難航する嫁探し
天正三年(1575年)七月十日
美濃国 岐阜城内にて
「六三郎め。己の事よりも父の事を心配するとは。誠に出来た倅よのう」
六三郎は領地で伝えられる事を一応、伝え終えてから岐阜城の信長へ文を出していた。
文の内容は
「殿へ。父上の新しい嫁は、政略結婚の類でないのならば難航すると思いますが、子供を産める若い女子でなくとも拙者は構いませぬ。
それこそ、父上の元へ嫌々嫁ぐのではなく、仕方ないですねえ。と思いながら嫁ぐ女子の方が父上の心情的にも良いと思われます。
若造が偉そうな物言いで申し訳ありませぬ。ですが、将来的に隠居した時に、拙者の事で気が休まらないだけならまだしも、
新しい嫁の事で更に気が休まらないのは、父上が気の毒で仕方ないので、殿から見て「この女子なら父上も大丈夫」と思える方をお願いします」
だった。分かりやすく訳すと「ワガママ女はやめてね。親父が可哀想だから」とも取れる内容でもあった。
信長もその様に見た様で、六三郎は勝家の事を気にかけていると見ていた。もっとも、本人はそんなつもりは一切無かった。
「帰蝶!六三郎からの文、お主はどう見た?」
「殿。私の意見としては、六三郎は若い女子が権六の嫁になった場合、我儘を言って家中を乱して、そのせいで権六が要らぬ気苦労をするから、
若い女子はやめてくれ。と、遠回しに言ってるのだと。もしくは、若い嫁が子供を産んで、その子が男児だったら、
家督争いが起きるからやめてくれ。とも、とれますね」
「やはり帰蝶もそう見るか。こうなると、三年前に岩村城を武田が奪った時におつやの叔母上が自害した事、
誠に悔やまれる。「武田の人質になるくらいなら」と、自害を選ぶ気概。男だったなら一廉の武将になれた程じゃ。
しかし、おつやの叔母上はもう居ない。娘達には、関係を結んでおきたい大名や、その嫡男への嫁入りをさせたい。こうなると、あ奴しか居らぬか?帰蝶よ」
「お市殿の事ですね。そうですね。市ならば、本人が望まない限り新しい子は産まないでしょうが、
幼い子供が三人もいる上、全員女児ですから。基本的に男だらけの柴田家に嫁ぐのは嫌々になるかもしれませぬ」
「やはり帰蝶もそう思うか。儂としては、市の最初の嫁ぎ先であった浅井を滅ぼした負い目もあるから、
次の嫁ぎ先では戦にも政にも関わらない家に行かせてやりたい」
「殿。それならば、本人に文を送って気持ちを聞いてみては?今は確か、尾張国で三十郎殿の元で家族全員、保護されておるのですよね?」
「そうじゃが、仕方ない。三十郎の元へ文を送るか。これで、お市が嫌だと言った場合、どうするかのう。六三郎と権六に「嫁は早いうちに何とかする」と言ったのに」
「殿。その時は、その時です。権六も六三郎も嫁が決まらないからと言って、不満を言う事は無い事は知っているでしょう」
「それもそうじゃな。よし!お蘭よ、尾張国の三十郎の元に居るお市に文を送る!先程まで儂と帰蝶が話していた内容を、簡単で良いから文にまとめて、一度、儂に見せよ」
そう命令された蘭丸は文を書いて信長に見せた
「うむ。ほぼ同じと言ってよい程、儂と帰蝶の言葉になっておるな。じゃが、少々足りぬ。六三郎の事も足しておけ。
六三郎の事じゃ、前年に三十郎の元へ行った時、何かしら目立つ事をやったに違いない。もしかしたら、その時に見たかもしれぬしな」
信長は六三郎の事をつけ足す様に促した。つけ足した文を見て、
「うむ。これならば」
と、ゴーサインを出した。
天正三年(1575年)八月一日
尾張国 織田三十郎屋敷にて
「殿。岐阜城の大殿からの文でございます」
「ほう。武田を壊滅状態にして、しばらくは本願寺最優先で攻撃すると言っていた兄上が、この時期に文とは。戦以外の予感がするな」
信長が七月に送った文を信包は受け取り、中を読み始めた。そして、
「はっはっは。全く、兄上はこの様な面白い事を考えていたとは」
大笑いした。その様子に家臣は
「殿?」
と、不思議がっていた。それに気づいた信包は、
「ああ、済まぬ。文の内容は儂ではなく、お市達家族にあててじゃ。この事をお市達に伝えなければならぬ。お市達家族を連れてまいれ」
「は、ははっ」
家臣に命令した。そして、程なく
「三十郎兄上。三郎兄上からの文が私達家族あてとは一体どう言う事ですか?」
お市達家族全員到着した。三姉妹の茶々、初、江も不思議そうな顔で市の側にいる
