神刀使いの異世界道中~目覚めし最強賢者の無双劇~
1615年、大阪夏の陣。
真田幸村の伝説に残る突撃は失敗に終わる。
赤備えの風間次郎は兄の佐助を背にして、黙々と林を落ち延びていた。
「明日まで……俺は持たぬ。徳川を討つ機ももうあるまい」
「弱気になりなされるな、この林を越えれば御味方もおりましょう。しばしの辛抱です」
「俺も大概諦めが悪いが、次郎はさらに悪い。……お前とて、傷は浅くなかろうに」
「なんの、かすり傷でこざる」
くっくっと佐助は低く笑った。
「俺は置いて行け。お前だけなら追手が来ても……」
「嫌でございます!」
もはや弓も槍もなく、次郎の手には真田幸村より賜った宝刀「白鬼」のみ。
雪降る夜、鬼を一刀両断にしたという伝説を持つ。
佐助を捨てる気など次郎には毛頭なかった。
豊臣というよりは、鮮烈なる真田幸村のために。
しくじりこそしたが家康本陣へと突撃をしたことに後悔はない。
薄暗かった林が切れ、束の間に大空を眺めることができた。
「……煙が……あの方角は――」
佐助が震えながら呟いた。
見上げると大阪城のある方角より煙が巻き上がっている。
俺は黒煙の火元に震撼した。大阪城からだ。
「……大阪城に火が付いたか。豊臣も終わりだ」
「兄上……まだ幸村様が……」
俺の言葉を遮るように、兄は言葉を継いだ。
「それなんだが、幸村様はすでに――」
「いたぞおおお! あそこだ!! 大坂方の首だ!!」
佐助の声を遮るように大音声が飛び込む。
続いて馬のいななきと、地を駆ける地響きがした。
追手が来たか。
次郎は唇を引き締め、駆け出した。
「もうよい、次郎! 大阪も真田も終わったのだ――俺を置いて逃げよ!」
「……兄上、舌を噛みますぞ!」
叫び返した横をびゅん、と矢が通り過ぎた。
振り返る間はない。
わずかに首を振ると、わらわらと兵が沸いて出てくるのだけがわかった。
すでに横にも追手が来て囲まれつつある。
逃げ道は前方のみ。
ひたすらに全速力で林を突っ切る。
枝や茂みに身体中をひっかくが、躊躇してはいられない。
ひたすらにがむしゃらに、次郎は走りまくった。
心臓が裂けるほど痛み、足元がふらつく――しかし次郎は諦めない。
しばし逃げていた次郎は急に足を止める。林が途切れ、崖になっていた。
「……なんと! 仏にも見放されたか」
崖から見下ろすと、底に川が流れている。泳げるほどには緩やかに思えた。
揺られていた兄は息も浅く、ぐったりとしている。
次郎よりも遥かに深手であったのだ。
走っている最中に気を失ったに違いなかった。
早くどこかの味方に合流しなければならない。
後ろからは、さらに数が増えたと思われる追手の気配があった。
「……飛びこむより、他にないか……」
次郎は覚悟を決めると、大急ぎで鎧を脱いだ。
ほうぼうの傷が痛むが、しかめっ面一つで耐えるしかない。
白鬼を掴み、次郎は唱える。
「不惜身命……!!」
身や命を決して惜しまないという、真田に伝わる言葉である。
佐助の肩を持ち、次郎は勢いをつけて川に身を投げた。
♦
どれほど泳いだか。詳しい時間はわからない。
佐助はやはり気を失っている。
佐助が離れそうになるのを、次郎は必死に掴みながら下流へと進んだ。
なんとか沢に流れ着いた時には、かなりの時間が経っていた。
昼であったのが黄昏を越えて夜になっていた。
深い闇が周囲を覆いつくしている。
このまま夜に紛れてひたすら行こう。月と星が天を彩っている。
だが次郎は思わず、目をこすった。
「目が……かすんでおるのか? 月が2つあるような……」
大きな月が2つ、闇夜に浮かんでいる――何度見ても佐助にはそう思えたが、深くは考えないことにした。
傷だらけで流した血も少なくない。
なぜかさほど疲れていないが、火事場の馬鹿力なだけであろう。
次郎も戦で何度も見てきた。
死に際の侍が、最後に一華を咲かせるのだ。
俺も多分そのような状態なのであろう。
見間違いが起きても不思議ではないと、ぼんやりと思った。
今必要なのは味方の元に戻ること。
あるいはどこかの村へたどり着き、兄を治してもらうことだ。
歯を食いしばり、次郎はふたたび佐助を背負って進む。
だが、妙だ。
何かの気配が、それも大勢の気配が闇から漂ってきていた。
獣ではない。数が多すぎる。
まるで――大軍が伏しているような。
「人間ダ、コンナ所ニ」
ざらついた声が耳に入ってくる。
林の中からずしりと音がして、鬼が現れた。
筋骨隆々とした巨体で腰に獣皮をまいている。口からは大きな牙が何本も飛び出していた。
その額からは一本角が生えている。おとぎ話から来たかのような大鬼だ。
周囲からは獣の臭いが漂ってくる。
大鬼の後ろには小さな鬼が何百人も控えているようだ。
童の頃に散々聞かされた鬼の姿に、愕然とした。
恐ろしい予感が胸をよぎる。
「三途の河をいつの間にか渡っていたか……? ここはもう地獄か」
「……何ダ、ソレハ」
大鬼は丸太のような首を傾げた。
言葉は拙いながらも通じるようだが、ここはあの世ではないのか?
