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幸せの末路

 ──俺はただ、まともになりたかった。


 ろくでもない人生から脱却し、一人の人間として真面目に働いて、それなりの給料を受け取って、休日には友人とばか騒ぎをして。

 恋人は要らない。幸せにできると思えないから。

 子供は要らない。辛い人生にさせてしまうだろうから。


 ただ、俺の中で完結して、日々の充実と友人だけいればそれでいい。むしろ、それが許されることさえ奇跡に等しい。


 だから、きっと。それ以上を求めてしまったときに。俺たちの最期は決まっていたんだ。





 ☆ ☆ ☆ ☆





「ねぇねぇ、なんであのひとはおこってるの?」


 純粋無垢な疑問が、意識を現実へと引き戻す。小さな背でこちらを見上げる瞳には、汚れなど何も無かった。

 ただ真っ直ぐに初めてお目にかかる光景を理解しようと努めている。だから俺は、懸命に笑みを作った。


「それはね。あの道具が壊れちゃったからだよ」


「なんでこわれちゃったの?」


「使い方が悪かったのもあるだろうけど、最初から悪いモノだったからかな」


「ふーん。そうだね、うるさいもんね」


 息子はちょっとだけ機嫌の悪そうな声で納得を示していた。その視線の先には口泡を飛ばす中年の男、彼が怒りをぶつける道具がある。

 中年の男が足を叩きつける度に耳障りな音が辺りを満たしていた。


「この、くそったれのオンボロがぁ! こんな簡単な仕事さえ出来んのかぁッ!?」


 近くの通行人たちも不快に視線を、その道具に投げ掛けながら通り過ぎていく。中年の男にではなく、道具にだ。


「ほら、早く帰ろうか。あんなの見てても気分の良いもんじゃないだろう?」


「うん、かえる」


「それじゃあ、急ごう! お母さんが夕飯を作って待ってる」


「きょうのごはんなんだろう……!」


 食べ盛りの息子は夕飯の単語一つに大興奮だった。単純ながらもそこが愛しい。元気一杯で可愛い息子だ。

 友人にはバカ親だとか言われるけども、これぐらいが普通だろう。実際にそう言い返し、苦笑されたのは未だに納得がいっていない。


「パパはやくー!」


「ほら、飛び出すんじゃないぞ!」


 危うく馬車の前に飛び出そうになったのを慌てて止めたり、大騒ぎの息子に手を焼きながらも無事に家に到着する。

 まだ購入から一年少ししか経っていない、真新しい新築一戸建て。決して大きいと言えなくても、俺の城であり幸せの空間だ。俺が鍵を開けると息子は我先にと飛び込んでいった。


