母をたずねて ―神力使いの娘は神に祈らない―
暗い。
辺りは闇に包まれていて、何も見えない。でも何故か、何もないのだと分かっていた。
――ドウシテ。
突然、枯れた声が耳に飛び込んでくる。聞いたこともないような醜い声。
――ドウシテ私ヲ憶エテイルノ?
私は静かに首を振った。
「あなたなんて、知らない……誰?」
声の方へ近付こうとして、でも身動きがとれなくて。
そこで闇は途切れた。
* * *
……夢か。変にリアルでびびっちゃった。余韻が残っているみたいで、妙にふわふわする。
「おい、アウリリャ。起きてるか?」
苛ついた声がそんな私の寝起きを邪魔した。
「起きてるけど? 休日ぐらいのんびりさせてよ」
「寝てないんなら入るぜ」
部屋の扉が開いて青い髪が覗く。幼なじみのセラだ。確かにセラとは、幼い頃は一緒にお風呂も入ったような仲だけど……
「いくら幼なじみだからって、急に女子の部屋に入らない!」
もうお互い十五歳なんだから。本当なら働けるくらい大人なはずのに。何でこんな子に育っちゃったかなぁ。本当、おじさんとは大違い。
おじさん――セラのお父さんはお母様の親友で、私とお母様の事情を全て知っている。お母様のいない間はおじさんが面倒を見てくれていたのだ。ここ十年くらいはずっとおじさんの料理を食べている。そう、これが絶品で……!
朝から文句をぶつけられたはずのセラは、そんなのお構いなしにベッドへと近付いてくる。そして、私の部屋をゆっくりと見回すと大げさにため息をついた。
「お前の部屋、相変わらず汚いって。そんなんで自分を女子とか言うなよ」
「うるさいなぁ。どこが汚いの?」
私は改めて自分の部屋を確認してみる。
物は少ない方だと思うけど。床や机に本が積んであっても、足の踏み場はちゃんとある。それに神力のおかげで何でもすぐに呼び寄せられるからね。
ほら、たとえばこんな風に。
目を閉じて、手のひらを天井に向けて。青い髪留めが手の上にあることを祈る。すると、髪留めは一瞬で現れるのだ。
どうだ、とセラを見てみたけれど、セラは部屋を見てばかりで全然こっちを見ていなかった。
「全てがだ。こんな広いのに一人がギリギリ通れる隙間しかないって相当だぞ、アウリリャ」
「ねぇ、だからさ。アウリリャじゃなくてレーナって呼んでって」
「セレーナさんにもらった名前だろ、大事にしろよ」
「……そうじゃないの」
セラは恵まれてるから、分かんないんでしょう? 神力も巧くて、「セラ」って名前もお母様の「セレーナ」と似てるなんて。私はセラを羨んでばかりなのに。
そうやってふてくされていると、セラがそういえば、と私に手紙を見せた。
「これ、何だか当てられるか?」
セラが手にしている手紙をじっと眺める。少し厚めの、丈夫で高価そうな紙。表には「アウリリャ・クリエス殿へ」と流麗な文字が踊っていて、私宛てみたい。ちらり、と裏には大教会の真っ赤な封蝋が見えた。
間違いない。
「私もあそこにいけるの!? お母様を探しに行ける!」
私はベッドから飛び出してセラに抱きついた。
だって、私は行きたくて仕方なかったのだ。お母様のいる、大教会に。
「あ、あぁ。お前、本当セレーナさん好きだな」
大教会とは、神力の専門機関のことだ。神力の才能に恵まれているいわゆる「神子」と呼ばれる人は、十五歳になったら大教会から招待状が届くことがある。もし届いたら、国家随一の神力使いの元で神力について学ぶことができるのだ。
「今日の夜出発だからな、支度しとけよ」
「え!? そういうことは早く言ってよね」
「だから今言ったんだろ? もう俺なんか支度終わったし」
え、待って。思わず顔を上げる。
「もしかして、セラも行くわけ?」
「あぁ。お前一人じゃ何が起きるか分かんないだろ」
「……セラがいたって何が起きるか分かんないわよ」
私は小声で呟いた。あぁもう、馬鹿。
セラをさっさと部屋から追い出した後、ベッドに軽くこしかけた。とりあえず身支度しなくっちゃね。
うっすらと赤い髪を髪留めで一つにまとめる。お母様と同じ色の自慢の髪。お母様が「朝日の色と一緒ね」と言ってくれた、この髪。
どうしよう。お母様に、会いたい。
お母様はとにかく凄い人だったらしい。幼い頃しか一緒にいなかったからあんまり記憶はないけれど、でも美しくて優しい人だったと思う。
お母様のことを本で調べると、こう書いてある。
「セレーナ・クリエスは希代の神力使いであり、神力学者でもある。神力の規模、精密さ、技術の全てにおいて一番の優秀さが認められている。神力学においても多大な功績を残したと言われているが、現在、神力学は大教会に禁忌の学問とされているため実績は確認できない。また、大教会の下でのみ行える研究を続けており、何年かその姿を現していない」
