第11話 漆黒の鍵と深紅の心
「リクル! 後ろを見ないで、早く走るんだ!」
おれはフレイアに押されつつ、森の道を駆け抜けた。後ろになにがあるかなんてもう分かり切っている。大量の幻獣達がおれたちを追ってきているのだ。なんだかもうイヤになってきた。
「ゴメン、フレイア」
「どうしました、リクル」
「おれが無力なだけで、アンタまで巻き込んじゃって。おれがいなかったらフレイアは楽々と一人で切り抜けられるのにね」
「何故……俺の実力を知っているんです?」
「実際に見たからだよ……あ、さっきのは聞き流して。おれの中の誰かが言っているから」
フレイアは疑っているような顔をしたが、おれはあえてそれを無視しておいた。今は逃げ切ることでいっぱいだ。おれが武器を持っていたらいいのにな……って今更思ってしまう。
おれが暴走したとき……真っ黒い刀身の武器を持っていたって言ってたな。あれはただの幻だったらしいけど、本物に近かったって。本物ってどのぐらいの威力なんだろう……。
「いいですか、リクル。無茶なことは決して考えないで。今は俺が付いているから」
「うん……分かってるから」
おれは不意にフレイアの手をぎゅっと握ってしまった。そうだよね、おれの中の誰か。今はフレイアが居るんだし。それに、もう二度とあんな死に方をさせないってこの人に誓ったんだよね……
その手を握ったまま、おれたちは木々を避け、草むらをかき分けながら森の中心部に向かう。もう少し……もう少しでたどり着くはずだ……。
「リクル……俺の後ろに隠れて」
「どうしらんだ、イテ、舌噛んだ」
「何か見えない威圧感と……気配がする」
フレイアの言う通り、何か大きなプレッシャーらしきものを感じた。それは地面から足を伝わって心に直接響いてくるようで、強者だけが放つ大きな力の波のようだった。
フレイアは二振りの剣を両手に構え、広場の方に向かって少しずつ歩きだす。おれは彼の背中にぴったりと寄り添って、遅れないように必死で付いてきた。彼の青いマフラーが頬に当たって、変な感触がしたけど。
「おまえたち、御苦労だったね……」
さっきまで追ってきた幻獣達は目の前にいる少女、カレニアスのもとへと寄り添っていった。彼女は薄い青の腰まである髪を揺らしながら、おれたちの方へと近づいてくる。
「“フェンリル”の能力を持つリクルァンティエリル、それに“グリフォン”の能力を持つフレイア・リゼル・グリアロス・ティエリルがわたしの相手になってくれるとはね。この子たちも喜ぶでしょう」
カレニアスは一番近くにいたグリフォンそっくりの幻獣を優しく撫でた。その幻獣は雌のようで、甲高い声でカレニアスに答えた。その時のカレニアスはとても優しそうに見えた。
「この子はグリフィン。グリフォンの親戚ってところね。でもこの子は魔獣みたいに凶悪で、乱暴ではないの」
「何を言う、カレニアス。魔獣は……愚かなる“神”を打ち滅ぼすために生まれたのだ。神の飼い犬の幻獣とは一緒にしてもらいたくはない……」
フレイアにも人間の頃の意識が残っているのか、その言葉を言うのにとても辛そうだった。おれだって魔獣を悪く言われると怒るだろうけど、敵に厳しく当たろうとは思わない……何故、こんな戦いが起こってしまったのかも分からないのに……
カレニアスは口元に小さく笑みを浮かべると、傍に居た数体の幻獣を呼び寄せ、自分も光の剣を抜いて幻獣達の前に立った。
フレイアはおれの前に進み出ると、二振りの剣をおれと自分の前に翳した。その剣からは淡い翠色のオーラが溢れ出し、剣のからフレイアの腕にかけて光を灯していた。
「フレイア……」
「安心して。貴方を絶対に護ってみせますから」
カレニアスは神秘的な青い瞳を真っ直ぐにこちらに向け、白い光の刃を右手に構えている。その表情からは満ち溢れた自信と余裕が窺える。
それに比べ、このおれはなんだ? 仲間の影に隠れ、武器も持たずに怯えているだけじゃないか。自分が嫌いだ……。こんな、護られているだけの自分が大嫌いだ。おれだって誰かの役に立ちたい。誰かの為に……働きたい。
「……あなたは存在しているだけで誰かの役に立っている」
おれは驚いて声がした方を見上げた。そこでは、彼がいつもの笑顔を浮かべている。見た者を癒す、心やさしい笑みだ。彼だけが、フレイアだけがおれの心の内を理解してくれるんだ。
「あなたの存在が、世界を救うことにもなるのです。時には破壊と絶望を呼びかねない能力でも、世界を護ることができるのです、師匠……」
「え? 最後なんて言ったの」
「……いえ。とにかく、俺の後ろに隠れていてください。何かあったら合図しますから、すぐに逃げてくださいね」
「フレイアも……一緒についてきてくれるよね? 逃げてくれるよね」
その質問にフレイアは答えず、笑顔を返したのみだった。それからまた正面のカレニアスに視線を戻すと、一瞬だけおれの知らないような厳しい顔つきになった。
「まだあの事を覚えているのかしら、坊や」
「俺はもう子供ではない。今は……魔獣族の一流の軍人だ。それに、今は新しく護るべき人が居る。愛しい人が居るんだ。過去の事を後悔してももう遅い……」
「と、言ってるわりには手が震えているじゃないの。あの時、あたしたちに挑んだのは大きな間違いだったわね」
「………」
フレイアは悔しそうに、片方の剣を地面に突き刺した。おれには何があったのかは分からないけど、フレイアが小さいころ、カレニアスたちに挑戦したがボロ負けしてしまったらしい……ってカレニアスは今何歳!?
