猛将と知将が筋肉をつけたら、俺が心配された
元亀四年(1573年)五月六日
美濃国 柴田家屋敷にて
「吉六郎殿!拙者と小平太も腕と脚だけでなく、全身が逞しくなっておる事を実感しておりますぞ!
あの訓練の後の食事と睡眠によって、前日の疲れが減って来ております。これが以前、吉六郎殿が言っていた「身体を回復させる」ですな」
「平八郎。これは儂らだけでなく、遠江国に戻ったら、他の者達にも広めないといけぬぞ!
出来る限り多くの武士が早く動き、強い一撃を繰り出せたら、戦を仕掛ける敵を返り討ちに出来るからな!はっはっは!」
皆さんおはようございます。現在、筋トレの結果が出始めて、テンション上がりまくりの本多忠勝と榊原康政に絡まれております柴田吉六郎です
どうやら2人共、訓練に参加した最初の2日は動くのもやっとで、柱を掴まないと立ち上がれない程の筋肉痛だったと
それを於大様に叱責されて、それでも毎日筋トレを続けていたら、見せつけたくなる身体になって来たらしいのですが、
正直、嘘だろ?と思う程の肉体に仕上がってます
まず腕!前腕も上腕二頭筋も逞しくなっているだけでなく、肩回りまでですよ?
某アニメの歌の一部の「肩にちっちゃい重機」ってこういう事なんだろうな。と思う程に仕上がってましたし
脚もふくらはぎは短距離走選手みたいに引き締まって、太ももはレスリング選手みたいにカッチカチでした
この身体で訓練の本来の距離の坂道3往復をやってもへっちゃらな程、心肺機能も鍛えられた様です。
これは、遠江国に居る徳川家家臣の皆さんは鍛えられまくるんだろうな。頑張って!としか言えませんが。
で、俺が2人に捕まっていたら、
「これ!小平太と平八郎。私も吉六郎殿と少々お話をしたいのですから、そろそろ代わりなさい」
於大様から俺と話がしたいなんて言われましたよ。何故だ?
で、於大様の部屋へ行きましたよ。侍女の皆さんは全員集合してますが、護衛の皆さんは?
「さて、吉六郎殿。あなたにいくつか聞きたいのですが」
「どの様な事でございますか?」
「母君は、あなたが何歳の時に亡くなられたのですか?」
え?お袋が亡くなった年?確か
「拙者が三歳の時なので、六年前です」
「六年!その間、柴田殿は新たに嫁を取ろうとはしなかったのですか?」
「はい」
「あなたは寂しいとか思わなかったのですか?三歳ならば母親に甘えたい時期なのに」
「そんな事を考える暇も無いほど、父上に日々鍛えられておりましたから」
「柴田殿は主君の織田殿や周りの方からも嫁取りを進められたりは無かったのですか?」
「そこら辺の事は童の拙者には分からない事なので」
そう誤魔化したけど、殿や周りの人が親父に女性を紹介しようにも、40後半の子連れ男と再婚したい年頃の女性なんて居ないだろ。
しかもこの時代の年頃って、10代だろ?そんな若い女性が、自分の父親と年の変わらない厳つい顔の子連れ親父に嫁ぐとか、泣いて拒否するだろ!
それか惚れた男と無理やり駆け落ちとか?最悪無理心中もあり得るし。
俺がそんな事を考えてると
「なんて立派な子なんですか!」
え?於大様?今の会話の何処に泣けるところがありましたか?しかも侍女の皆さんまで
「あの?於大様?」
「きっと柴田殿の子育てが厳しくも愛情に溢れているから、吉六郎殿は立派で賢く強い子に育ったのですね!
まだ母親に甘えたい頃から、弱音も吐かずに己を律するなんて」
え〜と於大様?過大評価にも程が有るのですが。これ、どうやって場を収めようか?
「吉六郎殿。近くへ来てください」
何故?とりあえず寄るけど。で、寄ったら
「失礼しますね」
いきなり頭を撫でられながら
「吉六郎殿。あなたはまだ元服前の子なのです。たまには年相応な振る舞いをしても、誰も咎めぬと思います。だから」
「於大様。そのお気持ちは大変ありがたいのですが、今の戦乱の世では武士の子に産まれた以上、年は関係無いのです。
それに拙者が年相応の童だったなら、父上は心配で戦へ出陣も出来ませぬ。
しかし父上が拙者の側に居らず出陣しているという事は「自分が出陣しても領地を任せられる」という信頼の証だと思っております。なので、お気持ちだけいただきたいと思います。では、失礼」
そう言って吉六郎は部屋を出た。
残った於大達は
「幼いながらにお父上に心配をかけさせまいとする心意気と覚悟は立派としか言えませぬ。三郎もあれくらいの気概を持ってほしいものですね」
吉六郎と比べて信康の行く末に不安を感じていた。




