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門出は音を立てずに


 湊楼(しんろう)家の執事として採用された。

 祐樹がその現実を飲み込むまで、数日を要した。


 姉妹にセクハラされてあれから、後で使いを寄越すと一方的な宣告を受け祐樹は家に突き返された。


 電話の類を所有してないのもあって、待っている状態が今日まで続く。


「お兄ぃなら受かると思ってたよ~。

 ほら、ウチの自慢のお兄ぃなんだから、シャキっとしてないとっ」


「そう言いながら抱き着かないで雛ってば……」


 湊楼家から帰って吉報を届けてからというのも、妹は毎日満面の笑みだ。


 肩に首を乗せてくるものだから、癖っ毛のミディアムヘアが頬をくすぐる。

 こそばゆい想いで、祐樹は丸い食卓の前であぐらを掻いたまま、築年数を窺わせるボロボロの電灯を見上げる。


「これからどうなるかなぁ……」


「湊楼家の専属執事なら、向こうに住むことになるかもね~」


「そうだね。念の為、荷作りはしておいたけど。

 ……雛だけここに残すことになるのは、嫌だな」


「だめだよ? 稼ぎ時なんだから、ちゃんと妹離れしなきゃ」


 冗談めかして、雛は声の調子を優し気に落とす。


 ここで兄が執着するのを、妹は望まないだろう。


 けども、首に回す両腕は、言葉とは裏腹にしがみ付くような力加減で、大人になろうとしている妹の頭を、祐樹は撫でる。


「雛は偉いね」


「ん……」


 瞼を閉じて、頬を擦り付ける様に顔を寄せ合う。


 そんな時間に浸っていた頃、唐突にインターホンの音が鳴り響いた。


(――来た)


 直観でそう判断した祐樹よりも早く、雛が玄関に向かう。


 兄妹故か、同じ確信を彼女も持っていたのだろう。

 覗き窓に目を通す時間すら惜しんで、ドアを開く雛に祐樹も続く。


 扉の先には、見惚れる程に燕尾服を着こなした、長身痩躯の女性が立っていた。


 姉妹が告げた通りの“使い”そのものの出で立ちは祐樹が自身の“これから”を重ねるのに十分だったし、何より彼女が目を引くのは、本格的な洋装よりも、外国の血筋を匂わせる精緻なまでに整った顔立ちだった。


 ぞっとする程冷たい青い瞳を伏せ、顎の高さで切り揃えられた髪は真っ白で、所謂アルピノという奴だろうか――男装の麗人とでも呼べる容貌も合わさって、立っているだけでこの場が異国に変わり果てた錯覚さえ抱く。


 それ程までの存在感を放つ彼女が、薄い唇を粛々(しゅくしゅく)と開く。


「お初にお目にかかります。

 湊楼の屋敷にて執事長を務めております、飼詠(かえい)怜悧(れいり)と申します。この度はお嬢様の命により、相川祐樹様のお迎えに上がりました」


 右腕を胸に沿わせるようにして、綺麗に腰を折り礼をする執事長の前で、祐樹は覚悟を固めた。



 怜悧に連れられ外に出ると、黒塗りの高級車が待っていた。


 安さだけが売りのアパートの殺風景な駐車場で、その一台はあまりにも場違いで何度も瞼を擦ったが、怜悧は淡々と後方のドアを開くと、祐樹をそこへ導いた。


「やぁいらっしゃい! 待ってたよ相川君!」


「待望。登場。今日の主賓」


 休日だと言うのに以前も見た白衣とパーカーの制服コーデで、ハイテンションの湊楼姉妹が後部座席に座っていた。


「ささ! 道中積もる話もあることだし、真ん中に座り給え!」

「たまえたまえ」

「え、あっ、ちょっと!?」


 相変らずのペースで慧が祐樹を乗り込ませ、郁が待ち侘びた様に空いたスペースをぽんぽんと叩く。観念してお尻を滑らせれば、考えの読めない双子は広々とした車内なのも構わずに、また祐樹の両腕に手を回してくる。


 怜悧が車を動かすも、驚くほど静かな走り出し。豪奢な内装のせいか空気を吸っても金を取られる様な気がして、異性に触れられてることへの緊張よりも祐樹はそっちに気を取られている。


 こんな調子で屋敷までもつのかと、先に思いやられる祐樹の顔を、慧が煌めく瞳で覗き見る。


「時に相川君。君の執事服を誂えてきたんだが」


「え? 丈なんてまだ測ってないんじゃ……」


「こないだ。お身体。さわさわした」


「そうだぞぅ。目的もない痴漢行為だとでも思っていたかね?」


「……思ってました」


「心外。憤慨。現物。着用」


「話が早いな郁! 

 早速着せ替えタイムといこうか。相川君?」


 郁が下ろし立ての燕尾服をどこからか持ち出す。


 慧が指先をわきわきと嫌らしい手付きで嗤っている。


 我関せずと、執事長は運転を続けている。


 音の一切を遮断した黒塗りの高級車の中で、祐樹は剥かれた。


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