「ごめんなさい……リクル」
「フレイアが謝ることじゃないよ。何があったのかは知らないけど、あんたが謝ることじゃない。分かってよ……」
負けるのは悪いことじゃない。失敗してからこそ成功を得ることができるから。たとえ、それが重要な試合……もしかしたら、殺し合いかもしれないけど。それで負けたとしたら……やっぱり慰めるのは難しすぎる。
「ありがとう、リクル。わざわざ俺を慰めてくれようとして」
「いいんだって。おれだってあんたから何度も助けてもらったし」
おれはフレイアに笑いかけたあと、自分たちの周りを取り囲む幻獣達に気づいた。フレイアが地面にささった剣を抜き、おれに背を預けて反対側を向いた。
「その……暴走時みたいに強い力を使えたらいいんだけどな」
「いいえ、リクル。力だけが本当の強さじゃない。時には他の“強さ”も必要となるのです」
―――こういう時になると、おれの好きな本では主人公が立派な武器を手に入れるんだよな。これが夢だったら、おれの目指すストーリーになってくれるはずなんだけど……
そう思い、おれは自分の左腕にはめられたブレスレットに手をかざした。すると、あの時感じたようなまばゆい紅の光と共に、何か固いものが現れた。
「―――それは……」
「これは何なの? このゴツゴツしたものは……」
「“漆黒の鍵”では? “ドラグーン・クラウン”と並ぶ12の秘宝の一つです」
「じ……じゃあ、コレは宝物かなんかなの!? そんなものおれが持って……ってわぁ!?」
姿を現した漆黒の鍵は、真っ黒の刀身の大ぶりの剣だった。柄の部分が鍵のような模様をしていて、言葉にできないほど綺麗だった。こんな立派なものおれが持っていてもいいのだろうか。
「これは、初代がお亡くなりになられる前に持っていらしたたった一つの武器です。この漆黒の鍵は決められた持ち主以外、誰も触れることができません。まさか、そのブレスレットが鍵の一部だったとは……」
「鍵の一部? それってどういうことなの」
「“ドラグーン・クラウン”にもこのブレスレットについている緑の宝石が必要だって言ったでしょう? 創主達がつくりだした12の秘宝には、それぞれ誰のものかは決められているのです。グレイルが持っている“空の砂時計”にも一部のパーツが足りませんでした。それをグレイルは持っていたのです。……簡単に説明しますと、決められた持ち主はその秘宝を操る特殊な“何か”を持っていることになるのです」
「う……うん。大体分かった。コイツがどこまでの力を持つかなんて分からないけど……でも、どうやって倒せば……」
おれが躊躇している間、フレイアは目にも止まらぬ速さで幻獣の正面まで駆けだすと、一瞬にして幻獣を切り裂いた―――と思ったら、幻獣は跡形もなく煙と共に消えてしまったではないか!