「ああ、済まぬ。実はな、兄上から市への再婚話が来たのじゃ」
「再婚話ですか。三郎兄上が嫁ぎ先を絶対に攻め滅ぼさないと約束出来るならば、嫁いでも良いですが、
その様な約束は出来ないでしょう。それならばお断りします。それにやがて三十路の私が、その家の嫡男を産めなければ」
「市!安心せい。此度の話、お主の求める条件を全て飲める家じゃ。しかもじゃ、不覚にも笑ってしまったが、兄上が推挙した家の嫡男が、「父上に新しい嫁を」と、
希望しておるのじゃがな、その嫡男が父の新しい嫁に出した条件が「父の尻を叩ける、男子だったら一廉の武将になれたであろう、戦の時に自ら甲冑を着て味方を鼓舞する気概のある女子」と
言っておるのじゃ。更には「我儘で家中を乱す様な若い女子でなくとも構いませぬ。拙者の事で気苦労が多いのに、
その若い嫁のせいで父が更に気苦労するのは、可哀想なので、子を産める若い女子でなくとも良いですし、
父へ嫌々嫁ぐのではなく、仕方ないですねえ。ぐらいの気持ちで嫁いでくれた方が、父も心情的に気が楽だと思いますので」と言っておる」
と、信包が説明すると
「何ですか?その、不思議な家は。普通、父の方が嫡男の嫁取りを三郎兄上に頼むはずなのに。まさかの嫡男の方が父の嫁取りを三郎兄上に頼むとは」
お市は驚いていた。そして信包は
「不思議な家か。確かにな。その嫡男は、今年十一歳で元服しておるし、しかも自ら「元服させろ」と言っておる、
最も普通ではない事は、その嫡男が元服前に初陣を済ませて、更にその初陣で見事な勝利を挙げた事かのう」
「いやいや兄上。その様な常識外れな事が出来る家など、私は聞いた事が」
「三年前の話じゃ。市がまだ浅井に嫁いでいた頃、この様な話を聞いた事が無いか?美濃国での戦で武田軍三千が、数でも質でも劣る、元服前の童が総大将の織田軍に負けた。と言う話を」
「ああ。亡き夫が言っていましたね。「織田家は、この様な虚言をばら撒かねばならない程、追い詰められておるならば、縁を切る事は正しかった」と」
「市よ。その様な戦が実際にあったのじゃよ」
「兄上。ほら話をするだけで私達を呼んだのならば、戻りますよ」
「まあまあ待て待て。戦の話が信じられないならば、市達がこの一年で食べた美味い物を思い返してみよ」
「私達が食べた美味い物ですか?茶々、初、江。この一年で食べた物で、何か美味しい物を覚えておりますか?」
「茶々は赤いものが入っていたパオンが美味しかったです」
「初は見事な丸い形の物が美味しかったです」
「江は細長いつるつるした物が美味しかったです」
「娘達はそう言ってますが兄上?それとこれが、どう私の再婚話に繋がるのですか?」
「ふっふっふ。市よ。市の娘達が言っていた美味い物を、件の嫡男が作りだしたのじゃよ」
「いやいや。兄上。武士は普通、台所に入らないではないですか。その様な事を許す不思議な家が」
そこまで言うと、お市はハッとした
「そうじゃ。その様な不思議な家じゃから、嫡男が父に新しい嫁を。と兄上に頼んでいたのじゃ。そして、
その美味い料理を京と堺で兄上が大々的に広めた結果、織田家に莫大な銭が入った。その結果、種子島を大量購入出来て、武田を壊滅状態まで追い込んだのじゃ」
「それは凄い事だと分かりますが、それならば!三郎兄上は、その嫡男の嫁に茶々を進めるのではないのですか?」
「これが不思議なものでな。その嫡男は、父の領地変更に伴い、現在の領地に行った時、「領民の心を掴んでこい」と無理難題を言われて、家臣達の協力を得てやった事が、
田畑の改善をして、畑を荒らす鹿や猪を共に退治して、その肉を食べる許可を出して、領民達が健やかに過ごせる様に働いたのじゃ」
「そんな事をやる嫡男も、それを許してくれる父も度量が大きいと言いますか」
「しかもじゃ。その領地には、かつてその国を治めていた大名家の末裔が居た。その大名家に仕えていた者が、その末裔の親になる子を保護して落ち延びて、
百姓に扮して生きていたのじゃが、「この家なら」と、頼み込んで、その父に話して、三郎兄上まで話が行き、保護が決まった。更には」
「兄上。申し訳ありませぬが、明日、話の続きをお願いします」
「もうそんな頃合いか。遅くまで済まぬな。だが、少なからず興味が湧いて来たであろう?」
「ええ。微々たる程度には」
そう言って市は娘達と共に信包の部屋を出た。




