VRiverになんかなりたくない!
急逝した父親は、堅物の商社マンだった。
理知的な真鍮縁の眼鏡がよく似合う人で、その奥では何を考えているのか、さっぱりわからなかったものだ。言葉数は少なく、それでも不意に見せる優しさは家族への思いやりを覗かせた。ゲームばかりやって勉強をおろそかにする自分のことを、父親はよく叱ったが、それが高じてeSportsの大会に出るのだと言ったとき、反対する母親の矢面に立ってくれたのも、その父親だった。
『良いか雪斗、好きなもので一番を目指すのは、とても素晴らしいことなんだ』
会場に向かう車を運転しながら、父はそんなことを言ってくれた。
白木雪斗は、そんな父親のことを密かに尊敬していた。
妹だって尊敬していたはずだ。
母親もそういったところを好きになったのだろうと思う。
しかし、そんな父は死後、哀しみに暮れる間もない家族にとんでもない爆弾を残していった。
父、総一郎の死から10日あまり。
雪斗はいま、都内にある小さなオフィスを訪ねていた。
理由は簡単で、先方から呼び出しを食らったため。代表者はどうやら父親と旧知の仲であるらしく、家族の中で雪斗を名指しで呼び出してきた。
実は早い段階で受けていた呼び出しではあったのだが、雪斗はどうしても10日待って欲しいと連絡した。
世界的人気を誇る2D格闘ゲーム、『ハイパーバーストブレイカー』の世界大会があったからだ。
雪斗はその大会への参加資格を有するプロゲーマーであり、この道へ進む際に背中を押してくれた父のためにも、万全のコンディションで挑みたいと考えていた。
そして雪斗は、並み居る強豪、ライバルたちとしのぎを削った結果、
父の墓前に世界一位の栄誉を添えることができたというわけである。
『好きなもので一番を目指すのは、とても素晴らしいことなんだ』
父のその言葉を思い出せば不覚にも涙腺は緩んでしまう。それでも、雪斗は父に背中を押されてからずっと目標にしていた『一番』を手に入れ、ようやく、さまざまなものに一区切りをつけることができたような気がした。
だからこそ、こうして穏やかな気持ちで、父の知人を訪ねる心持ちも定まったというわけで。
訪ねたオフィスは、雑居ビルの三階にあった。
インターフォンを鳴らすと、中から声が聞こえてくる。
『どちらさまです?』
「あ、えぇと。白木雪斗です」
がたたっ、と、中で何やら大きな物音がした。
それから、ドタドタと走るやかましい足音。これは扉も勢いよく開くな、と思って、雪斗が2歩、3歩ほど後ずさると、案の定扉はバタンと開け放たれた。
「よっく来てくれたわ! 待っていたのよ!」
飛び出して来たのは、想定よりいくらか、というよりかなり歳若い女性。背は低く、顔も幼く、よれよれの白衣を羽織ってはいるが、ひょっとしたら自分とあまり変わらない年頃、高く見積もっても21かそこらくらいなのではないかと思わされる。
父親の知り合いというのだから、もう少し年嵩のいった人物を想定していたのだから、雪斗はいささか驚いた。
「ええと、あの……」
「話はあとよ! 中に入って!」
「あ、はい」
手首を掴まれ、ぐいと中に引き込まれる。
そこは、オフィスというよりはスタジオのような場所だった。広いスペースにマットが敷かれ、金属製の柱が何本か立っている。その脇には仰々しいパソコンが何台か置かれ、さらに大きな液晶が設置されていた。
中にはさらに何人か大人の姿が確認できた。
「お、来たな」
その中の1人が嬉しそうに呟く。
こちらの大人たちは、父親の友人と聞かされてもあまり違和感のない年代の者が多く、雪斗は少しほっとした。
そしてその中で、一番父親に年嵩の近そうな、背の高い男性が一歩前に出て小さくお辞儀をしてきた。
「急に呼び出してしまって申し訳ない、雪斗くん」
「あ、いえ、こちらこそ予定を動かしてもらってありがとうございます」
父の葬儀のときに見かけた人だ。会社の人ではなさそうだったが。取引先か何かだったんだろうか。
「私は笹垣というものだ。このスタジオ・スノーホワイトの代表をしている。君のお父さんにはかなりお世話になった」
「あ、やっぱりスタジオだったんですね」
「うむ。ほかのメンバーの紹介もしたいんだが、その前に君に見てもらいたいものがある」
最初に自分を引きずり込んで来た白衣の女の子も、腕を組んだままうんうんと頷いている。何がなんだかわからないまま、雪斗はパソコンの前に座らされた。ほかのスタッフらしき人たちが何やら機材を操作すると、ぶうん、という音がしてディスプレイが点灯する。
『やっほー、みんなー! シロナユキノのバーチャルゲーム実況! はっじめっるよー☆』
