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恋の裏口通って

 どうして、僕は、そうしてしまったのか、今でも分からない。


 だからこそ、今――こうなっている。


 ザァァァァァァァ――


 振り続ける雨。時折鳴り響く、


 ガラララアンンンン――


 雷。


 それが、今を、物語っている。


 昼だというのに、暗い。雷の光だけが、目の前の彼女の顔を断続的に照らす。普段だったら、気高くも、何処か親しみやすさがある彼女の顔には、微塵の柔らかさもない。こわばっている。怖いくらいに。そう、怖い。怖いんだ、僕は。いつかこうなることが。この破綻が、ずっと前から、見えていたから。きっと、始まったそのときからずっと――






 ・

 ・

 ・

 ――三年前――


 裏路地。夏のよく晴れた日。酷く人通りの少ない、学校のある平日の昼下がり。そこで、僕は初めて彼女を見た。


 スッ! スッ!


 何発ものナイフの振り翳しが空を切る音。如何にも、学生崩れというような不良たちが彼女目掛けて、欲望塗れた目をしながらそうやって、ナイフを何人かで振るいつつ、あまりにも当たらず、颯爽に避けられるが為に、苛立ちを募らせ始めているらしかった。


 黒いフードを深く被って、身を覆っている、それなりに長身でいて、凹凸に乏しいその彼女のことを、僕が女の子だと認識できたのは、この鋭い嗅覚のせい。闘争による高揚と、少々卑猥な高揚する女の子の匂いが確かに漂ってきたから。


 それは言うまでもなく異様な光景だ。


「ちぃぃいい!」

「何ナンダコイツハ、クソォォ!」


 汚く黄色に髪を染めた細めの猛禽類のような顔つきの男と、南米系のハーフっぽい片言の浅黒くデカい男がそう苛立ちを声にし始める。


 すると、フードに女の子が手を掛け、その顔を晒す。


 バサッ。


 何も言わず、無言で、しかし、その表情が、意図を克明に伝えている。『おいおい、そんなものかぁ? 物足りない、満ち足りない』


 僕はそんな彼女を見て、思った。『豹だ』と。雹のような顔つきをした、小さな顔で、女性らしさと、静かな猛々しさを宿している。その長身と、長いフードの上からでも分かるすらっと長いだろう足などからも、その身のかわしからもまさにそうだ。


 それでも彼女は豹でなくて人間で、だって、その肌は茶色寄りというより黒寄りに浅黒い。睫毛を殆ど持たないその目は決して黄色なんかじゃなくて空を映したかのような青色で。口はふぐりなんてなくて、小さく収まっていて。見せた歯はやけに白くて。髪の毛は、ささくれた感じの緩くウェーブ掛かったショートで。その匂いは、何処までも獣臭さとは程遠い――


「おい、お前」

「っ!」


 不意に掛けられた声。あぁ、そうか。気付けば彼女が目の前にいた。だからこんなにも、視点が近くなっていたんだ。


 バサッ。


「ちょっと預かっといてくれ。そろそろ飽きたんで終わらせてくる」


 そう言われて、渡された、彼女の全身を覆っていたフード。しっとり、暖かく、重い、黒いそれを渡された僕が返事を返すまでもなく、


「あっ、ちょっ…―。あぁ……」


 彼女はにっと、またその白い歯を見せて、戻っていく。数十メートル離れたここに向かって漸く向かってき始めていた不良たちを迎え撃つ為に。返事を返しそびれたのは、そのときの笑顔がきっと、酷いギャップだったから。


 僕は静かに、――、手元のそれに顔を埋ずくめ、


 スゥゥ、


 そのナチュラルな、陸上女子のような汗の匂いに、現実を、見て、またすぐに顔を上げ、何をしたかも分からないような手足の振り翳しで不良たちを倒していく彼女を見届けた。


 そして、戻ってくるかと思った彼女は、忽然と姿を、消した。僕の手元にそれを残して――

 ・

 ・

 ・






 誰もいない道を一人歩く。


 ここは錆びれた町だ。海からも山からも遠く、半端な、田舎なのに、田舎ぶってもおらず、都会振るにはすこぶる足らない。そんな場所だ。


 ここが町の中央。全くテナントも入っていないのに、白く、真新しさを保ったビル群があるのがこの辺りの区画。それを過ぎると住宅街が同心円状にあって、そこから外は、歓楽街、そして、その外は、二車線の一本の国道と、30分に一本程度普通電車しか止まらない一本の鉄道の駅があるだけ。あとは、荒野だ。


 町の中央であるここの様子が、ここが都市としてまさに開発失敗した、それも中途半端に。そんな場所だということをこれ以上なく分かりやすく伝えてくれている。


 大人たちは寄りつかず、先ほどのような、崩れた学生だけが時折いるくらいだ。高校は三つもあるのに、幼稚園も小学校も中学校も一つずつしかなく、大学や短大や専門学校の類は一つもない。そんな場所だ。