なら、この鬼はなんだ。
川を流れて妖怪の里へでも迷い込んだのだろうか。
「我ハ魔王軍四天王オーガロード、デイモス……貴様ハドコカラヤッテキタ? 我ラノ陣ニ、ドウヤッテ忍ビコンダノダ?」
「……何を言っている?」
魔王、オーガロード、デイモス。
聞き慣れない単語に疑問は浮かぶが、次郎は頭の隅に押しやった。
目の前の鬼はてっきり地獄の極卒かとも思えたが。
相応に人を殺めた自分には、お似合いかもしれぬと。
だが、どうやらそうではないようだ。
しかし、どのように鬼と話したものかわからなかった。
(素直に助けを求めるべきであろうか……)
白鬼なら治療代にはなるだろう。
鬼が刀を欲しがるかはわからないが、他に渡せるものは命しかない。
兄の命には代えられない。
次郎は意を決して口を開きかけだが、先に喋ったのは大鬼の方だった。
「……面倒ダ。クッテヤル!!」
大口を開けてぐわんと鬼が兄弟に手を伸ばした。
身体を跳ねながら、次郎は片手でとっさに白雪を抜き放つ。
月光を裂くように白鬼がひらめき、大鬼の腕を斬りつけた。
大鬼の緑色の血が宙を舞う。
「グオオオオッッ!? コ、コイツ!!」
「ここが地獄でないなら、貴様は単なる人食いの鬼か」
息を吐き、次郎は佐助をそっと降ろした。
次郎は心の中で嘆息する。鬼は鬼でも、悪鬼の類であったか。
出会った鬼が人を助けてくれるなど都合が良すぎた。
半死半生ではあっても侍は前を向いて死ぬべし。
次郎が食われれば、次は兄の佐助が餌となるであろう。
そんな鬼を切り捨てることに迷うことなどない。
「……閻魔様の前なら神妙にもなろうが、あやかし相手に容赦はせん」
源頼光にあるように、侍は鬼や妖怪退治などはお手の物であった。
酒呑童子などその手の逸話には事欠かない。
死地に身を置く次郎も、同様に鬼相手だろうと恐れることはない。
むしろ一瞬の攻防で次郎は冷静に見切っていた。
死にかけの次郎に不覚を取る程度、この鬼は図体ばかりで強くはない。
その証拠に、大鬼は薄皮1枚の傷で動揺しわめいていた。
「四天王最強ノ俺ガ……!? レベル90ノ俺ニ手傷ヲ……!!」
言っている意味はわからなかったが、うろたえている好機を見逃す次郎ではない。
深く構え、横薙ぎに振り抜く。
「バ、バカナ……!!」
一撃で胴体を両断された大鬼が呆然と呟く。
大鬼の身体は霧のように、川べりに散って消えていった。
「やはり妖怪変化の類であったか……」
次郎は周りを見渡した。
闇の中から、大鬼の仲間であろう小鬼達が集まってきている。
頭には小さな角があり、白く不健康そうで、背が曲がっていた。
次郎は横にいる兄を少しだけ顧みた。
大鬼を斬ったとはいえ、体力に余裕などない。手は震え始めていた。
数に押されれば結果は火を見るよりも明らかだ。
小鬼を十数人斬って、次に殺されるだろう。
だが命ある限り戦って死ぬのが侍だ。
鬼相手に斬り合い果てるのも、また致し方なし。
「……来い、侍の死に様を見せてやる」
雄叫びを上げながら、小鬼達が迫ってくる。
「ふっ!!」
次郎は突っ込んでくる小鬼に、白鬼を舞わせた。
瞬間、小鬼の首がいくつも血しぶきをあげて落ちる。
大鬼よりも手ごたえはないが、怯むこともない。
一体あたりは大したことがなくても、尽きることなく小鬼は肉薄してくる。
無我夢中で白鬼を振るう次郎も、意識が遠ざかりつつあった。
流した血が、これまでの傷が多すぎたのだ。
だが、意識を手放す直前――次郎は確かに聞いた。
白鬼から若い女性の声がしたような。
『レベル80に到達――神刀覚醒を実行。神級魔法【コキュートス】を展開』
一陣の冷風が吹き抜ける。
季節外れの粉雪が、次郎の目の前を飛んでいく。
白く白く――純白に視界が染まる。
何が起きているかわからないまま、風が吹き雪が降り始めていた。
まぶたが、どうしようもなく重い。
次郎は膝をついて倒れ込んだ。
「兄上……」
ふたたび頭の中で声がする。
今にも途切れる意識に、女性の声が神々しく聞こえた。
『ゴブリン種を5000体撃破。レベル99に到達。神刀人化を実行』