お母様は国の誰もが名前を知っていたりするような人。だけど、私はお母様ともうずっと会っていない。何故って――
――お母様は教会に幽閉されているのだ。
そうやってお母様のことばかり考えていると、荒々しく扉をたたく音が聞こえてきた。あれ、私まだ寝間着のままじゃない? と慌ててそこにあったTシャツとGパンをひったくる。
「なに、セラ?」
「言い忘れてたけどな、ついたらすぐに実技試験だって」
「……だから、大事ことは早く言ってってば!」
もう、頭良いくせにセラは変なところ抜けてるんだから。
試験があるなら神力の練習をしておかなきゃ。私はセラみたいな天才じゃないし、お母様の顔に泥は塗れない。
「忘れてたんだって、許せよ」
「じゃあその代わりに私の練習につきあって、今すぐに。ちょっと待っててくれる?」
私はTシャツに着替えると、窓から外に飛び出した。一瞬ふわりと体が浮いた後、両足で着地する。うーん、青空が眩しい。
「外で練習したいから、出てきてくれる? セラの神力、強すぎて物が壊れちゃいそうだし」
「はぁ……分かった」
まだ家にいるはずのセラに外から叫ぶと、やる気のない声が聞こえてきた。まぁ、セラは練習なんてする必要もないからね。
扉の開く音がして、家からだるそうにセラがでてくる。
「じゃあ、行くよ!」
「鈍人にばれないようにな」
「はいはいって」
私は目を閉じて深く息を吸った。ゆっくりと指先に力を集めていく。
――神力は理論で理解するものなのよ。神に祈る、なんてことは何の役にも立たないの。神力を放つときのイメージを持って、どう神力が生まれるか、それを考えることが大事なの。
数少ない私の記憶に残っているお母様の言葉。セラは「神に祈れば神力がうまくなる」なんて言っているけれど絶対にそんなことはないと思う。私には神様も教会も信じられない。
神力が充分に満ちたところで、どんな神力を使うのかをイメージする。神力を使ったら何が起きるのかを。
私がこれから使うのは、水によってセラを攻撃する神力。空気の中にある水の素が集まって圧縮されて、セラへと向かうのだ。
そして、目を見開き神力を放つ。私の右手から放たれた水は勢い良くセラにぶつかりそうになって――
「あぁ、やっぱり」
消え去ってしまった。
「ねぇ。何で私、こんなのもできないのかなぁ?」
「俺に訊くなよ。でもお前さ、ちっさい頃は神力で俺のこといじめてたよな」
「そうだったっけ」
「あぁ。ほら、セレーナさんがいなくなる前」
私は、人を攻撃する神力が使えない。ぶつかる前に神力がどこかへと消えてしまうのだ。他人に危害を与えないような神力ならもっと使えるのに。
だから私は対人戦が苦手だ。
「うーん、こっちはできるんだけど」
今度は道路一本離れた遠くの木々に向かって風を吹かせてみる。
風を集めて、木にぶつけるようにすると……。青々しく生い茂った葉が激しく揺れた。やっぱり使えてる。
「じゃあ今度俺に風吹かせてみてよ」
セラが髪をかきあげながら、木の位置まで私から離れた。
「分かった」
さっきと同じように風をセラにぶつけようとする。風が渦巻きながらセラに向かっていく。
と、そこで邪魔が入った。
「げ、鈍人!?」
「おい、そういうこと言うのが一番良くないんだぞ」
思わず叫んでいた。セラとの間の道路を歩いてきた男の人に神力がぶつかりそうになったのだ。幸い神力は消えていたみたいだけど、男の人はポカン、と私たちを見つめている。
ここら辺は鈍人、つまり神力使いでない人も多くいて、建物も背の高いビルばっかりだったりする。
鈍人には、神力のことを知られてはいけないらしい。セラのお父さんに聞いた話だと、頭がおかしいと思われるんだって。私からしたら神力なしに生きていけることの方が頭おかしいと思うんだけど。
「あ、あのすみません、大丈夫ですか?」
「ここは子供が遊ぶ場所では無いです、ふざけないで頂きたい。通報しますよ?」
言っている意味が分からなくて顔を見上げると、冷たい瞳がこちらを見ていた。
「私、ふざけてないんですけど、えっと」
「それに『鈍人』って何ですか? 人種差別ですよ。そこの君。この子、規制隊に通報しますから」
何でこの人怒ってるんだろう? 私、悪いことしたかな。助けを求めてセラを見やると、呆れたような表情をしていた。
「はぁ……すみません、こういう奴なんですよ。でも、お兄さんもちょっとうるさいんで、黙らせちゃっても良いですか?」
セラが目を閉じて手を構える。
え、もしかして鈍人に神力を使うつもり!?