母は息子と色々話す
元亀四年(1573年)六月一日
遠江国 浜松城内一室にて
「三郎が父親になるとは」
「ええ。今三ヶ月くらいだから、目安としては師走の初頭頃に生まれるでしょう」
「儂と三郎殿に孫が出来るか。あっという間と取るか、やっとと取るか」
「まさか生きているうちにひ孫を見る事が出来るとは思いませんでしたよ」
新たな命の誕生を喜びながら、待ち侘びている会話をしているのは、於大と家康親子。
家康は例の件で自ら美濃国へ行き、息子夫婦を叱りたかったが、武田の脅威が残っている中で自らが動く事は悪手だと理解していた
しかし、家臣の誰かを代理として行かせても信康は聞く耳を持たないどころか、母の瀬名が庇い立てするだろうから、頭を悩ませていたが、信長からの文に
「自分は徳の兄で嫡男の勘九郎に行かせるから、二郎三郎も自分の血縁者で婿殿より年上の者を行かせてはどうか?」
と書いていたので、そんな人間は自身の母で信康の祖母の於大しか居ないが、事情を話して美濃国へ行く役割を任せていた
「改めて母上。三郎達を叱るお役目を受けていただき、かたじけない」
「ほっほっほ。良いのですよ二郎三郎。たまには遠出もしないと、身体が鈍ってしまいますからね」
「それで三郎達は、どの様な感じでしたか?」
「反論せずに静かに叱られていたから、ちゃんと反省しているでしょう。それに、これから親になるのですから、今回の様な我儘な振る舞いも直っていくでしょう」
「母上がそう仰ってくださるならば、拙者も安心出来ます」
「ただ」
「ただ?何かありましたか母上」
「あの地で二ヶ月程過ごして、柴田家嫡男の吉六郎殿がとてもしっかりしておりました。だからと言ってはなんですが、
つい三郎と比べてしまうのです。それに吉六郎殿の境遇が、二郎三郎。あなたに少しだけ似ているのですよ」
「拙者に?」
「ええ。あなたは幼い頃、尾張国と駿河国で私や夫から離されて共の者しか居ない人質の状況で過ごしていましたが、
あの子は三歳で母を亡くして以降、お父上の柴田殿は戦に常に出陣して側に居らず、周りは家臣しか居ない状況だったのでしょう。
それなのに、「自分が年相応の童なら父上は心配で戦に出陣出来ないでしょうから、父上が出陣しているという事は「自分の代理を任せられる」
という信頼の証なので、それを裏切る事は出来ない。それに武士の子に産まれた以上、歳は関係ない。と」
「成程。確かに三郎にも見習って欲しいところですな」
「人質になっているか、いないか?の差はあれど親と離れて過ごして年相応の振る舞いをしないなど、中々出来ません。
それに、あの子の案内で領地を散策しましたが、領民が全員、生き生きとして生活しているのです。
柴田殿は岐阜城で織田殿の側に居るか、出陣しているかで数年に一回しか領地に戻らないらしいので、実質吉六郎殿が差配の全てを行なっていると言っても過言ではないのに
あれ程の慕われ度合、領民が飢える事なく暮らしている期間が長いから、出来るのでしょう」
「戦だけでなく政にも見事な働きを見せるとは」
「戦?二郎三郎、吉六郎殿はまだ元服前なのですよ。戦に出る事など」
「あったのですよ母上」
「二郎三郎?」
於大の疑問を解決する為に家康は、信長から以前送られてきた吉六郎が武田と戦った時の文を見せる。
それを見た於大は
「なんと!前年の戦という事は、八歳の時に元服もしていないのに初陣を経験したという事ではありませんか!お父上の柴田殿も、主君の織田殿も何を考えておるのですか!!」
於大が怒りだしてきたので、家康は
「母上。落ち着いて聞いてくだされ。拙者は、その文に書いてある戦の事を含めた色々な事を聞く為に、
柴田殿一行をここに客将として一ヶ月程、滞在していた時に吉六郎から聞き出す様に家臣達に命令したのですが、
どの家臣に対しても吉六郎は「自ら望んであの場所に行ったのではなく、領地替えしたあの場所に武田が侵攻して来て、戦わざるをえない事になっただけです。望んで戦った訳ではないが、
ここで、自分が逃げては織田家の信頼が無くなる。そんな事はあってはならない。と、言っていたのです」
「元服前だというのに。見事な覚悟ではありませんか」
「ええ。吉六郎の話を聞いた家臣の子供達は、吉六郎に感嘆すると同時に気持ちも引き締まったので、良い結果になったと思います。
拙者も武田との戦の前に吉六郎に言われた「ある言葉」を痛感しました」
「何を言われたのですか?」
「「武田が徳川様の思惑に馬鹿正直に付き合ってくれるとお思いですか?」と言われました」
「まあ!なんと肝の座った言葉を。家臣達は怒りだしたのでは?」
「ええ。家臣の中には「斬られたいのか?」などと言っていました。吉六郎の隣には父親の柴田殿も居たのですが、
当の吉六郎はその言葉の後も涼しい顔で柴田殿を一切見なかったので、元服前に初陣を行なう童は肝が太く座っている。と実感しました」
「吉六郎殿が徳川家家臣だったなら、「娘を嫁に」の声が多数だったでしょうね」
「拙者も同じく、吉六郎が家臣だったなら娘を嫁がせていたでしょう」
「あらあら、家臣達が聞いたら嫉妬するでしょうね」
「はっはっは。その様な家臣が居たら、「童に嫉妬するくらいなら、自らの策で武田を倒してからにしろ」と言ってやりますよ」
「ふふっ。二郎三郎、あなたの笑顔なんて久しぶりに見ましたよ。これは吉六郎殿に感謝の文でも送りますか」




