第1話 こんにちは、世界 Hello,World (8)
道すがら、はると らながこの街について教えてくれた。
この街は噴水広場を中心に、北側に半円状に広がっている。時計の文字盤でたとえると、9時から3時までの12時側に街があるというわけだ。噴水広場からその街を6つの扇形に分割するように大通りが走っていて、その大通りで分けられた区画を「街区」と街の住人は呼んでいる。
その街区には、西から順に時計回りに第1から第6までの番号が振られていて、ぼくの住まいになる部屋がある第6街区はもっとも東の街区だ。これらの街区は「第1街区」「第4街区」なんて呼ばれているけど、時計の文字盤のたとえを援用して、第1街区のことを「9時の街」、第4街区のことを「12時の街」と呼んだりもする。ぼくは、そっちのほうがわかりやすいなと思った。だから、第6街区は「2時の街」ってわけだね。
街の南には東西に川が流れていて、北側の街の領域と南側の森や草原の地域とに隔てている。えあが住んでいる家――街の住人が「丘の上の家」と呼ぶ家――は南側にあるけど、街の一部と認識されている。時計の文字盤で言うと、6時ぐらいの位置にある。
街にはたくさんのアパルトマンあるらしく、空き部屋も多いらしい。水道や電気、ガスも完備されている。ゴミもアパルトマンのダストシュートから廃棄すればいい。
「でもね。わたしたちは、その水や電気、ガスがどこから供給されているか、知らないんだ。ゴミもどうなっているのかわからない。いつの間にかなくなってるんだ」
第4街区の通りを歩きながら、らなはぼくにそう説明してくれた。
「そんなことってあるんですか?」
「最初は不思議だったけどね、もう慣れちゃった。キミもすぐに慣れるよ」
第4街区には幅20mほどの大きい街路が東西に走っていて、これは第3街区にある時計台の前まで続いている。通りの名前は「オイラー通り」というらしい。このオイラー通りの両側にブティックが立ち並んでいる。15軒ぐらいあるだろうか。住人500人ぐらいの街なのに、思ったよりたくさんある。ただ、確かにぼくの想像するような服屋じゃない。ディスプレイされているのは服ではなく、紙に描かれた服の絵だった。
らなはそのうちの1軒を選ぶ。店の名前は「PESTALOZZI」…。ペスタロッチって読むのかな? ぼくたちはドアを開けて、中に入る。
からん。
らなが中に声をかける。
「こんにちはー。なぎさん、お客さん連れてきたよ」
店に入ると、奥にあるカウンターの向こうに座る若い男性と、手前の椅子に座ってファイルのようなものを見ている、きれいな黒髪の女性がいた。いや、この女性、だいぶ小柄で大人じゃないような…? その女性が振り返ってこちらを見る。目が合った。花の髪留めピンがきらりと輝く。らなが声を上げた。
「あら! えあちゃん! こんにちは!」
「え…? らなっち?」
その女性は今朝「丘の上の家」で会った少女 えあだった。驚いた表情でこっちを見ている。カウンターの奥に座る若い男性もぼくたちを見て立ち上がった。
「らなさん。こんにちは。いつもありがとうございます」
「いえいえー。なぎさん、こちらこそいつもありがとです! でも、えあちゃんがいるってことは…」
らなはきょろきょろ店内を見回す。えあが らなのそのしぐさを見て笑う。
「ねねっちはお休みだよ。今日は別の男の人。外で待ってる」
「そっか。気づかなかったな。わたしの知らない人なのかなー」
「今日は…こーた…さんの服、見に来たの?」
えあが らなの後ろにいるぼくを覗き込むように見て、そう言った。らなは笑顔でうなづく。なぎと呼ばれた男性はごそごそとカウンターの下からスケッチブックを取り出した。
「デザインする感じですか? らなさんの? それとも、そちらの男性の?」
デザイン? ぼくはわからずに、らなを見る。らなは両手を前で振って、なぎに説明する。
「ごめん、なぎさん。今日はわたしじゃなくて、彼。この子、今朝来たばっかりだから手持ち少なくて。ファイルのほうでお願いできますか?」
「ああ! 新しい住人の方ですか。どうりで。なぎです。よろしく! とてもお若いですね!」
なぎはぼくに快活に挨拶をした。ぼくも挨拶を返す。
「こーたです。よろしくお願いします」
「要望、了解です。では、男性のファイルを用意しますね。その服装ということは、上下と…靴もだな…」
