第1話 こんにちは、世界 Hello,World (4)
「れおさん、おはよう! はるさんも一緒なんだ」
「らなさん、おはようございます。おや、こちらの方は…」
男性のほうがらなに話しかけた。男性はとても背が高い。ぼくも170センチはあるけど、見上げる感じになりそうだ。白いシャツの上に濃紺ジャケット、それに細い黒のジーンズ。目をひいたのはジャケットの左襟につけている、4つの花弁の白い花を模したフェルトの飾りだった。らながぼくのほうを見て、二人にぼくを紹介する。
「新しい住人さん。こーたくん。17歳」
「へえ~、17? えらい若いやん? ここでいっちゃん若いんとちゃう?」
すると、後ろに立っていた女性が覗き込むようにしてそう言った。関西の言葉? でも、すごく軽やかな声だ。その女性は、長い髪をシュシュでまとめて、ベージュのブラウスとブロックチェックのロングスカートを着た上品な雰囲気で、失礼ながらぼくの「関西弁の女性」のイメージとかなりちがう人だった。
「こーたさんですか。わたしは れおと言います。よろしくお願いしますね」
れおはぼくにそう自己紹介をして、右手を差し出した。一瞬、きょとんとしたぼくは、それが握手の合図だと気づいて、あわてて立ち上がって れおの手を取って握手する。
「はじめまして、こーたです。よろしくお願いします…」
「緊張しなくて大丈夫ですよ。らなさん、ありがとうございました。どうしましょうか、彼への説明はわたしのほうで引き取りますが…」
れおは らなにそう尋ねる。らなはうなづいて答えた。
「じゃあ、わたしは はるさんの相手、しとくね」
「なんや、らなちゃん。うちと飲みたいんか?」
らなは立ち上がると、れおに席を譲った。れおがぼくの正面に座る。ぼくのすぐそばにもう一人の女性が近づいてきた。
「うちも自己紹介しとくな。はる、言います。よろしゅうね」
「は、はい。こーたです。よろしくお願いします」
はるは らなと一緒に隣のテーブルに座った。はるはバッグの中から何か陶器の小さなものを取り出した。…あれ、お猪口じゃないか?
ぼくは れおの顔を見る。自警団の団長と聞いていたから、もっと年配の人かと思ったけど、らなと同年代…3、4歳ぐらい上ぐらいじゃないかな。髪は短く切りそろえている。イケメンとはちょっとちがうけど、精悍な顔つきに思えた。
れおがぼくを見て、にこりと笑う。
「こーたさんはお若いのに、落ち着いていますね。ここに来られた新しい住人さんは結構、混乱しているものなのですが」
「いえ、ぼくも混乱していました。らなさんがさっきまでいろいろ説明してくれたので。それで、たぶん落ち着いたんだと思います」
「ああ! 彼女からいろいろ聞いたのですね」
れおは眉を動かして、腑に落ちたという表情をする。そして、隣の席のらなをちらりと見てこう言った。
「彼女は不思議な人です。話しているといつの間にか心がほぐれる。そんな力がありますね」
そうかもしれない。ぼくも彼女と話しているときは全然緊張しなかった。
「さて。そうすると…すでにご存じの部分も出てくるかもしれませんが、おつきあいください。まず、ここが現実世界とはちがう、別の世界です。信じがたいと思いますが。わたしたちは便宜的にここを『まーる』と呼んでいます」
「まーる?」
「その名前に意味はありません。むしろ意味のない名前を選んだ、というほうが正しいでしょう。まーるでは、現実世界では考えられない不思議な現象が起こります。いくつかありますが、大きいものは次の二つで、一つはトークンの力、もう一つは世界のリセットです」
トークンはさっき使ったのである程度わかる。もう一つの世界のリセットはなんだろう。
「こーたさんは、この世界に来たときに何か小さいものをお持ちではありませんでしたか?」
「ええ、これです。さっき、ポケットでお金を取り出しました」
ぼくはポケットの中からブリキのおもちゃを取り出した。れおがそれを見てうなづく。
