押しかけ! 昭和64年の磁器人形!
「おはようございます。結婚してください」
目覚めると結婚を希望された。
結婚。何て甘美な言葉だろう。それが美少女から言われたものならば、なおのこと。
ただし、それが初対面でかつ僕の上に馬乗り。そして、僕が金縛りになっていなければ、だが。
付け加えれば、その少女は衣装棚の上に置いてある磁器人形と瓜二つの外見であった。
「お、おはよう」
体は動かせないが、声は出た。何とか意思疎通を図る。
彼女は僕の顔をじぃっと見つめている。距離が近いせいか、仄かに花の香りがする。
「私はイレーヌと申します」
そう名乗った少女は、ウィービィーロングの灰金髪。くるっとした淡褐色の瞳に、白磁のような肌。
均整のとれた顔はまるで美術品のような、そういうものらしさを思い起こさせる。
白地に花の刺繍の入った薄手のエンパイアドレスは微かに透けており、少女の肉体を衣服の上から意識させるものであった。
普段からこれくらい女性を形容する言葉が浮かぶのならば、合コンとか婚活パーティーとかでもうちょっとうまくやれるんじゃないか、とどうでもいいことが思い浮かぶ。
とはいえ、さすがにお子様は守備範囲外だ。断じて僕は少女偏愛ではない。
「君は人形なのかな?」
不躾な質問であるが、このような少女は僕の知り合いにはいない。もしかしたら大家さんの親戚の可能性もあるけれど。
少なくとも、人間であるのならば彼女は不法侵入である。世間的には、誘拐だとかそういうもので僕が捕まりかねない。
とはいえ、人形が人のサイズになって動いているという非日常を受け入れていいものか。
「はい。貴方様に運命の出逢いを感じ、結婚を前提としたお付き合いをしたいと願っております」
僕の問いかけに素直に頷く。発言がちょっと怖いけれど、まぁいいかと思えてしまうのは彼女の容姿の為せる業か。
「とりあえず、ちょっと退いてほしい。動けなくて」
「これは失礼しました」
僕の上に跨ったままの彼女がするりとベッドの脇にずれる。その動きは洗練された優雅さを感じさせる。
すると、金縛りが解けた。身を起こし、サイドテーブルからスマホを握り、冷蔵庫へと向かう。
ミネラルウォーターを取り出して、呷る。スマホに通知は、なし、と。
「ふぅ……」
ちらりと確認すると、寝る前にはあったはずの磁器人形がなくなっている。その代わりにイレーヌがいる。
「落ち着かれましたか?」
彼女は僕のベッドに座ったまま、微笑みを浮かべる。それは、10代前半の少女が浮かべるものにしてはあまりにも蠱惑的であった。
「……どうしてここに?」
「覚えていません。気が付いたら、この部屋にいました。ですが、貴方様に一目惚れをしたのは本当です」
頭を振って、俯くイレーヌ。
「ここって、20年くらい前に一度リフォームをしたと聞いたけどなぁ……」
そのように大家さんから聞いた覚えがある。当時から彼女は居たのだろうか。
「ということは、今は昭和84年頃なのですか?」
昭和って。
「いや、平成31年の4月。今月で平成も終わるけどね」
「まぁ……。30年以上も経っていたなんて。昭和はいつ終わったのでしょう?」
大げさに両手を広げて、イレーヌは驚きを示す。
「昭和は64年で終わったよ。1週間くらいで平成に切り替わったらしい」
さすがに生まれる前の話は分からない。不安だったので手元のスマートフォンで検索する。うん、合ってた。
「貴方様が操作されているソレは、何でしょう?」
ベッドから立ち上がり、僕の手元を背伸びして覗きこんできた。彼女の頭頂にあるつむじがよく見える。
「ん、スマートフォンだよ」
スマートフォンもしくはスマホ。
「?」
「携帯電話なら分かる?」
「電話とは黒い据え置きのもの。もしくは、道の途中に置いてある緑色のもの、ですよね?」
ダイヤル電話と公衆電話か。うん、彼女の知識はどうやら昭和で止まっているらしい。
「君に何があったのかは分からないけれど、30年間で様々な発明や技術の進歩、国や文化の変化があったんだよ」
ベルリンの壁とかソ連とか。バブルがはじけたりもした。
ゲーム、パソコン、携帯電話も普及した時期だ。ああ、インターネットも。挙げればキリがないな。
「日本は無事なのでしょうか?」
「まぁ、一応ね」
平成の間に、何度も大規模な災害とか事故、事件をこの国は経験しているわけだけど。それでも何とか日本はやっていけている。
さておき。
「色々説明したいところだけど、今はちょっと時間がないね」
