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俺と彼女の神殺し

 神に祈れば幸せになれると思っているなら、それは間違いである。

 私は祈りなどに耳を傾ける気はない。

 供物や祈りごときで分け与えられるほど、幸福は安いものではない。

 この世界でたった四百余りの人間にしか、幸福は与えることができない。

 上限が決まっている以上、いったい誰にそれを与えるかは慎重に決断を下さねばならない。

 不死ではないが不老である神の命はながく、そして単調である。

 私を楽しませてくれる者こそ、真の幸福を手にするに相応しい。





 この街は、いつ来ても人でごった返している。

 周辺を砂漠地帯で囲まれたザッハードのスラム街は、つい数ヶ月前に訪れたときと同じ光景で俺たちを出迎えた。

 いや、今日は特にひどい。

 奴隷商人たちの馬車が通りを圧迫しているせいか、それともさっきから物乞いの子どもたちが往来の合間を縫っているからか、それとも先日の戦闘の余波がここにまで影響を及ぼしているからなのか。

 俺たちは、いっこうに前に進めずにいた。


「こんな調子で今夜中にザッハードを抜けれんのか?」


「サグ、落ち着け。旅程は順調なんだ。焦る必要はない」


 団長が振り返って笑いかけたが、俺は顔を背けて奴隷商人の馬車から降ろされる人間に目をやった。ムサい髭面より、服とは呼べない麻袋を被っただけの奴隷たちを見ている方がマシだ。

 そう思ったが、やはり胸糞悪い光景には変わりない。

 あいつらはもう、人間とは呼べない。ただの家畜だ。

 奴らは間抜けだ。

 どこで捕まったのか、鎖で首を繋がれ、餌も与えられずに競りにかけられる。買い取られたあとどうなるかを考えれば、俺なら今のうちに舌を噛みきって死ぬだろうが、奴らは生きることにしがみつくように従順に売られていく。

 抵抗のひとつもしてみればいいものを。

 俺にはさっぱり理解できない。


「なぁサグ、あれ女の子じゃないか?」


「あ?」


 後ろのウェルズが指をさした。

 鎖で一列に繋がれた奴隷たちの最後尾、薄汚れた金色の長い髪を垂らした痩せっぽちが、ウェルズには少女に見えたらしい。

 麻袋から伸びる手足は細く、ぼさぼさだが背中まで垂れた長髪や大きな目は、少女に見えないこともない。


「だったら何だよ。女の奴隷なんて珍しくもなんともないだろ」


「ったく、おまえには優しさってモンはないのかよ。可哀想に、まだ子どもだぞ?」


「はぁ?」


 こいつは何を言ってやがるんだ。子どもが奴隷になるなんて、腐るほどある話だろうが。しかも女。なおさら多い。

 どこぞの富豪に引き取られていくだけ、まだ救いがある──言いかけた俺の言葉は、耳障りな金属音と濁声によって途切れた。


「立たねぇか! この薄汚ねぇ奴隷が!」


 最後尾の少女が、膝をついて崩れていた。

 あの少女は、もう限界だ。歩くことも、立つこともできはしない。飢えと絶望が、彼女の足を止めたのだろう。


「立てって言ってるだろうが!」


 奴隷商人の汚い怒声に、街の視線が集まった。背後で誰かが倒れようとも前を行く奴隷たちは止まることを許されず、彼らが前進するせいで、少女の首を繋いだ鎖は限界まで伸びていた。

