閑話 若武者の喜びと主君の苦悩の理由
天正三年(1575年)一月二十日
近江国 長浜城下にて
時は少し戻り、秀吉が信長から文で叱責を受けた十日後。秀吉の家臣のうち、加藤清正ら歳若い者達は領内の見回りを終えて、長浜城下の長屋に戻った。
その内、加藤清正と福島正則は隣同士なのだが、面倒見の良い兄貴分な性格の正則が清正の家で毎日と言っていいほど、夕飯を共にしていた。
今日もそんな一日だったのだが
「虎之助!ここ数日、お主の機嫌が良く、殿の機嫌が悪く見えるのだが。何か知らぬか?」
「市松。いきなり来て何を言うかと思ったら」
「いいや!これは聞いておかねばならぬ。お主が何かしら安堵した様な表情をしたと思ったら、殿が鬼気迫る表情で政務をしておる。小一郎様に聞いても、はぐらかされるだけじゃ。
お主だけが呼ばれた日からじゃ。何かしら理由があるのではないのか?」
「儂も具体的な事は分からん。だがな、儂に関して言えば、母上の事じゃ」
「叔母殿がどうしたのじゃ?」
「実はな、母上が現在、尾張国ではなく儂達も知ってる人の屋敷で女中として働いておるのじゃ」
「は?いやいや、叔母殿は殿の御実家の隣りに住んでいて、殿の姉様家族と共に百姓仕事をしていたのではないのか?」
「百姓仕事はしていたのじゃが、とある理由でしなくなったのじゃ」
「その理由とは?」
「あの日、殿と小一郎様と共に岐阜城の大殿から、儂達への文が届けられたのじゃが、その文は儂達が幼い頃、飯を食わせてくれて、武芸を鍛えてくれて、共に猪退治をした柴田家嫡男の吉六郎殿からなのじゃ」
「おお!なんと懐かしい。あの日食った飯は誠に美味かったし、お父上の柴田様から受けた武芸の指導は辛かった。しかし、とても為になった。それに猪退治も、ある意味初陣だったな。
で、その吉六郎殿からどの様な文が来たのじゃ?」
「うむ。最初に伝えられたのは、殿と小一郎様の姉君家族が吉六郎殿の家臣及び女中として仕えた事じゃ」
「はあ!?お二人の姉君家族が仕えておるとは、俄かに信じられないのじゃが?」
「儂とて最初は信じられなかったが、文の内容がな「姉君家族の子供が、所用で尾張国に寄っていた吉六郎殿一行に「武士になりたい」と頼んだが、
母親が反対しており、吉六郎殿はとりあえず文官見習いの形を取って、文字の読み書きや数の計算を覚える事から始めるとして、仕えさせる事にしたそうじゃ。
その上で父君も文官見習いと小者として仕えさせて、母君は女中としたそうじゃ」
「何とまあ、「子を心配する親が居るなら親ごと召し抱えてしまえ」と思いつくとは」
「で、その話を聞いた儂の母上は、儂が自由に人を呼べる程出世するにはまだまだ長い時がかかる上、そんな時に自身が何の立場も無い状態では、簡単に会えないと思ったからこそ、
「柴田家の女中」としての立場を得る為に、吉六郎殿に仕えたいと希望して、それを吉六郎殿が許可したと、岐阜城の大殿が伝えてくださったのじゃ」
「成程。叔母殿の衣食住が確保されているのか。それならば虎之助の機嫌が良くなるのも納得じゃ」
「それだけではない。吉六郎殿は、殿が許可したら儂と母上が会う場を作る。とも言っておる」
「なんと器の大きな」
「儂も同じくそう思う。いくら吉六郎殿のお父上が殿と同輩とはいえ、儂みたいな家臣の母親の頼みを聞くなど」
「ふむ。虎之助の機嫌が良い理由は分かった。だが、殿の機嫌が悪い理由は何なのじゃ?」
「それに関しては全てを聞けたわけではないが、聞こえた殿の言葉は「何故じゃ。何故、殿は分かってくださらぬ。確かに儂は治兵衛を。全ては織田家の為なのじゃ。なのに!」であったからな」
「待て。治兵衛とは」
「恐らく、あの治兵衛殿じゃろうな。宮部様へ養子という名の人質に送られておる当人の」
「その事で殿が大殿から何かしらの叱責を受けたのかもしれぬ。という事か」
「まあ、それで間違いないじゃろう。だがな市松、儂は大殿が治兵衛殿の事で殿を叱責する理由となると」
「何じゃ?」
「姉君家族から強引に治兵衛殿を連れ去ったのではないのか?と思っておる」
「いやいや虎之助。それは流石に」
「市松。無いと言い切れるか?」
「それを言われると。しかし」
「あくまで「もしや」でしかないが、大殿がそれで殿を叱責したと思ったら、納得出来ると思わぬか?」
「確かに。腑に落ちると言えるか」
「まあ、これより先は儂達がどうこう出来る内容ではないから一旦、置いておこうではないか」
「それもそうじゃな」
「明日も早い。そろそろ休もう」
「そうじゃな」
そう言って2人はそれぞれ寝床に入った。




