵衛には無いのか?」
「はい。殿には有りませぬ。柴田様だけです」
「柴田殿。席を外しましょうか」
「いや。居ても構わぬ。と、言うか居てくれ!この感じは、十中八九、いや、ほぼ間違いなく倅が文を殿経由で儂に届けておるに違いない。
何かしら領地で起きたに違いない。全く、戦以外で緊張などしたくないのだがなあ」
「柴田殿が、そう言うならば」
「済まぬ。それでは文を読むぞ」
意を決した勝家は文を開く
「権六へ。お主も勘づいていると思うが、この文は、お主の倅の六三郎が、お主に渡して欲しいと儂の元へ届けさせた文じゃ。内容は喜ばしい事、正に慶事と呼ぶに相応しい事じゃから、しっかりと読め
改めて本題に入るが、お主の嫁の市がやや子を授かったとの事じゃ。およそ二ヶ月らしい。新婚で即座に授かるとは。今年五十六歳で、まだまだ下の方は元気なお主の慶事を聞いて、
儂も新たに子作りをする気持ちが芽生えて来た。そこは感謝する。だが、喜んでばかりもいられぬ。
やや子が順調に育てば、出産は水無月の末頃から、文月の中頃になるが、その時は市は三十歳。産めないわけではないが、かなり苦しむじゃろう
だからこそ、儂は卯月の中頃に産婆を含めた出産を助けられる者達を権六の領地に派遣する。
だから権六。五月に入ったら、戦況が厳しくない限り、領地に戻り、市の側に居てやれ。
六三郎がどれ程賢い若者でも、流石に出産の事までは何も出来ぬ。新たな家族の誕生の瞬間は側に居てやれ」
「十兵衛。とても喜ばしい事じゃが、又お主に負担を負わせてしまう。済まぬ」
「何を仰いますか柴田殿!家族が増える事は、喜ばしい事であり、めでたい事ですぞ!戦況次第では。とありますが、
五月に入ったら、奥方の為は勿論、子達の側に居る為に領地に戻りなされ」
「済まない」
「ただ、柴田殿。この事は、他の方、特に羽柴殿に知られてはならないですぞ」
「何故じゃ?」
「柴田殿はそう言った事に無頓着だから分からないのでしょうが、羽柴殿はお市様に惚れ込んでおります。
それこそ、自身の正室の寧々殿が居るのにも関わらずです。それが憧れなのか、色恋なのかは分かりませぬが、羽柴殿に知られた場合、
どんな行動に出るか分かりませぬ。更に申すならば、羽柴殿は寧々殿と夫婦になって二十年近くなるのに未だに子が出来ないのです。
その部分も、負の心情が増大させるでしょう。だからこそ」
「いやいや十兵衛。いくら何でも。藤吉郎はやがて四十じゃぞ?そんな節操無しな行動を取るわけが」
「無い!と言い切れますか?」
「それは」
「羽柴殿は気が利く人ではありますが、その実、自らの栄達の為ならば、他者を平気で切り捨てる事の出来る人でしょう。
思い返してくだされ。数年前に六三郎殿が、羽柴殿の姉家族を召し抱えた時に送られた文の中に、
「母のほうが、子が武士になるのに反対しており」と有りました。普通に考えるならば、自らの弟、子から見たら叔父にあたる人物が見事な出世を果たしているならば、
「叔父上の様に頑張れ」と言うでしょう。ですが、それとは全く逆に武士になる事を反対しておるのです。
これは身内の羽柴殿が良からぬ事をやったからだと、拙者は思います」
「十兵衛。深読みしすぎではないか?」
「深読みしすぎなだけなら、十年後くらいに拙者を笑ってくだされ!柴田殿が生きている間は、何もしないと思いますが、
柴田殿が死んでしまった時や、万が一、殿や勘九郎様も死んでしまった時、羽柴殿が良からぬ思いを持っていたら」
「いたら、どうなると言うのじゃ?」
「誰も自分に戦で勝てないと思い、お市様やその姫君達を奪い、六三郎殿が殺される可能性が出て来ます。
それこそ、今年産まれてくる子供も無事では済まないでしょう。だからこそ柴田殿。この事は柴田殿と拙者と殿と、ご家族だけが知っているに留めるべきです。
それこそ、柴田殿を「親父殿」と慕っている前田殿にも伝えてはなりませぬ。前田殿は羽柴殿と家族ぐるみの付き合いがあるお人。
ちよっとした四方山話で思わず羽柴殿に伝わる可能性があります。だからこそ、前田殿にも伝えてはならないのです」
「儂の新しい嫁は、それ程の女子と申すか」
「柴田殿。羽柴殿は出世欲がとても強い人です。居城の長浜城を見たら分かります。
一度見る事をおすすめしますが、とにかく。羽柴殿には知られてはなりませぬ」
「分かった分かった。そこまで申すのであれば、十兵衛も他言無用じゃぞ」
「勿論です」
とてもめでたい事なのに、知られてはならないと言われて勝家は困惑しながらも黙る事を決めた。