 歓楽街は、申し訳程度のもので、真に都会のものと比べたら酷く劣る。田舎者のいきりたったはしゃぎそのもののようで、そこだけは酷く田舎らしかった。


 だから僕は、この町が嫌いだ。この町の殆どが嫌いだ。だけど、高校生である僕は、今もこの町に留まっている。出る、という選択肢を取れる程度には頭の出来も十分なのだが。


 それはひとえに、嫌いの殆どから僅かにはみ出た一部の要素のせいだ。僕はそれに魅入られている。物心ついた頃からずっと。


 そう。僕は、弱い。それでいて、並みの人間と感覚が違う。それでいて、その感覚を正当と胸を張って歩く意志も権も力も持ち合わせていない。


 僕の骨は――脆い。それも、異様に偏って、脆い。骨粗鬆症だって訳じゃない。だけど、何故か、転んだだけで骨は折れ、ケンカで幼稚に殴りかかった、蹴りかかっただけで、僕だけがあっけもなく、まるで当然かのように、折れた。ポキッ、と。聞き慣れた音だ。砕けるのではなく、綺麗に折れる音。


 医者に掛かっても理由は未だ分からない。遠出もして、名医と呼ばれる類へ両親が連れていってくれたが、それでも変わらず。


 だから、原因不明で、だけど、僕は、脆い。そんな事実だけが不気味に転がっている。治りは早い。一瞬だ。全治一ヶ月と言われても、僕の場合、一週間程度で治ってしまう。そして、慣れ過ぎたせいか、痛みもさほどない。そういったときの不便にも慣れてしまったし。だから骨折は、僕にとって、面倒くさい腐れ縁の友だちみたいなものに成り果てていた。


 だけど、とても不思議なことに、僕は、その身を暴の為に振るわない限り、折れたことはない。それに小学生になる頃には気付いて、しかし、争いに必敗となる自身の呪いにも気付いていて、だからこそ、抗う為の術を身に付けた。


 それは、隠密と逃避の技術。存在感を、色を、消し、潜みつつ、それでも絡まれた際、決着を保留するが為の技術。


 そして、そこから派生した、趣味。闘争の覗き見。自分には決してできない。唯一の選択肢やられる側として参加するにしても、余りに割りに合わないそれ。だから、僕は唯、遠望するように羨望する他ない。そのが為の感覚は、目は、耳は、鼻は、現に、研ぎ澄まされた。それを察知し、出歯亀することができるだけの。


 そう。僕は、その気になれば、誰にも気付かれない。更にその気になれば、こうやって、誰にも会わない道を選択し続けることもできる。


 僕は、その行為が下劣で下卑ていると知っている。僕は、そうやって見届けた敗者を助けないし、勝者を糾弾することすらしない。それによって死者が直接的に(外傷による死など)、若しくは間接的に(後日の自殺など)出ても止められなかった。


 それどころか、そこに後悔も悦も無かったことが、心動かなかったことが、自身がもう引き返せないところまで来てしまっていたのだと気付いた。それを割り切るのも一瞬で、極最近、中学の卒業寸前でのことだっ…―


 ぞくり! 


 と、背筋に、感じるものがあった。これは、察知ではない。だってそれは――既に、()()()()()


 馬鹿な……。臭いも、音も、無かった……。いや、それどころか、風の流れすら、今このときまで何一つ変わりなかったのに……。体は急速にこわばる。きっともう、言葉すら、満足に口にできはしない。逃げることは、叶わない。何を、奪われるのだろう……。金なら未だ、いい。しかし、この心をこれ以上傷つけるのは、やめて……くれ……。


「おい、お前」


 首筋に掛かる吐息。遅れてやってきた、臭い、じゃなくて、()()。それは、知っている匂い、だった。忘れる筈が、ない。忘れられる筈が、ない。


 一瞬で止まった震え。恐怖から外れた思考。だから、衝動的に振り向きなんてことはせずに済んだ。


 いや、だが、まさか……。


 そう、考えた。


 あれだけあの後探しまわって、探索だけじゃなくて、探偵染みた調査までして、それでも見つけられなかったのに? あのような特徴的な服装で、悪目立ちの気があるような、あんな中学生、この街には、存在しないと一年で探し尽くして、諦めるように結論付け…―


「どっかで、会ったこと無いか?」


 暫定、いや、ほぼ確定の、あのときの少女は確かに、そう言った。他ならぬ僕に、そう、言った。そうだ。だから、確かめればいい。見て、吸って、確かめればいい。落ち着くように息を吐いて止め、我慢を溜めて、一度、大きく、()()()()。そうすればきっと、確かな確度で答えが出る。

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