「そうですか。お金の取り出し方は らなさんに聞いたのですね。トークンの使い方にはいくつか制限がありますので、それをご説明します。
まず、とても大事なことですが、トークンを使うためには『閉じられた空間』であり『その空間を占有している』ことが必要です。『閉じられた空間』の条件はそれほど厳密でなく、ポケット程度の密閉でも力を発動することができます」
れおがそこまで話したとき、はるが れおの前にコーヒーを置いた。れおが はるに礼を言う。その彼女は…とっくりを持っている? れおがそれを見て苦笑した。
「ありがとうございます。今日も朝から飲むのですか?」
「んー。飲みとーなったら飲むんが はる流やからね。カルペ・ディエムや。今日はボラ休みやし。らなちゃんも飲んでくれるて、ゆーてる」
「言ってない! 飲まないよー!」
向こうの席から らなが笑いながら否定する。はるはぼくたちに手を振って、席に戻った。れおは笑みを浮かべて、ぼくのほうを向いて話した。
「はるさんはこの店で唯一、朝からお酒の提供が許されている人です」
「へえ…どうしてです?」
「『高貴な責務』という制度がこの街にありましてね。それは後でお話ししましょう」
れおはそこで話を戻した。
「トークンの発動条件の話でしたね。『その空間を占有している』というのは、閉じられた空間で力を発動できるトークンはつねに一つだけ、ということです。これは最初にトークンがその空間を占有すると、その空間にある限りはずっと占有できる、と理解すればいいでしょう」
少しわかりにくい話だけど、とにかくトークンを使うには、閉じられていて、そこに他にトークンがない環境が必要ってことか。ぼくはうんうんとうなづいた。
「トークンから1日に取り出せるお金の額に制限があります。だいたい1万円ぐらいですね。これは翌日には回復します。また1日のうちに複数回取り出すと、次回は前回に取り出した額の半分ぐらいになります」
「それ、さっき試してみました」
「はは、そうですか。二回目、がっかりしたでしょう? わたしも初めて取り出したとき、がっかりしたものです。半分かよ~ってね」
れおはそう言ってにこりと笑った。ぼくは れおに質問した。
「モノを取り出す量に制限はないんですか?」
「モノにもありますね。ただ、モノの場合、具体的な場面としてはそれが『取り出せるか取り出せないか』という形で表れるので、制限として感じることはあまりないでしょうね」
「それ、あるモノが取り出せたり、取り出せなかったり、っていうことがある、という意味ですか?」
「ほう、こーたさん、鋭いですね! そのとおりです。トークンから1日に取り出せるお金の上限を増やすことができないのですが、モノについてはお金を使うことで量を増やすことができるんです。その作業をチャージというのですが」
チャージ? まるで電子マネーみたいだな。
「チャージは非常に簡単で、トークンの下にお金を置いて、2、3秒、手をかざすだけです。ただ、そのお金は消えてしまって、しかも再びお金として出すことができなくなるので、うっかりチャージすることがないようにして注意してください」
「それ、どんなときに使うんです?」
「そうですね…。たとえば、こーたさんがギターがほしいとしましょう。おそらく、いまトークンを使っても、ギターを取り出すことはできないでしょうね。でも、毎日お金を貯めてチャージすれば、数日後にはギターを取り出すことができます。わたしの感覚ですが、トークンの『相場』は現実世界よりだいぶ安いですね。あとは、このようなお店を経営する場合ですね。ここだと仕入れがトークン元来の能力ではとてもたりないでしょう」
れおは店内を見回して、そう言った。ぼくもつられて、店内を見回す。確かにこれほどのお店をやろうとするとたくさんのモノが必要だろう。それにしても、トークンって何なんだろう? どうしてこんな能力があるんだろう…?