名将の身内への遺言状
天正三年(1575年)五月二十一日
三河国 某所にて
「殿。起こす様に頼まれておりました頃合いになりました」
「うむ。済まぬな。どれ」
殿と呼ばれ起こされた男の名は山県三郎兵衛尉昌景。武田四天王と呼ばれる程、武勇に優れた名将であり武田家当主を代々支えて来た重臣の1人でもある
そんな昌景が現代の時間にして午前3時の早い時間に自らを起こす様に命令した理由とは
「頼んでいた物は準備出来ておるか?」
「ははっ。紙と墨は準備出来ております」
「うむ。しばらく文を書く事に集中したい。お主達護衛も、通常よりも寝所から距離を開けてくれ」
「そ、それでは万が一、織田と徳川の間者が来てしまったら」
「その時はその時じゃ。一刻を過ぎて儂に動きが無ければ見に来い。それまでは誰も通すな」
「殿。承知仕った」
こうして昌景は、1人だけで文を書き始めた。
書き始めておよそ1時間半。6通の文を書きあげた昌景は
「忍びの頭領よ。居るのであろう?来てくれぬか」
静かな声で忍びを呼び出した。忍びは音も無く山県の前に現れた。そして、
「何かお役目でしょうか?」
質問した。昌景は
「うむ。と言っても、誰ぞを暗殺しろというわけではない。文を届けて欲しい」
「どなたにお届けするので?」
「この三つは駿河国で江尻城代を務める嫡男の源四郎に、残り三つはそれぞれ、倅達に渡してくれ」
「承知仕った。御子息達に言伝はございますか?」
「うむ。「文を見る時は必ず一人で見よ」と儂が厳命していたと。言伝を頼む」
「承知仕った。では」
返事をした忍びは昌景の前から姿を消した。そして、昌景が言っていた一刻が過ぎたので、護衛が寝所に入って来た
「殿。大丈夫でしょうか?」
昌景はごまかす為に書いた書を見せながら
「おお。済まぬな。この四文字を書く為に悩みに悩んでいたら、一刻になってしまった。しかしじゃ、我ながら良い言葉を書けた」
「何を書いたのですか?」
「これじゃ」
昌景が見せた四文字は
「武 田 御 為」
「武田の御為ですか」
「うむ。今日か明日に行われるであろう、織田徳川との戦は間違いなくこれからの武田を占う大戦になるであろう。だから、お主達若い者達にも言っておく。よくよく心に刻むように」
「は、はい」
「織田徳川との戦で万が一にも負けが濃厚になったならば、何としてもお館様と共に撤退せよ。これからの武田はお館様と歳の近いお主達の様な若者が作っていくのじゃ。
万が一、儂が討死したとしても、後を追うな!他の者達にも言い聞かせよ!よいな!!」
昌景は護衛の若武者に他の家臣にも伝える様、言い聞かせた。それを聞いた若武者は泣いていた。
明確に言わなかったが、昌景の言葉が遺言だと理解していた。
「ははっ!」
「泣くでない。まるで武田の負けが決まったみたいではないか。よいか!あくまで万が一じゃ」
「はい。あくまで万が一!です」
「うむ。分かっておるならよい。儂はあとニ刻ほど休むが、召集の伝令が来たら迷わず起こせ」
「ははっ」
昌景は護衛を外に出した。そして、もう1通の文を書き始めた。そして、書き終えて墨が乾くと、文を甲冑の中に入れて、再び身体を休めた。
「これが、人生最期の一眠りじゃろうな」
と、呟きながら目を閉じた。




