不憫な母子には優しく
天正二年(1574年)五月二十日
美濃国 柴田家屋敷内大広間にて
「柴田吉六郎殿。徳川家の問題なのに、無理を聞いていただき、誠に忝い」
「本多作左衛門様。頭をお上げください。拙者の父上と歳が同じくらいの方に、そんな事をされては胸が痛みます」
「では、お言葉に甘えて」
皆さんおはようございます。今月で本来なら9歳、数えで10歳になりました柴田吉六郎です
お互いに挨拶していた本多作左衛門殿が、遠江国から井伊殿他数名で此処に来たんですが、その他数名の一人が
「一年ぶりですね吉六郎殿。あの時より身の丈も高くなって、ますます良い若武者になっておりますね。元服前という事が信じられません」
「於大様。ありがたきお言葉です」
去年も此処に来た家康の母親の於大様です。当然、上座に座ってもらってます
ただ、今日は於大様が代表を務めていると言っても過言ではない案件なんです
「あの。於大様、本多作左衛門様。改めて本日はどの様な件でこちらに?
拙者は殿や父上から「徳川家の方々がこちらに来るから丁重に優しく接する様に」と文で言われているだけなのですが」
「その事でしたら、吉六郎殿。私がある人達を連れて来て説明しますから」
「於大様。それは我々が」
「作左殿。こういう時は女同士が良いのです。だからこそ、私も働きたいのです。気にせずに座っていなさい」
「申し訳ありませぬ」
「良いのですよ。では、吉六郎殿。少し席を外します」
そう言って於大様は一旦出て行った。で、戻って来たら御自身も赤ちゃんを抱いて、隣にも赤ちゃんを抱いている女の人が居た
「あの、於大様?」
「吉六郎殿。この女子は古茶と申します。そして、古茶の腕の中で眠っている男児が於義伊で、
私の腕の中で眠っている女児が於古都と言います。
賢い吉六郎殿なら気づいたと思いますが、二人は古茶が産んだ子供です」
「はあ。そのお子達が何かあったのでしょうか?」
「実は双子なのです。そのせいで古茶は一部の者から謂れの無い事を言われ続けてしまって」
於大様が話し出すと
「うっ、うっ、ううっ」
泣いている声が聞こえて来たから、声の方向を見たら古茶さんだった
「私、は、殿の子を産んだ、だけ、なのに、何故その、様な事を、私だけ、でなく、子供達に、まで、言われ、なけ、ればなら、ない、のですか!於大様。ううっ」
うーん。見た感じ、源太郎や光と同じ歳くらいに見えるな。10代で子供を産んだのにネチネチ言われたら精神的に病んでも仕方ないか
ん?でも、さっき「殿の子」と言っていたな。もしかして岡崎の三郎様が手を出して、妊娠させて、それが徳姫様や築山様にバレて
岡崎城から追放されたのを於大様が保護した。という事かな
「あの、於大様?不躾な質問になりますが、もしやそのお子達の父親は、岡崎の三郎様だから、城を追放されてしまった所を於大様一行が保護したのでしょうか?」
「吉六郎殿。それならば、どれだけ気が楽だったでしょうか」
「違ったのですか?申し訳ありませぬ」
「構いません。ただ、今から話す事は大事な事なので、知っている人は少ない方が良いでしょう。ですが、何も知らない者が
古茶達の事を、と考えると。吉六郎殿。申し訳ありませんが、こちらに来る途中に見た柴田家以外の旗指物の家、恐らく水野家だと思いますが、
その家の御当主殿を連れて来ていただけますか?」
「は、はい」
俺は於大様に言われて動いたけど、何で水野家の旗指物って分かるんだ?女の人は戦場に出ないから旗指物なんて分からない筈だけどな
まあとりあえず
「水野様。申し訳ありませんが、大広間に来ていただけませぬか?拙者の客人が、どうしても水野様にも御参加して欲しいとの事ですので」
「儂に?ふむ、何やら重大な事の予感がするが、良かろう。行こうではないか」
で、水野様を連れて大広間に戻りました。そしたら
「やはり兄上でしたか!旗指物でもしや、と思っておりましたよ!」
「於大!お主は徳川様の居城の浜松城に居るのではないのか?何故、此処に居る?」
え?え?え?今、於大様、水野様に対して「兄上」って言ってたよな?
「あの〜於大様、水野様。もしかしてお二人は御兄妹なのですか?」
「ええ。私の八歳上の兄です」
「儂の妹じゃ」
うわあ、妹は同盟相手の生母で、兄は家臣とか、何とも言い難い複雑な関係性だな
そんな変な空気に耐えられなかったのか、
「さて!改めてですが、作左殿、井伊殿。ここに居ります水野藤四郎は織田家家臣ですが、私の兄でもあります
この場では私の兄として、私を呼び捨てにしてもらいますので、二郎三郎や織田殿に一切の報告はしない様に!良いですね?」
「「ははっ」」
うわあ、かなり強引に何も言わせない様にした
で、そんな状況で水野様が
「言葉に甘えるが、於大よ。この状況は何がどうなっておる?説明してくれ」
「ええ。では改めて」
於大様の説明が再スタートしました。その中で
「双子の父親は、私の息子の二郎三郎なのです」
と言われた時に、この男の子が後の「結城秀康」だと分かりました。昔見た歴史小説では
魚のギギって奴に似てる程のブサメンだったとか言われてたけど、めっちゃ家康に似てるじゃないか。今の時点で将来イケメン確定な顔なのに、変な感じに書かれて、
産まれた時から不憫な扱いを受けていたとはな
それに思い出したけど、この時代の双子は畜生腹と言われて、犬とかの四足歩行動物みたいで、良くない扱いを受けていたんだよな
全くもって謎だよ。子供が多く産まれたら家族が増えて幸せも増えるというのにな
俺がそんな事を考えていると
「それで、吉六郎殿。古茶達の事なのですが」
「ええ!構いませぬ!」
「誠にありがとうございます」
「於大様、頭をお上げください」
「あ、あり、がとう、ご、ざい、ます」
古茶さんはちょっと落ち着いてもらうか
「古茶殿」
「は、はい」
「そう硬くならずに。拙者は未だ元服もしておらぬ童なので難しい事は言えませぬが、
父上が昔から「子供は親にとって宝である。だから子宝と言うのだ。そして後から産まれた小さき子を守る事は先に産まれた者の責務じゃ。
儂は嫁を今後取るかは、分からぬが、もし嫁を取らない場合、お主はお主より小さい子が居るなら、弟や妹だと思い守るのじゃ!」と
言われておりました。勿論、拙者一人では何も出来ませぬ。此処には拙者の家臣も、水野様と水野様の家臣も居ります。
なので、古茶殿も子供達も一人ではありませぬ。古茶殿は徳川家の宝を2つも増やしてくれたのです。これは多宝腹と呼んでしかるべきです
改めて古茶殿。今すぐでなくとも、少しずつで構いませぬので、我々を信じてくれませぬか?」
「うわあああ!!!あたた、かい御、言葉ありがとうござい、ます。今日まで、私の味方な、ど、誰も、居な、いと」
「そんな事はありませぬ。なので、今はお休みくだされ!母親が不安だと子供も不安になりますぞ。ささ」
「ではお言葉に甘えて」
「私も着いて行きます。兄上、作左殿。私が居ない間の事、任せましたよ」
そう言って於大様も赤ちゃんを連れて行ったけど、この件、台所と赤備えの皆には「古茶さん達には優しく接して「畜生腹」と絶対言わずに「多宝腹」と言えと厳命しないといけないな




