最前線は囲まれ中
天正三年(1575年)五月十二日
三河国 長篠城内にて
「岡崎からの援軍は未だ来ぬのか?」
「それが、幾人も伝来に出たのですが、包囲している武田に見つかり殺された様で」
「くそ!!武田にしてやられた!まさか、一時的に三河国から撤退して我々や殿達を油断させて、機を見てこの長篠城を包囲するとは」
「殿。武田は少なく見ても一万以上居るかと思います。我々はおよそ五百。これでは」
「分かっておる。だからこそ、岡崎の殿へ援軍を要請しているのだが」
信長達が六三郎の料理を食べて満足していた頃、三河国と信濃国の国境にある長篠城は武田軍一万五千に囲まれていた。
最初のうちは、城を囲む複雑な地形と大量の火縄銃のおかげで大軍の武田相手に戦えていたが、兵糧庫を焼かれてしまい食糧が危機になったので、
これ以上は戦えないと判断した城主の奥平定能は、岡崎城の家康に援軍を要請する決断をしたが、
これまで城を出発した伝来達は武田軍の警戒網に見つかり任務を果たせず殺されていた
そんな中、武田からは
「さっさと降伏しろ!そして、我々に降れば全ての者の命を助けてやる!城も領地も安堵してやるぞ!」
と、上から目線の降伏要請文を地元の百姓を使って届けられていた。最初は断る旨の文を持たせて武田軍へ帰していたが、その百姓が磔にされて死んだ事により、
降伏要請文を持って来た百姓は、帰さずに城の中に匿った。しかし、中の人間が増えた事で食糧が減る早さが増す。これではどうしようもない。
そんな状況でも、城主の奥平定能は武田に降るという選択肢は断固拒否した。何故なら、3年前の三方ヶ原の戦いの後、攻め込んで来た武田に降ってしまった。
そんな自分を再度、家臣として仕えさせてくれた家康への忠義の為に武田に降る考えは一切無かった
それでも、このままではジリ貧で最終的に全滅しかなかった。誰もが岡崎から援軍が来ないとダメだと分かっていたが、この武田の警戒網を掻い潜り、
岡崎へ行くという責任重大な役目を成す自信は無かった。それでも奥平定能は
「明日、我こそは!と思う者が居たら立場は問わぬ。岡崎まで命懸けの道中になるが、それでもやる者が居る事を信じておるぞ。
今日の軍議はここまでじゃ。皆、持ち場に戻ってくれ」
こうして、この日は誰も長篠城から出発しなかった。
翌日
「殿!岡崎へ行くと申し出た者が居ました」
「誠か!?今すぐ連れて参れ!」
奥平定能の元に来た男の名前は鳥居強右衛門勝商、元々は百姓だったが、自ら奥平家に売り込み足軽として仕えていた。
そんな強右衛門が大役を申し出た。その事に定能は
「強右衛門!任せて良いのだな?」
「はい!幼少の頃より、泳いで来たので、泳ぎには自信が有ります!なので、岡崎への伝来のお役目を拙者に!」
そう言う強右衛門の目は覚悟の目をしていた。そんな強右衛門に定能は
「強右衛門。お主に長篠城の城兵全ての命、託してしまってすまない」
謝意を口にした。そんな定能に強右衛門は
「殿。そのお言葉、誠に嬉しゅうございます。ですが、一つお願いがあります」
「何じゃ?申してみよ」
「拙者が岡崎の大殿にこの事を伝えても、もしかしたら戻る途中に武田に見つかるかもしれませぬ。拙者に万が一の事があったら、
拙者に代わり、子らを召し抱えてくださいませぬか?」
「分かった!お主に万が一の事があれば、子らを召し抱えよう。だが、何としても生きて戻って来い」
「出来る限り足掻いてみせます」
こうして主従の会話は終わった。そして強右衛門は、日付か変わる頃の夜闇に紛れて、城の裏手の川から岡崎城を目指して泳ぎ出した。