「二人ともお帰りなさい」


「ただいま」


「ただいまー! きょうのごはんなーに!」


「ふふ、野菜炒めよ」


「えぇー!」


 途端にテンションが下がる息子に、キッチンに立っていた妻は微笑んだ。だがすぐに、その表情は子供を叱るものに変わる。


「ちゃんと野菜も食べるの。大きくならないわよ」


「はーい……」


 微笑ましい日常の一コマに俺は思わず笑みを浮かべる。嗚呼、これが俺の幸せだ。俺の全てだ。俺はこの空間を、決して捨てることはできない。

 だから、今だけはお別れだ。


「それじゃあ、俺はいつもの集まりに行くよ」


「パパはいっしょにたべないの?」


「今日だけな。また明日、一緒に朝ご飯を食べよう」


 悲しげな息子の瞳に胸を締め付けられながらも、目線の高さを合わせて、それなら頭を撫でてやる。それでようやく、納得してくれた様子だった。

 コクりと頷くのを見て、今度は妻に向かい合う。


「また、朝には帰ると思うから……だから」


「別に私は何も言いませんよ。ただ、本当に古い友達の集まりなの?」


「ああ、本当だよ」


 何も嘘は言っていない。何も嘘は言っていない。そう心の中で繰り返して、自分自身を騙す。俺は何も、悪いことはしていないのだ。


「そっか。じゃあ、楽しんできてね」


「ありがとう。じゃあまた明日」


 背を向けてようやく、取り繕っていた表情を解放する。そのまま決して、本音を見せないように玄関に手をかけて、


「あなた」


「……っ。な、なんだい?」


「いってらっしゃい」


 ストンと胸に落ちる一言。足が勝手に止まる。何か返さなくてはいけない。


「いってきます」


 どうにか言葉を返しても。俺の首は後ろを振り返ることはできなかった。





 ☆ ☆ ☆ ☆





 数刻前に歩いた道を再び進む。


 この時間になれば、外を照らすのは建物から漏れでる僅かな灯火と月の明かりのみ。今宵は嘲笑うように、全身を惜しげ無く見せる月が俺のことを見下していた。


 時間がない。急がなくては。


 少しばかり歩調を早める。通行人の消え去った夜の街を進軍して──


「…………」


 何かが、俺の足首を掴んだ。反射的にその先を見下ろして。認識の誤りに気がつく。"これ"は掴んだのではなく、引っ掛かったのだ。ただ偶然に。何かの拍子に。

 だって、モノは勝手に動いてはいけない。使い手の指示が無い限り、それは物言わぬ道具でしかないのだから。


「しかもこれ、あの時の……貴族さまもポイ捨てしないでもらいたいな」


 暗がりで目を凝らせば、一部分が赤く染まった"それ"は先程、中年の男が踏みつけていた"モノ"だった。同時に、一度は忘れた怒りが再燃する。

 ただでさえ気分の悪い光景だと言うのに、こんな残骸見たくもない。しかも壊れかけであって、完全に停止していないのだ。


 一方的に、理不尽に。道具をかっておいて壊してしまうくそったれの貴族さまはこれだから──


「────」


「いい加減、もう止まってくれ!」


 いつまでも微かに音を立てる"それ"に向かって、力一杯踵を振り落とす。気味の悪い感触と残骸を撒き散らしながら、"それ"はようやく動きを止めた。


「はぁ……はぁ……! どいつもこいつもふざけやがって!」


 行き場の無い感情が荒れ狂っていた。いっそのこと一暴れしてやればいいんじゃないか。俺にはそれができる。どうせ、この国にろくな人間なんて……。


「あの子たちを巻き込むつもりか……」


 モヤモヤの矛先を自分の頬に、鋭い拳が脳を揺らす。それでようやく、頭が冷えてきたのを感じた。

 それも、一時的なものか。俺は正直、限界だ。この生活もいつまで持つかわからない。それでもしがみついてしまう。欲張りすぎた末路が、どうなるか知っているはずなのに。


「誰か……助けてくれ……」


 ……さっさと行こう。この日はどんどん悪い方向に思考が向かってしまう。


 悲観はそれまでに、歩みを再開する。やがて目的の場所に辿り着くと、周囲を見渡してから路地裏に身を滑り込ませた。

 その細い道を進んだ先、ボロボロなドアが行く手を阻む。


「俺だ」


「……入ってくれ」


 ノックを一つ、続いて声をかければ、内側から友人が顔を覗かせた。言葉に従い潜り込んだ先は、アルコール臭の漂う暗い部屋。行きつけの酒場の裏の倉庫だ。


「良かった。遅いから心配し……大丈夫か? 顔色が良くないが……」


「ちょっと……ちょっとな」


 俺を迎え入れてくれたのは五人の男。誰しもが関わり深い友人であり、何よりも数少ない仲間だ。その一人の気遣いに感謝しつつも、曖昧に誤魔化す。


「そろそろ時間だ。俺は別の部屋にいるよ」


 俺を招き入れた友人の一人が、隣の部屋のドアノブを掴んだ。その背中に思わず声をかける。


「毎月ありがとう。お前がいなかったら俺たちは……」


「よせやい。知り合いが奴隷になるのは俺だって見たくない」


「……ありがとう。今度、肉でも奢るよ」


「ならテキサスサイズな。もちろんチョリソー付きで」


「いくらでも食べさせてやるさ」


 軽い言葉を飛ばし合ってから、協力者の背中は部屋から消えていった。

 残った俺と四人の仲間は、静かに瞳を閉じる。また始まる。忌々しい時間が。それでもこれを乗りきれば、束の間の平穏が訪れてるとわかっているから。

 何より俺はもう一人じゃないから。耐えなくてはいけない。


「──っ!?」


 時計の針はゼロ時を指し示し、そして始まった。全身の血が沸騰する。筋肉が膨張し、そこらじゅうから針金のような剛毛が現れる。

 抑えきれない力を声として放ちたくなるのを、必死に瞳を閉ざして耐え続けて。


 ──開いた瞼の向こうにいたのは、仲間たちではなく四匹の人狼だった。


 そして、俺の姿も今は彼らと同じだ。人間の国で、魔族の俺たちは隠れ潜んでいる。見つかってしまえば、忌み嫌われる俺たちは破滅への一直線だと知っていても。

 極寒の世界から、豊かなこの国に逃げ出してきた。


「あとは静かにしてるだけだ。大丈夫、今日はすぐに……」


「──全員動くなッ!」


 友人の一人が言い切るより前に、突然部屋の中に見知らぬ男たちが雪崩れ込んできた。突然の事態に俺たちの変化直後の脳みそは理解が追い付かない。

 ただわかるのは、この男たちが槍を持っていて、国の兵士であることだけだ。


「確かにワーウルフ……通報に感謝します。こんなのがそ知らぬ顔で暮らしているなど……吐き気がする」


「え、ええ。報酬の方は……?」


「もちろん、後程に」


 兵士たちの一人を言葉を交わすのは、何を隠そう隣の部屋に移動していた友人だった。どうして、何故なんだ。必死に視線を投げ渡しても、彼は俺たちに敵意を向けるだけ。


「悪いなみんな。俺はチョリソーだけじゃ満足できない」


 槍が迫る。怒号を狭い空間を包み込む中、脳裏に浮かんだのは妻と息子の姿で。俺の化け物の腕から、鮮血が飛び散る。


『誰か……助けてくれ……』


 ついさっき、見捨てた同族の声の残像が。俺を責め立てるように木霊していた。

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