「御覧の通り、彼らはマボロシなのですよ。だから幻獣なのです。でも、残念ながら魔獣は実際に居ますけどね。だから何も怖がる意味はない。さぁ、急いで!」
おれも転びそうになりながら幻獣に走り寄り、見よう見まねで横にえいっと剣を振った。見事に避けられたかのように思えたが、いとも簡単に幻獣は煙とともに消えてしまった。もしかして、この漆黒の鍵の仕業なのだろうか。
「たとえ幻といえど、相手は攻撃だってしてきますよ! もし、それを食らったら通常通りダメージを受けます。避けつつ、切り裂いて倒すのです!」
「そうは言っても! 運動力ゼロのおれがそんな立派なことできるわけないじゃないかっ こうなりゃ……ヤケクソだっ!」
ヤケクソでも、30体ほどに膨れ上がった幻獣たちの群れをほとんど倒すことができた―――5分の4以上がフレイアのお手柄だけど―――。残るはカレニアスとグリフィンだけ、という所まで来たとき、いきなり空が真っ暗になった。
「わわわわわ! 空が真っ黒くろくろに!?」
「落ち着いて、リクル。これは真っ黒になったんじゃない―――何かとてつもなく大きい生き物が、俺達の真上に現れたんです! リクル、こっちまで走ってきて!」
言われた通り、フレイアのもとまで駆けよると素早い動作で抱え上げられ、一気に上空までのぼった。ふとフレイアの背中を見ると、大きな鷹のような翼
が生えていた。
上空から見上げた“それ”は、ひとつの家ほどある図体をしていた。どこかで見たことのある鋭い牙に、立派な爪。それに、無数の鱗とどでかい翼……
「こいつって古龍じゃん! なんで古龍がこんなところに居るんだよっ」
「いえ、リクル。古龍ではありません。これは“幻龍”と呼ばれる、神族の忠実なる僕。運の悪いことに、マボロシではありませんが……」
『§*Θ』
カレニアスは聞いたことのないような言葉で命令を告げると、幻龍を自分の真横に控えさせ、おれたちを妖艶な瞳で見つめてきた。
『Φ§ΩΨЯ』
先ほどよりも少し長い命令を下すと、幻龍は翼をはためかせておれたちの前へと降り立った。おれたちも地面へ降り立つと、じっと剣を構えた。
「この子が“深紅の心”を盗んだ犯人たちのリーダーよ。この子を倒したら“深紅の心”を取り戻すことができるわ。龍人族は頼りがいのある仲間だけど、依頼主を選ばないのよね。だから時によっては幻獣たちの仲間にもなるし、魔獣族の仲間にもなる。不思議よね」
カレニアスはまたおれに笑いかけると、幻術を使って自分の姿を徐々に消していった。
「待て! カレニアスっ」
「あたしには他にすることがあるの。あたしは……真の力を手に入れなくてはならないの。次期魔獣王、リクルァンティエリルを殺してでもね。次はミラルスーダで会いましょう」
「待て! まだ用は終わっていないッ!!」
フレイアが剣を横に一閃するより早く、カレニアスは姿を消し去ってしまった。幻龍は耳をつんざくような鳴き声を上げると、こっちに向かって灼熱のブレスを吐き出してきた。
「うわっ! 熱っ ぎゃあああ! 髪の毛焦げたっ」
「もう少しの辛抱です! これでもリフレクを張っているのですが……」
「マジで熱いって! こんがりリクル、こんがリクルになっちまうって!!」
「……新商品になるかもしれませんね。ほら、やっとブレスが尽きたみたいですよ。さぁ、剣を構えて」
そう言うと、フレイアは一瞬にして幻龍の腹の下まで入り込むと、そこから上に突きあげるように切り裂いた。大量の血しぶきと幻龍の叫び声がとても脳裏に焼きついた。
「リクル! まだあなたは実戦に慣れてはいないと察しますが……ご自分の身を守るためにも、どうか……」
返り血を浴びたフレイアは幻龍の攻撃を飛んで避け、おれの元へ駆け寄った……が、後ろから幻龍の爪が迫り、フレイアの真後ろにまで達していた。
「フレイア! 避けっ……」
おれが言うよりも早く、フレイアは幻龍の右腕を剣で跳ね飛ばした。しかし、フレイアの右腕にも数か所に切り裂かれた跡があり、両方とも大きなダメージを負ってしまった。
「フレイアっ! そこまでして、おれを護らなくても……」
「心配はいりません。ただの切り傷ですって」
「そんな……ただの傷だなんて……でもっ」
「大丈夫、大丈夫ですから。泣かないで、リクル」
いつの間にか、おれの頬は涙で濡れていた。足は震え、手も言うことを聞かない。叫ぶ幻龍を背に、おれはその場に座り込んでしまった。
「言ったでしょう? あなたの剣となり盾となるって。あなたを護るためならば、こんな命は惜しくありません。だから、リクル……」
