森のくまさんは妄想癖を拗らせているようです
ある日、村の少女メアリーは森の中でクマさんに出会いました。
その大きな体、フカフカの毛並み、そして何よりきりりとした顔つき。
メアリーはその瞬間、雷に打たれたかのような衝撃を受けのです。
それを恋だと知るのは村に帰ってからの事でしたが、それ以来メアリーの頭の中は来る日も来る日も森の中で出会ったくまさんの事で一杯になっていました。
そうして何度も何度も森に通って、何度も何度も姿を見れども声を掛けられない日々。
しかし、ついにメアリーは決心します。
くまさんの前に立つと、精一杯の勇気を振り絞って告白したのです。
「わたし、くまさんが大好きです」
◇◆◇
「よし、誰もいないな」
窓から外の様子を覗き込むと異常がない事を確認して安堵する。
そして家の中心に移動すると、体を丸くして小さくする。
もし相手が爆発物を使ってきた場合、壁の近くに居ては危険だからだ。
「落ち着くんだプータ、クールだ、クールになれ」
自分の名前を呼んで、心を落ち着かせる。
そう、俺の名前はプータ。森に住むくまだ。
ここら辺の森にならどこにでも住んでいる種類のどこにでもいる平凡なくま。
しかし、今俺の周りではちょっと厄介な事が起こっている。
『わたし、くまさんが大好きです』
森の中で出会った女が俺に言った言葉が脳内にリフレインする。
「くそ、なんでこんな事にっ」
思えばあの女にあったのは数日前だった。
俺は偶然あの女と森の中で出会った。
そして目を付けられた。
それからというもの、俺の周りにはあの女の気配が付きまとうようになったのだ。常に絶妙の距離を取り、俺が気が付くと即座に逃げる。
そう、あれは下見だ。
間違いなく俺を狩る為の!
そして女はついに俺の前に現れ、遠慮もせずに言いやがった。
『わたし、くまさんが大好きです』
くまが好きという事は、それすなわち熊鍋が好きということ!
間違いない。奴は俺を熊鍋にするつもりだ!
「くそ、熊鍋にされてたまるか!」
俺は部屋の中心で更に縮こまり防御姿勢を取る。
しかし、あの女は致命的なミスを犯した。
それは俺に熊鍋にすると宣言した事だ。どれだけ自信があるんだか知らないが、あんな宣言をされたらこちらだって自衛の手段を講じるに決まっているじゃないか。
だからあの日以来、俺は家から一歩も出ずにずっと引き篭もっている。
少なくとも外に出るよりは家の中に居る方が安全なはずだ。いくらあの女が凄腕の狩人でも俺の家の位置まではわかるまい。
そう思っていた時だった。
コンコン、コンコン。
ノ、ノックの音だと……。
「だ、誰だ?」
まさかあの女が……。そう思い身構えたが聞こえてきたのは女の声ではなかった。
「俺だ」
「俺……?」
聞く者の心を落ち着かせるような重低音ボイス。この声は、
「マ、マックか?」
「そうだプータ。最近お前が家に引き篭もっていると聞いてな。心配になってやってきた。中に入れてくれ」
その声はマックだった。マックというのは俺の近所の森に住んでいた幼馴染みのくまで数少ない俺の友人だ。
顔も良く、面倒見のいい性格に、聞くものを落ち着かせる低い美声。
そんな奴の周りにはいつも女の子がいつも集まっていたが、奴は恐ろしい事に恋愛よりも友情を取る男で、そんな女子の誘いを断りいつも一人ぼっちだった俺といつも遊んでくれた。
俺にはもったいないくらいの親友だ。
「おい、プータ一体どうしたんだ。一人で抱え込むな。俺でいいなら相談に乗ってやる。まずは中に入れてくれ」
少し昔の事を思い出していた。
それをマックは俺が躊躇していると思ったのだろう。先ほどよりも切実な口調のマックの声が扉の向こうから聞こえてくる。
「あ、ああ、ごめん。ちょっと待ってくれ。今開けるよ」
俺が扉を開けると、心底心配そうな顔のマックが現れて俺は申し訳ない気持ちになった。
本人が言っていた通り、マックはめちゃくちゃ俺の事を心配してくれていたようだった。
「プータ一体どうしたんだ。どうして引き篭もってる? 何があったっていうんだ?」
「いや、待ってくれ。落ち着いてくれマック。まずはお茶を淹れよう。それから話すから」
俺の肩を掴んで質問攻めにしてくるマックをとりあえず落ち着かせると、家の中央にクッションを置いて座らせてから梅昆布茶を出した。
「気を利かせてすまないな」
「大切な客人だからな。もてなすのが礼儀さ」
「相変わらずプータは優しいな」
マックはそう言って微笑むと、梅昆布茶に口をつけて一息つく。
そして梅昆布茶を飲み干すと「それで」と俺に鋭い目を向けた。
「なんで引き篭もってるんだ? 理由を話してくれ。俺に出来る事なら力になる」
正直な所マックを巻き込むわけにはいかないんだが、ここまで来て嘘をついて追い返せる程、俺は器用な男ではなかったので素直に話すしかなかった。
「実は、最近森のふもとの村の女に付きまとわれててな」
「ほぅ」
「それでついに俺の目の前に現れて俺に言ったんだ『わたし、くまさんが大好きです』ってな」
まったく思い出しても狂った女だ。食材を前にして自分の好物だと宣言してからハントするとかどんだけ趣味が悪いんだ。
「それでオーケーしたのか?」
「は? するわけないだろ」
どこの世界のくまに、自分を熊鍋にする事にオーケーするくまが居るっていうんだ。
「本当か?」
「本当に決まってるだろ!」
っていうかマックの奴からかってるのか。こんな当たり前の事でいちいち聞き返されてもその、困るぞ。
「それにしては、その女の事がかなり気になっているようじゃないか?」
「あ、当たり前だろ」
何しろ俺を熊鍋にして喰おうとしてるんだからな。
「家に引き篭もってるのもその女が原因なのか?」
「そ、そうだよ」
「その女の事を考えると、胸がドキドキしたりするのか?」
「するに決まってるだろ」
何しろ、いつ襲ってくるかわかんないんだからな。
「そうか……」
マックは黙り込んでしまった。やっと事の重大さをわかってくれたのだろうか?
