ドリームキャッスル
ドリームキャッスルの入り口から中に飛び込み、全員が駆け込んだのを確認して、その大きな扉を勢い良く閉めた。覗き窓から外を見てみたが、追って来るロンゲリアンの姿はない。ひとまず巻いたのだろう。
ドリームキャッスルの中は、どうやら長い間誰も入った事がないらしかった。床に積もった埃の上には、何の足跡も残っていない。ここはロンゲリアンには人気がないアトラクションなのだろう。俺はホッと溜息をついた。
「皆。大丈夫か?」
全員すっかり消耗しているが、とりあえず無事だ。ただ、拓也だけは涼しい顔をしている。
「ねえ……、ここってさ……」
千花が、辺りを見回しながら恐る恐る言った。
「『七不思議』のひとつにあった場所じゃない……?」
「え!? ど、どんなウワサがあるの?」
怖がりの康介は、既に逃げ腰だ。
「確か……、地下にある拷問部屋のウワサ……」
「拷問部屋!?」
「そう。遊園地にそんなものあるはずないのに、なぜかあるんだって」
「や、止めようよね! 地下に行ったりしない方がいいよ!」
康介がすがるような目つきで俺を見た。俺は黙って頷いた。もう、探検ごっこはとっくに終わっているのだ。
「上の階に登ってみよう。ひとまず、休める場所を見つけるんだ」
俺は、すぐ近くにある上階への階段を指し示した。
ギシッ……ギシッ……ギシッ……
俺の歩調に合わせ、階段は規則正しく軋んだ。
「ねえ、健太……」
隣を歩いていた千花がふと囁いた。
「あたしたち、家に帰れるのかな……」
「おいおい、千花」
俺はわざと気楽な調子で言った。
「何弱気な事言ってんだよ! 気合だよ、気合! どうにかなるって」
千花は、いつもとは別人のように弱々しい笑顔を見せた。妙に女らしい気配が漂う。普段ボーイッシュな格好をしているせいで中々気づかないが、千花には可愛いところがあるのだ。
「お前なあ、せっかくそういう顔するんなら、相手が違うだろ」
俺は、一人だけ少し離れて歩いている拓也を顎で指した。千花は頬を染めたが、その表情は固い。何かを考え込んでいる様子だ。
「あたし……。拓也に告白しようかな」
唐突に千花は言った。
「え!?」
「こ、こんな時に変かもしれないけど……。でもあたし達、ここで皆ロンゲリアンにされちゃうかもしれないんだよね。そうしたら……。言っておかなきゃ、きっと後悔するもん」
「縁起でもない事言うなよ」
俺は苦笑しつつも、千花にそっと耳打ちした。
「告白するのは、俺も賛成だけどな」
要領の良い愛美に比べて不器用で甘え下手な千花は、一歩出遅れている感があった。が、俺は内心、拓也には千花のようなしっかりした彼女が似合うと思っていたのだ。
「千花。後で俺が何とかして、二人きりになれるようにしてやるよ。だから頑張れよな!」
「えっ。あ、ありがとう……」
千花は耳まで赤くして俯いた。
「じゃあ、頑張っちゃおうかな」
そう言って少し笑い、拓也の方に近寄って行った。二人で何か話しながら歩く。
「ねえねえ、健ちゃん!」
部屋を一つひとつ覗いていた康介が俺を呼び止めた。
「この部屋、休憩するのに良さそうだよ」
見るとそこは、中世風の豪華な応接間を模した部屋だった。ドリームランドが営業していた頃の古びた家具が、そのまま置かれている。ソファもあるし、ここならゆっくり休めるだろう。
俺達はその応接間に入りこみ、思い思いの場所に腰掛けた。美咲がさり気なく俺の横に並んでソファに座り、俺の心臓は跳ね上がった。
そうだ。こういうの、どこかで聞いた事があるぞ。人は危機に陥った時、身近な異性に惹かれるっていう……。何て言うんだっけ。そうだ。「割り箸効果」だ。
俺は、美咲の可愛らしい小さな顔をそっと見つめた。割り箸効果を利用すれば、俺と美咲もここで一気に距離を縮める事が……!