なぎはそう言うと、カウンターから出てきて、店の棚にあるファイルを探している。それを見ながら、らながぼくの耳元で囁いた。
「デザインっていうのはね、希望を伝えて一から服のデザインを決めていくこと。ファイルっていうのは、すでにある服のデザイン画から選ぶこと。デザインすると上下で合わせで7000円ぐらいからが相場かな。こだわりがあると時間がかかるから高くなるよ。ファイルなら500円とか800円とかからあるの。覚えておくといいよ」
「へえ…高いのか安いのかよくわからないな…」
「ま、こういうお店でデザインを依頼するには、ある程度仕事して、お金稼がないと無理だね。それが目的で働く人も多いけどね」
「こーたさん、お待たせしました」
らながぼくにそう説明したとき、なぎがぼくたちに声をかけた。カウンターの上にはファイルが2冊置かれていた。はるは興味ないのか、えあと話しているようだ。ぼくたちはカウンターに近づいて、なぎの説明を聞く。
「こっちのファイルは上下セットのものです。後ろのほうに合わせる靴の絵がありますよ。こっちのファイルは上、下、靴をそれぞれファイルしたものです。お好みに合わせて選んでいただく場合はこちらですね」
ぼくはぱらぱらとファイルのページをめくる。たくさんの服の絵があって、どれもなんかかっこよさそうだけど、服を自分で買った経験が少なくて、どれが自分に合いそうかわからない。
「…こんな服の選び方、したことないな」
「そうですよね。通販ぽくてすみません。試着できないのがこの世界の悪いところですよ」
ぼくはそういう意味で言ったわけではなかったんだけど、なぎは服屋らしい返事をした。らなは選んでいるぼくのそばから離れて、えあたちのところで会話にまじっている。
ぼくはぱらぱらとファイルをめくっているけど、どれがいいもんだかわからない。なぎはそんなぼくの様子をしばらく見て、あるページですっと手をファイルにのばした。ぼくがなぎの顔を見ると、彼はにこりと笑う。
「この合わせなんていかがですか? お好みではない感じですか?」
「え? ああ、いいかも…」
「じゃあ、ここに付箋をつけますね。もうちょっと選びましょうか」
そうして、なぎはときどきファイルをめくるぼくの手を止めて、そのページの服についてぼくの感想を聞く。ぼくがいいと思ったものに付箋をつけていき、3つ目の付箋がついたとき、なぎは3つつけた付箋のページのどの服が気に入ったか、と聞いてきた。ぼくは実は最初に付箋をつけた服はあんまりよくないと思っていたので、2つ目の付箋をつけたページの服――フードのついた灰色のパーカーと白いシャツ、それに紺のジーンズ――を選んだ。同じようにして、靴も選ぶ。なぎのおかげであっという間に選ぶことができた。
なぎはにっこり笑うと、ファイルから2ページを取り外して、ぼくに渡す。
「この2ページですね。お代はあわせて2500円です。この金額で大丈夫ですか? 大丈夫でしたら、そちらの『フィッティングルーム』でトークンを取り出して、絵を見ながら念じてください。お支払いはその後で結構ですので」
そう言うと、なぎは店の奥のほうを示す。そこには細長い試着室のようなスペースが設けられていた。ぼくはうなづいたものの、いまひとつよくわからないまま2枚の絵を手に『フィッティングルーム』に入る。狭いけど、室内には台のようなものがあった。小さい明かりがついていて、絵を見ることはできる。らなに教えてもらったとおり、ぼくはあのブリキのおもちゃ――これから「駒」って呼ぼう――を台の上にことりと置くと、絵を見ながら手をかざした。
ぼくは絵を見ていたから「駒」をじっと見つめていたわけじゃないんだけど、いつしか「駒」の周囲がにじむようにぼやけていた。ぼくはその変化に驚いて絵から目を離す。だけど、ぼくが見つめたときにはもう「駒」の周囲は正常に戻っていた。いや、「駒」の前には絵と同じ、パーカーやシャツ、ジーンズがあって…ずるりと台の上からぼくの足元にすべりおちた。ぼくはあわてて拾い上げる。どれも本物…幻じゃない?! ぼくは興奮して、それらの服を足元に置くと、靴の絵を見て、同じように「駒」に手をかざす。「駒」の周囲がまたぼやけた。ぼくが目をこらしたときにはそこにスニーカーが現れている! なんだ、この力!? すごいじゃないか…。なんでも手に入れられる?