「分かってる……暴走してはいけないって……分かってるのにッ!」
「リクル? リクル!?」
―――もうすでに、彼にはなんの声も届いていなかった。
「リクル!? どうしたのですかっ」
フレイアの呼びかけにも応じず、リクルはゆっくりと幻龍のもとへ歩み寄った。右手には漆黒の鍵を持ち、空いた左手には紅い光が集まっていた。
リクルは高々と左手を天に向かって掲げた。すると、晴れ渡っていたはずの空を雷を伴った暗雲が覆いつくした。しかも、その雷は通常のものとは異なる、紅を帯びた激しい稲妻だった。
幻龍はリクルのいきなりの豹変に一瞬躊躇したが、古龍とは打って変わって無傷の長い尾をリクルに向けて振り回した。しかし、狼―――魔獣フェンリルの姿をしたリフレクよりも数倍強いオーラが尾を跳ね返した。
普段、暗黒色だったリクルの瞳は今は紅色に怪しく輝いている。その瞳で見据えられた幻龍は少し引き腰になりながらも、唸り声を上げてリクルをにらみ返す。無駄なものだとは思っていても、よほど自分を信じているのか怯えもせず、逃げもしなかった。
リクルは漆黒の鍵を両手で構え、それに紅い雷を纏わせながら幻龍に斬りかかる。その際、幻龍の爪によって頬に一筋の傷が入ったが幻龍を一撃で倒して見せた。普段の彼からは想像できない、素早すぎる動きだった。
漆黒の鍵から血を滴らせつつ、リクルは死にかけた幻龍に軽蔑の視線を向けた。とても慈悲深く、生き物の命を無残に奪うはずがないリクルからは想像もできない。
「リクル! 止めてくれ。もう止めるんだっ!」
フレイアがいくら叫んでも、リクルは幻龍の首筋に剣を振りおろそうとしている。その紅く虚ろな瞳には、感情もなにも映っていなかった。
「リクル!! もう止めるんだっ」
フレイアはリクルの手を止め、自分の胸にリクルを抱き寄せた。
「リクルにだけは……こんなことさせたくなかった。俺がついて居ながらに。元のあなたで居てください。優しくて、誠実な……あなたで」
フレイアがそう耳元で囁いた直後、リクルは糸の切れてしまったマリオネットのように力なく崩れてしまった。フレイアが慌てて抱き起こすと、既に穏やかな寝息を立てていた。
リクルの足元には、紅く輝く“深紅の心”が転がっていた。
「リク〜!! 生きてて良かった……ってあら、眠っちゃってんの?」
昇はフレイアに抱えられ、眠っているリクルの髪を撫でた。こう見ると、昇とリクルは兄弟にも見える。リクルの見た目が幼いからだろうか。
「お疲れ、フレイ。怪我までしちゃって大変だったわねェ。それに、若も可愛い頬に傷跡が。城に帰ったらアリス……は止めた方がいいな。ジェミニに任せたほうがいいかもネ」
レムトもそう言って、元同僚の怪我していない方の肩を叩いた。フレイアも優しげな笑顔を浮かべ、リクルに視線を戻した。
幼くて、穏やかで、どうしても護ってあげたくなるような寝顔だ。とても、自分の甥だとは思えない。実の子供じゃなくても、すべての愛情を注いであげたくなる。
「皆で帰ろう……若が、リクルが言っていたことなんだ。みんなで、またクレアリス城に帰るってね。この約束だけはどうしても果たしたい。もちろん、賛成してくれるよな?」
「当たり前だろ」
「たとえ若の命令じゃなくとも、帰るつもりだ」
「オレだって任務入ってたけどパスしますワ」
「カワイコちゃんの望みはなんでも聞くさ」
「僕も一緒に連れて行ってもらっちゃっていいかな? どうせ帰るところないし」
「ええ……もちろん」
フレイアは満面の笑顔を見せたあと、リクルをいとも軽そうに抱え直すと後ろで控えていた飛龍たち御一行の佇む場所に向かって歩きだした。ルヒラルティーとヴィライツが呼んでくれたお陰で、沢山の飛龍たちが集まってくれたのだ。
「帰ろう……みんなで……」
リクルは寝言を小声で呟いた。それはフレイアにもはっきりと聞こえ、フレイアは黙ってリクルの左手を握った。
<深紅の心 奪還編 完結>
つづく。
長くなりました……。そして、時間が掛かりました。
次回、第12話 魔獣族の秘密!?
隠された魔獣族の秘密と、その種類(?)についてご紹介!!
……と、その前に深紅の心 奪還編のオマケとして、特別編入っちゃいます!
特別編1 クレアリス城で肝試し!?
落ち込むリクルを喜ばせようと、バカ共……じゃなくて立派な軍人たちが考え出した結果は!?
本編とはあまり関わりはありませんが、読んでくださると幸いです^^
次回もお楽しみに〜☆