そして、場違いに明るい声が弾けるようにして、スタジオに響き渡った。
画面の中で、3Dモデルの女の子が元気いっぱいに飛び跳ねている。青みがかった白い髪と、フリルのついた可愛らしい衣装。雪斗はひと目見ただけで、彼女の名前がぽつりと口をついて出た。
「シロナユキノだ……」
「おっ、知ってる?」
白衣の女の子が嬉しそうに聞いてきた。
「ええ、そりゃあまあ……」
いまや、ちょっとネット文化に浸かってさえいれば、バーチャルアイドル・シロナユキノの名前を知らないものはいない。
数年前、競争が熾烈を極めるVRiver業界に、彗星のように現れたのが彼女だ。
髪の毛一本一本まで作りこまれたかのような精緻なモデリングに、多彩な表情と挙動。
口を開けば炸裂するトークスキルと、その裏側に感じ取れる深い知識。
それでいて嫌味を感じさせない人柄の良さ。
バーチャルアイドル・シロナユキノが、名実ともにナンバーワンVRiverになっていくまでに、そこまで長い時間は要さなかった。
おおよそ理想的な美少女で、実在すれば鼻につくところもあったかもしれない。多くの人々は、彼女が『つくりもの』であることを理解しながら、その立ち居振る舞いに心から魅せられていった。
雪斗だって例外ではない。
理知的でありつつも、天真爛漫な態度を見せる彼女に憧れる気持ち、惹かれる気持ちがあった。
有り体に言えば、いわゆるガチ恋勢と呼ばれるファン層。その一歩手前だ。一歩手前で踏みとどまっているというのはあくまで本人の弁であり、実際のガチ恋勢が口にする常套文句であることを考慮すれば、その信憑性は甚だ怪しいものがあるが。
「フ、やはり血は争えんか……」
「えっ」
笹垣さんが意味深なことを呟いた。
何やら深く突っ込むのが怖いので、雪斗はひとまず別側面から話を掘り下げることにする。
「あの、ここってスタジオって言ってましたよね。そこの広いスペースも、なんかモーションキャプチャー用のレコーディングスタジオみたいに見えますし……。ひょっとして、シロナユキノって……」
「うむ。シロナユキノは我々がプロデュースしているVRiverだ」
「やっぱり……!!」
VRiver。Vライバーとも言う。
動画サイトでライブ配信を行う実況者のうち、3Dアバターを用いて行う者の総称だ。
何人かの有名VRiverが名を上げたのち、さながら雨後の筍かカンブリア大爆発かのようにポコポコと生まれたVRiverの中に、シロナユキノの名前もあった。
現在は技術的なハードルもだいぶ下がり、素人でもかなり精密なアバターを用いての配信が可能になってはいるが、専門家が集まってハイクオリティな動画をコンスタントに配信できる企業組はやはり強い。いわゆる後発組の中で覇権を握ることに成功したシロナユキノも、当然ながら企業組だったというわけだ。
「いや、びっくりですよ! まさか父さんがこんなところにまで繋がりがあったなんて!」
雪斗は、憧れのVRiverを生み出しているその現場に、自分が足を踏み入れているとしって、テンションを上げた。
ひょっとすると、そこにいる白衣の女の子が、シロナユキノ本人だったりするのだろうか。イメージとはちょっと外れているような気がしないでもないが、まぁ、VRiverというのは必ずしも中身と外身がぴったり合うとは限らないわけで……。
などと考えていると、雪斗の見ているディスプレイの隣側。もうひとつのディスプレイが点灯する。
それを目撃した瞬間、雪斗は悲鳴をあげた。
「つまりは、そういうことだ。雪斗くん」
笹垣さんは腕を組んだまま、神妙に呟く。
「い、いやだ……」
雪斗がかろうじて喉から絞り出すことができた。
「しかしキミも見ただろう、あの映像を。アレこそが真実だ。そして、この汐見くんの作り出したVRモーショントレーサーの適合者は、イニシャライズを行った前任者から一親等であるキミか、キミの妹だけなのだ。我々はまだ、シロナユキノを失うわけにはいかない……!!」
隣り合うディスプレイの片側に映し出されている人物。
雪斗はそれに見覚えがあった。というか、見覚えがありすぎた。理知的な真鍮縁の眼鏡をかけ、スーツ姿のまま可愛らしくぴょんぴょんと飛び跳ねる姿。それは、寸分違わずいまや故人となった白木総一郎その人である。スタジオの上で一挙手一投足、シロナユキノと同じ動作を繰り広げるその姿は、雪斗の知るどんな父の姿よりも生き生きとしていて、
そして、それは疑うまでもないひとつの真実を、彼に叩きつけていた。
「白木雪斗! キミは父の跡を継ぎ、VRiverシロナユキノとしてデビューするのだ!!」
「いやだあああああああっ!!」




