適任者との話し合い
天正元年(1573年)九月二十二日
美濃国 岐阜城内にて
「藤四郎!よくぞ来てくれた」
「いえ、殿のお呼びとあれば。それで本日は?」
信長に「藤四郎」と呼ばれたのは水野藤四郎信元。去年織田家からの援軍として、徳川家が武田家から被害甚大な攻撃を受けた三方ヶ原の戦の時に
援軍として参加しており、家康の母の於大の兄で、家康から見たら叔父にあたる人物である。
信長が求めた勝家の領地に行く役としての条件を全てクリアしている人物でもある。信長は説得の為に、呼び出していた
「うむ。実はな、これから十日の内に権六の嫡男の吉六郎が、儂に頼んで領地より避難させていた者達を連れて領地に戻るのじゃ」
「はあ。それが拙者が呼ばれた事と、どの様な繋がりがあるのでしょうか?」
「うむ。お主は吉六郎が件の者達を岐阜城に初めて連れて来た時には居なかったから、知らないじゃろうが、
実は吉六郎が連れて来た者達の子供がな、儂の正室の帰蝶の血縁者なのじゃ」
「え!?御正室の帰蝶様の血縁者。と、言う事は美濃国を治めていた斉藤家の血筋なのですよね?
しかし、数ヶ月前に越前国の朝倉を滅ぼした時に、斉藤家当主だった龍興は朝倉の家臣として討死して、血筋は残ってないはずでは?しかも、およそ十五年程前に、当時の斉藤家当主だったら義龍が兄弟を誅殺したはず」
「それがな、流石道三公と思う事が起きていたのじゃよ。龍興が子を恐らく残さずに死んだなら間違いなく義龍の血筋は消えた。
だがな、その者達は、義龍含め三人居た帰蝶の兄の子で、たった一人の男児が家臣の手により、落ち延びていたのじゃ。そして、その場所が」
「柴田殿の領地。という事ですか」
「そうじゃ。その落ち延びた男児は、元服すると家臣の娘と夫婦になり、子を二人残した。残念ながら、当人は既に亡くなっておるが」
「と、殿。お待ちを。殿の仰っている事をまとめると、殿の舅で御正室の帰蝶様の実父で「美濃の蝮」と呼ばれていた、斉藤道三公のひ孫にあたる子が生きて血筋を残している!と言う事ですか?」
「理解が早くて助かる。しかもじゃ、二人の子は姉と弟、つまり斉藤家の血筋を残せる唯一の男児じゃ。ここまで言えば、ある程度分かるであろう?」
「もしや、領地につくまでの道中の護衛をやる様に。との命令ですか?」
「それは半分当たりではあるが、半分違うな」
「半分違うとは?」
「うむ。その道三公のひ孫の男児がな、「岐阜城で色々学べたので、領地に戻っても学びたい。師となれる者にも領地に来て欲しい」と権六を通じて、儂に頼んで来たのじゃ」
「何とも勤勉と言うか貪欲と言うか」
「まあ、勤勉で貪欲なのは仕方ない。ほんの一年前まで百姓の孫として育てられて来たのじゃ。それが、権六の屋敷で色々学んでいた時に、岐阜城へ避難してきて
更に学べたのじゃ。乾布が水を吸うが如く、更に欲するのは当然と言えば当然であろうな」
「話だけ聞くと拙者の末の子も見習って欲しい程の子ですな」
「ふっ。まあそう思うのが親心よな。改めてじゃが、藤四郎よ。ここ迄の話を聞いた上で儂は、お主にその者の師となってもらいたい!」
「え!?と、殿?」
「「意味が分からぬ」という気持ちになるのも分かる。だからこそ、具体的に説明しよう。
ただ単に道三公のひ孫の師となるだけなら、この城の中で教えたら良い。だがな藤四郎よ。此度、儂は前年から滞在させていた森勝蔵と佐久間玄蕃の軍勢を引き上げさせた
ずっとあそこに居ては、これから激しくなる畿内の戦に参戦出来ぬ。それだけではない。武田は信玄坊主が死んだと儂は見ているからこそ
これから畿内に注力する。浅井も朝倉も滅ぼしたなら、当面の敵は本願寺だけじゃ。
かと言って、四郎勝頼が新たな当主となった武田が信濃国か飛騨国を通って、美濃国へ攻めてくる可能性もある。
そこに吉六郎の家臣達や、吉六郎を慕う領民が居て、吉六郎が鬼手と呼べる策を出しても、いつかは攻略されてしまう
そこでじゃ!藤四郎よ、お主やお主の家臣達がそこに居たならば武田へ睨みをきかせて抑えになると判断したからこそ、
儂はお主達に権六の領地へ行って欲しい!」
「殿。それは」
「分かっておる。畿内の戦に参戦出来ないからこそ、決めきれぬ事は儂も理解しておる。だがな、あの地から武田へ睨みをきかせて、三吉や吉六郎へ軍略や教養を教える事が出来るだけでなく、
いざとなったら、儂へ伺いをたてずに徳川家へ援軍へ行けるなど、徳川家と関係が良好な者が、藤四郎、お主しか居らぬのじゃ!」
「殿。申し訳ありませぬが、今日一日、考えさせてくだされ」
「直ぐには決めきれぬだろうから、じっくり考えてくれ。だが、儂はこの無理難題は藤四郎しか解決出来ないと思っておる!」
「御免」
信元はそれだけ答えて、場を後にした。