イレーヌをこのまま放置するのは、不味い気がするけれど、あまりのんびりするわけにもいかない。
「お仕事、でしょうか?」
僕の様子を察したのだろう、彼女はそう訊ねてきた。
「うん。ちょっと準備するから、テレビでも見ているといい」
始業に間に合わせるにはそろそろ支度して、電車に乗らなければならない。テレビをつけてリモコンをイレーヌに渡す。
そういえば、アナログ放送からデジタル放送に変わった、というのも変化か。
「わかりました」
彼女はそう言うと、ソファーに座りテレビ鑑賞を始めた。
シャワーを浴びながら、備え付けの鏡を見つめる。そこには冴えない自分が映っている。
何の変哲もない男だ。中肉中背。筋肉質でも痩せぎすでもない。日常生活で見苦しくない程度に、美容室で切った髪。
オタクというほどサブカルチャーに傾倒しているわけでもなく、かといって陽キャのリア充というわけでもない。
とりあえず就職して数年、変わり映えのない日々を過ごしていた。そんな僕に何故、イレーヌという非日常が舞い込んできたのか。
あり得ない出来事、異常事態とも言える。それなのに。
当たり前のように彼女、人形と名乗った美少女を受け入れつつあることに気付く。ゾワりとした気持ち悪さを覚えた。
「いやいや、落ち着け」
思わず、言葉が漏れる。
寝起きだったから、正常な判断ができていなかっただけだ。彼女があからさまな危険人物だとか、大人の女性であったのならば、自分だって対応を考えただろう。
あの子は子供だ。中学生と小学生の狭間のような。大人になる前の、花開く前の蕾のような。手折ればすぐに壊れてしまいそうな。
そんな存在だからこそ、僕は庇護欲を覚え、受け入れつつあったのだ。そのはずだ。
「で、イレーヌ。君は何をしているのかな?」
シャワーから戻ると、僕のスマホに耳を当てている彼女がいた。どうみても通話しているようにしか見えない。タッチパネルを、昭和で時間が止まっていると思しき彼女に操作できたのだろうか。
「電話がかかってきましたので、頑張って出ました。こう、シュっと。何度も突いたりしましたが」
指先を指揮者のように虚空に滑らせて見せる。ああ、試行錯誤したのか。
実家の祖母が、そんな風に苦戦していたのを覚えている。……じゃなくて。
「今も通話中?」
早朝に電話してくるのなら、職場の同僚な気がする。女性を連れ込んでると思われるのは避けたいところだ。
「はい。上品な女性の方です」
ちょっ。思わずひったくるようにしてスマホを回収する。
「もしもし。桃瀬さん?」
少しだけ声が上ずってしまう。桃瀬さんは貴重な大学時代からの女友達だ。濡場色を思わせる艶やかな黒髪の和装美人。彼女はいつも和装なせいか、近寄りがたい独特の雰囲気がある。しかし、何故だか僕とは気が合い、仲良くしてもらっている。
僕は、個性を貫く彼女のスタンスに憧れている。そして、異性として、彼女に淡い好意を抱いている。
『あ、もしもし。ふふっ、旦那様?』
囁きかけるような笑い声。桃瀬さんから旦那様なんてワードが飛び出すのはあまりにも破壊力が高い。
「うん? えっと。ごめん。驚かせてしまったかな。どんな事情なのか聞いた?」
旦那様というフレーズからイレーヌが何を話したのか想像は出来た。しかし、何から話すべきか分からず戸惑ってしまう。
『落ち着いて。イレーヌちゃんが求婚したってこと、自称お人形さんだってことは聞いたわ。で、今後どうするにせよ、男性のあなただけだと、色々不味いと思うの」
「うん。僕としては届け出て、保護者を探すのがよいと思うんだけど」
桃瀬さんの言葉に平静さを取り戻して答える。イレーヌは、テレビのチャンネルを興味深そうにあちこち切り替えている。
『まぁ、それが無難ね。そうだ、うちの近くのファミレスで合流しない? イレーヌちゃんと一緒に』
「マジか。分かった」
通話を終了して、思わずベッドに倒れ込む。とりあえず会社には有給を申請しておく。このあたり緩い職場なのはありがたかった。
「よろしいですか?」
イレーヌが僕の顔を覗き込んでくる。
「うん」
僕が頷くと彼女はテレビを指さす。
「お話があります。あのテレビに映っているあの方」
彼女に促されるままに画面に目をやると、美人過ぎると話題の女性アナウンサーがニュースを読み上げていた。内容は東京オリンピックに関する話題。確か、昭和にも東京オリンピックがあったなとぼんやりと考えていると――。
「――あの方は、人形です」