第1話 こんにちは、世界 Hello,World (3)
『カフェ・プロコープ』はぼくがいままで行った店とは雰囲気がちがうところだ。
こげ茶色の木材で内装は統一されていて、飾り気はないけど、それが落ち着いた雰囲気を醸し出している。入口すぐは広いスペースが設けられていて、テーブルや椅子が並べられている。どれもシンプルだけど、シンプルだからセンスを感じるというのかな。店の奥のほうにはカウンターがあって、そこは少し様子がちがう。いろいろな大きさのグラスがつりさげられていて、奥の棚にはぼくが見たこともない、外国のお酒の瓶が所狭しと並んでいた。カウンターのさらに奥には、2階にのぼる階段とその手前にとても大きい掲示スペースが設けられていて、たくさんの紙が貼られているようだ。
なんとなくだけど、ぼくがこういう店に来るのはまだちょっと早いのかもしれないな。
「そこの席に座って、待っていて」
彼女はそう言うと、カウンターのほうに歩いていった。ぼくは彼女が指さした4人掛けのテーブルの奥の椅子に腰かける。カウンターで注文する女性の後ろ姿を眺めながら、ぼくはさっき手にしていたブリキのおもちゃを机の上に置いた。見ず知らずの人にただごちそうしてもらうのはやっぱり気が引ける。お礼にこれを…でも、こんなもの、もらってくれるかな。
しばらくして、彼女が二人分のクロワッサンとカフェオレを持って席に戻ってきた。ぼくの正面の席に座ると、クロワッサンとカフェオレを渡してくれる。
「そういえば、まだ自己紹介してなかったね。わたしは らな。よろしくね!」
「あ、すみません! ぼくは こーたっていいます。はじめまして…」
「ふーん、こーたくんね。…それ、キミのトークン?」
らなはぼくの目の前にある、あのブリキのおもちゃを指さして言った。
トークン? 象徴とか印とかの意味の単語だよな。何のことだろう。
「なんか、そんな駒を使ってやるボードゲームがあったね!」
「はぁ。何だかわからないんですけど、ぼくの持ってるもの、これだけなんで…。こんなものでもよければお礼に…」
「それをあげるなんてとんでもない!」
らなはカフェオレボウルを両手で持ちながら、笑った。
とんでもない? どうして? ぼくがきょとんとしていると、らなはカフェオレを一口飲むと、こう言った。
「じゃあね。こーたくん、わたしへのお礼にと思って、そのトークンをポケットに入れて、上から手を添えて『お金がほしい~!』って思ってみて」
「…え?」
「お願い、やってみせてよ。別に声、出さなくていいから」
なんだろう、それ…。変なことをやらせる人だな。まぁ声を出さなくていいならいっか。ぼくはそのブリキのおもちゃをポケットに戻すと、ポケットの上から手を添えて「お金がほしい」と願った。
「…これでいいですか?」
ぼくは顔を上げて らなにそう言った。らなはちぎったクロワッサンをカフェオレに浸している。
「ありがと。ポケットの中に何かない?」
「?」
ぼくはトークンを入れたポケットに手を入れる。そこにはトークンと…何枚かの紙? ぼくは紙のようなものを取り出してみる。それは千円札5枚だった。
「…えええ??」
「トークンはそういう不思議な力を持っているの。そのトークンを使えるのはキミだけ。だけど、だからといってあげたり捨てたりしちゃダメだよ?」
どういうことだろう? 魔法? もう一度ぼくはポケットに手を添えて「100万円ほしい!」と願った。そして、ポケットに手を入れる。何枚かの紙と…硬貨? ぼくはそれらをつかんで取り出してみる。らなは、手のひらでお金を数えているぼくに気づいて言った。
「なに? もう一回やってみたの?」
「はい。二回目は…2562円しか出てこなかったです」
「そうだね、それで正常だよ。前回の半分くらいしか出てこないから。あ。ここはわたしのおごりだから、全部しまっておいてね」
らなはぼくにやさしくそう言う。ぼくはお金をポケットに戻すと、カフェオレボウルを手に取った。トークンの力はわかった…けど、同時にここが現実世界じゃないってこともわかった。こんな不思議な力、ぼくが暮らしていた世界にはない!
「ここは…現実世界じゃないんですか?」
「そうだね。ここはキミが眠る前までにいた世界じゃない」
らなはぼくの目を見つめて、真剣な表情できっぱりと言った。そして、すぐにやわらかい表情に戻る。
「質問したいこと、たくさんあるだろうけど、わたしも全部わかっているわけじゃないんだ。クロワッサン食べてね、ここのおいしいから」
ぼくは らなにすすめられて、クロワッサンをかじる。甘い。夢でもこんなに甘いクロワッサンがあるのかな。何がなんだか、よくわからなくなってきた。
「キミ、その格好からすると、高校生かな? いくつ?」
「17です」
「若いね! そうすると、この街で一番若いんじゃないかな。えあちゃんを除くと」
らなはそう言って笑う。この人はいくつなんだろう? 25ぐらいかな。大人の女性の余裕なのか、話していてもそんなに緊張しない。
「この格好、ださいですよね。どっかに服や靴、売ってるとこ、ないですか?」
「ブティックのことかな? あるよ。第4街区に集まってるね。キミが想像するお店とちょっとちがうけど…」
「想像とちがう…?」
「うん。服や靴そのものを買うわけじゃないんだ。お金を払って絵を借りるの」
らなが妙なことを言い出した。絵だって? ぼくは服の話をしているんだけどな。眉を寄せているぼくを見て、らなはカフェオレボウルを両手で持って、説明してくれた。
「ふふ、わかんないか。ええとね。トークンは、お金だけじゃなくて、モノも取り出すことができるんだ。でも、モノの場合、所有者の想像力に完全に依存していて、お金ほど簡単に取り出せない。たとえば、『シャツがほしい』って願うだけだと、キミのサイズにあう真っ白なシャツしか出てこない。それでよければいいけど、おしゃれもしたいでしょ?」
そう言って、彼女はぼくを見つめながらカフェオレを口に含む。
「ブティックはね、デザイナーさんがキミの望む服や靴を絵にしてくれるところ。その絵を見つめながら、トークンに『この服がほしい』って願うとそのとおりの服ができるんだ。デザイナーさんによっては提案してくれる人もいるしね。わたしが着ているこの服もそうやって手に入れたんだよ」
「え、それって、オーダーメイドの服がつくれるってことですか?」
「まあね。ブティックによっては、あらかじめ絵を用意していて、そこから選ぶこともできるよ。やっぱり一から絵にするのは時間がかかるし、その分高いしね」
らなはカフェオレボウルを机の上に置くと、腕時計を見る。そうして、店の入口に顔を向けた。ぼくはクロワッサンの最後のかけらを口に放り込んで、カフェオレを飲む。らなが顔を向けずにぼくに言った。
「8時を過ぎてるから、そろそろだと思うんだ」
「何がですか?」
「れおさんが来るの」
ああ。そうだ。その人にいろいろと説明してもらわなきゃいけないんだった。
急にらなが手をあげて振った。ぼくが彼女の視線の先を見ると、店の入口に二人の男女がはいってきたところだった。二人はらなに気づいたらしく、ぼくたちが座る席に近づいてきた。