そう思って俺も黙っていると、やがて思慮を終えたマックが静かに口を開いた。
「俺はお前をその女に渡すわけにはいかない」
「おお、わかってくれたか」
熊鍋にされないように俺を守ってくれるとか、さすが親友。とはいえ、マックに迷惑をかけるわけにはいかないのでその事を伝えようと口を開いた所でマックに割り込まれた。
「ああ、わかったよ」
マックはじっと俺の目をのぞき見ると、
「俺はずっとお前に言えなかった事がある。でも、その女に取られるくらいなら俺は言うよ」
「な、なんだよマック。神妙になって」
「俺もお前の事が好きだ」
「な……」
まさかマック、お前も俺を熊鍋に?
「う、嘘だろ?」
「いいや、本当だ」
いやいや、待ってくれよ。くまが熊鍋とかカニバリズムってレベルじゃねーぞ。
「ほ、本気なのか?」
「本気だ」
マックのその目は真剣そのものだった。
じゃあ、本当にお前も熊鍋が、
「す、好きなのか」
「ああ、好きだ。大好きだ!」
言い切りやがったこいつ――。
「マック! お前も俺を食べる気だったのか!」
「ああ、食べたいさ! 今すぐにでもお前の事を食べてしまいたいと思っている!」
おおおおおおい! マジで言ってるのか。それマジで言ってるのか。俺マックに熊鍋にされちゃうのか。やべぇ、女の事とか考えてる場合じゃなかった。
このままじゃマジで食われる。食われてしまう! ど、どうすれば。そうだ、さりげなく家から出なければ、に、逃げるんだ。
するとマックがおもむろに立ち上がりごぞごぞと冷蔵庫を漁る。
「な、何してるんだマック?」
「いや、お前を食べるのにとろろ芋とスッポンがないかと思ってな」
いや、それは熊鍋には、
「必要ないんじゃないか?」
「いや、絶対必要だろ」
とろろとスッポン熊鍋に入れるつもりだよ、このくまー! とろろとすっぽんとか絶対に熊鍋に合わないから、マジで合わないから。げ、ゲテモノ食いだー!
「うわぁあああ! 来ないでくれぇええええ!」
「待ってくれプータ、俺はあくまで紳士的にやりたい」
いや、熊鍋にするのに紳士的とかないから。むしろ鍋って庶民の料理だから。もはやさりげなくとか言ってる場合じゃない、一刻も早くこの家から逃げねば、逃げねば!
「プータ俺は本当にお前の事が好きなんだ!」
「それはわかったって」
もしかしたら俺のお肉、熊鍋にしたらおいしいかも知れないもんな。マックが熊鍋が好きな気持ちは痛いほど伝わってきたけど、俺は熊鍋にされるわけにはいかないんだ!
全力で家から出ようと扉に走りよったその時だった。
「話は聞かせてもらったわ!」
「お、お前は!?」
扉をバンと開けて、森の中で出会った女が入り口に立っていた。
「メアリーよ」
いや、名前は訊いてないが。
「な、なんでここが?!」
「もちろん、調べたのよプータ」
お、俺の名前まで。ついに名前と住所を探し当てて家まで追いかけてきたのだ。
慌てて家の中に戻ろうとすると、マックが仁王立ちですぐ後ろに立っていた。
「貴様か、俺のプータを横取りしようとしたメスは」
「そっちこそ、わたしのプータに手を出さないで」
「ふん、プータは俺のものだ」
「いいえ、プータはわたしのものよ」
いがみ合う両者。
やめてー、俺を熊鍋にする事で争わないでー。
というか今がチャンスでは、どちら熊鍋を食すか火花を散らす両者の間をそろそろと忍び足で抜けようとすると、
「あくまでもプータを独り占めするっていうなら、容赦しないんだから」
メアリーなる女が取り出した包丁が目の前に突きつけられた。
「ちょっ……」
慌てて後ろを振り返ると、
「ふ、そんなもの持ち出しても無意味だ」
マックが鍋を前に構えて立っていた。
え、もしかして調理するつもり? 二人で調理するつもりなの?
「落ち着け娘よ。俺はプータを独り占めにするつもりはない。二人で分け合おう」
「そんなの嫌に決まってるでしょ。馬鹿なの!?」
いや、お鍋はみんなでつついた方がおいしいよ。
そして気づいた時には、包丁と鍋が俺の前に迫っていた。
「プータわたしよね」
「プータ俺だよな」
訊ねてくる包丁と鍋、それに俺は――――。
◇◆◇
「おかあさん、それでプータはどうなっちゃったの?」
「さぁ、どうかしら。続きはまた明日ね」
「ええ、そんなぁ」
「今日はもう遅いから寝なさい」
「はーい」
はたしてプータはどうなってしまったのでしょう。
続きを夢にみながら、女の子は眠りについたのでした。
めでたしめでたし。