 ぐらりと彼女の体が傾げ、むき出しの足が乾いた砂の上を滑った。

 麻袋の裾がめくれ、白い腿が露わになる。


「あれは……」


 少女の腿に、渦を巻く赤い印がくっきりと浮き出していた。痣や汚れの類ではない。間違いない、あれは──神から幸福を約束された証だ。


「──祝印だ!」


「サグ! ウェルズ! 回収しろ!」


 団長の指示が出る前に、俺とウェルズは走り出していた。

 一斉に人が少女を囲う。手という手が至る所から伸びて彼女を求めていた。人の壁が乱闘をはじめる。このままでは、祝印は回収できない。


 クソが。このままじゃ、あの子は、あの祝印は、敵地に回る。

 渡してはならない。一人でも、一つでも。


 人垣の背を踏みつけて強引に跳躍すれば、視線はいくつか俺に分散される。その隙に、ウェルズが人の衣類に火をつける。いつもの戦法だ。流れるような連携に狂いはない。

 火の手のあとには悲鳴が続く。

 人の波が割れる。

 俺の体はそこに向かって、剣を抜いて降りていった。




 怯えきった少女の体を下ろしたのは、ザッハードのスラム街を抜け、宿場町に到着する前の朽ち果てた教会のなかだった。

 まだ神への信仰が盛んだった頃の建築物は、今となってはほとんどがただの瓦礫となっている。

 ここは、屋根と壁が残っているだけ立派といえるだろう。


「怖がることはないぞ。俺たちは、アンタをどうこうしようなんて思っちゃいない」


 団長の髭面じゃあ、説得力に欠ける。

 その証拠に、麻袋の服を着ただけの少女は、まだ拘束具のついた両手を体の前で組み合わせ、ガタガタと震えながら俺たちを見上げていた。


「俺たちは、アンタみたいな祝印を持つ人間を集めるための傭兵だ。セイフォール騎士団って、聞いたことあるだろ?」


 気持ち悪いくらいに優しい声で説明する団長に、少女は首を横に振った。


「セイフォール騎士団を知らないって、別大陸から来たのか?」


 ウェルズの問いかけにも、彼女は首を横に振るだけで答えない。

 まぁ、無理もない。

 奴隷として売られる直前で、俺たちに攫われたのだから、怯えるのは当然だろう。だが、普通は祝印のある人間が奴隷になることはない。祝印を持つ部位から考えても、見落としとは思えない。

 違和感を覚えた俺とは違って、ウェルズはまだ幼い少女と目線を合わせるようにしゃがみ込み、人当たりのいい笑みを浮かべながら言った。


「セイフォール騎士団には、君みたいな祝印を持った子がたくさんいるんだ。わかる?」


 またしても彼女は首を横に振るだけで答えようとしない。


「いや、喋れよ。話せんだろ?」


 俺の声に彼女はびくりと肩を震わせ、また首を横に振った。


「喋れないのか……」


「前からか?」


 左右に首を振ると、少女の長い髪が揺れる。

 奴隷がショックで話せなくなることはままある。こういう子どもは特に多い。もしかすると、こうなるまでに、随分とひどい目に遭わされたのかもしれない。

 少女は全身汚れているが、長い髪は金色で、大きな瞳に嵌る青い目は、この地域では珍しい。


 ──愛玩奴隷より、飼い殺しの方がマシか。


 俺と団長が視線を交わしたが、ウェルズはこの子がよほど気に入ったのか、自分たちが助け出したというおかしな思い入れでも持ってしまったのか、彼女に根気強く説明を続けた。


「君の、足にある赤い痣。あれはさ、祝印って言って、特別なものなんだ。知ってた?」


 少女の首が、また左右に揺れる。知らなかったらしい。

 だが、祝印を知らないなんてことがあるか?

 どんな辺境で暮らしていたらそうなるんだ。


「この祝印っていうのは、幸福を約束された人間にしか現れないんだ。祝印を持つ人間はすごく少なくて、神話では四百しか存在しないっていう話さ。君みたいな祝印を持つ人間を側に置いておくと、祝印を持っていない人間も幸福になれるって信じられてる。だから、さっき、君の祝印が見えたときに皆手を出したんだ。わかる?」


 曖昧に、やや右に首を傾げながら、彼女は恐る恐る頷いた。


「祝印を持つ人間を悪用しようとする輩が後を絶たないからな、俺たちみたいな傭兵が各地で保護して回ってるってわけさ」


「だから、セイフォール騎士団の領地まで連れて行くよ。そこでなら、君は安全に暮らせるから」


 猜疑心。

 彼女の青い瞳には、団長とウェルズの話を疑うような光がある。

 どうやら、バカじゃないらしい。

 そんなうまい話がこの世界にあるはずがない。それを、彼女は知っているのだろう。


「……お前、名前は?」


 俺の問いかけに、彼女の細い腕が、ようやく体の前から離れて埃だらけの地面を掻いた。

 指がゆっくりと文字を綴った。どうやら、読み書きはできるらしい。


「セラ?」


「セラか。いくつだ?」


 娘にでも訊くような団長だったが、彼女は床に十五と書いた。

 見た目の成長はせいぜい十歳そこそこに見えたのだが、と、俺たちの意見は一致した。

 十五か。あのまま売られていれば、それこそ待っていたのは地獄だろう。


「セラ、俺たちと一緒に来てくれるね?」


 念押しするウェルズに、彼女はすぐには返事をしない。

 何故かセラは、俺を見上げていた。

 さっきまで怯えていたわりには、その視線にはどこか挑発的な含みがある。


 ああ、面白いかもしれないな。

 こいつは多分、何もかもわかって、わからないふりをしてやがるんだ。


 セイフォールが祝印を持つ人間を守っているなんて嘘も、俺たちが祝印を持つ人間を保護するための傭兵ではないということも、彼女はすべて知っている。


 俺たちが、幸福の神を殺そうとしていることを、この女はわかっている。

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