次の瞬間、俺はハッと我に返った。
ロンゲリアンにされてしまうかもしれないこんな状況で、よくそんな事考えられるな。まったく男ってやつは……。
「ふ~~ん ふふん ふ~~~~ん ふん ふん♫」
康介は少し離れた場所の大きな椅子に掛け、鼻歌で、寿太郎の「春の四万十川」を歌い始めた。康介の得意曲の一つだ。子供の頃から康介は、緊張や不安を紛らわせたい時によく歌っていた。
「しま~~~~~~んとぉ~の~~ ながれぇ~~にぃ~~~♫」
だんだん気分が良くなってきたらしい。気持ちよく歌っている。
「ねえ、健太くん……」
美咲が俺の袖を引いた。
「ん?」
「拓也くんさ、何か変じゃない?」
そう言って、そっと拓也の様子をうかがう。
拓也は千花と並んで座っているが、いつもヘラヘラしている拓也からは想像もつかないくらい、むっつりとした表情だ。千花が話しかけても、適当に相槌をうつだけ。いつもの拓也なら、ふざけた風を装って千花にベタベタしそうなものだ。
まあ、この状況から考えれば、別におかしいとは言えないだろう。だが俺は、さっきの拓也の冷たい口調が引っかかっていた。それに……。さっきからずっと、目深に被ったままのキャスケット。その後ろが妙に膨らんでいるような……?
いや、無駄に美咲の不安を煽るのはよそう。
「別に、変って言うほどの事もないよ」
俺は明るくそう言った。
「それよりさ……。なあ、皆。これからどうする?」
互いに顔を見合わせる。だが誰も、これといった良い考えも浮かばないらしい。
「……健太は何か考えがある?」
千花が俺に尋ねた。
「うーん。ロンゲリアン祭りがいつまで続くのか。それが問題だよな」
「そっか……、ロンゲリアン祭りが終わっちゃえば、ロンゲリアンはどっかに行っちゃうかな!?」
康介の顔が輝いた。
「じゃあいっそ、このままここで隠れているのはどうだ? ロンゲリアン祭りだって、何も三日三晩続くわけじゃないだろう。祭りが終わるまでやり過ごせれば……」
何もない時間って、こんなに苦痛なものだったのか。
皆、何度も溜息をついた。気が滅入る。美咲はスマホを取り出したが、いつの間にか電波圏外になっていた。拓也と千花は黙り込みがちで、康介だけが呑気に歌い続けていた。
これでは精神的にやられてしまう。とにかく皆で何か話している方がましだ。俺は手当たり次第、話題をふった。そうしているうちいつしか、話題は例の、「裏野ドリームランド七不思議」の事になった。
「そう言えばさ……。あの、『裏野ドリームランド七不思議』って、他にどんなのがあるんだ?」
「えっとね、確か……、ジェットコースターの事故のウワサ」
「事故? どんな」
「それが不思議なの。どんな事故があったのか、関係者の誰に聞いても皆言う事が違うんだって」
「へえ……。後は?」
「後は、アクアツアーズの謎の生物……、あっ」
千花は、何かに驚いたような顔で俺を見つめた。
「アクアツアーズで謎の生き物が目撃されてる、ってウワサなんだけど。これってもしかして、ロンゲリアンの事じゃない!?」
確かに、最初に見たロンゲリアンは池の中から出てきた。奴らは水が好きなのかもしれない。何が好きかじゃなくて、苦手なものが分かると良かったんだが。
「あの、あたし、ちょっと……」
美咲が腰を上げた。トイレに行くんだろう。
「あっ、待て美咲!! 一人じゃ、万が一の時に危ない! 俺が付いて行く!!」
「え!?」
首を傾げる美咲に、俺は目で合図を送った。何か言いたげな俺の様子に気づいた美咲は、
「うん。じゃあ健太くん一緒に来てくれる?」
と言ってドアに向かった。
「康ちゃんも来いよ!!」
「え~、僕はまだ……」
「いいから、来いって! な!?」
俺は半ば無理やり康介を引っ張り、美咲の後から部屋を出た。
「ねえ、何なの?」
廊下を歩きながら、美咲は怪訝な顔をした。
「千花がさ、拓也に告白するって言ってたんだよ。だから二人きりにしてやろうと思ってさ」
「ええっ! 千花が!?」
「へえー! 上手くいくといいねえ」
「うん。……とりあえず、少し時間を潰してから部屋に戻ろうぜ」
「分かった」
美咲のついでに俺達も用を足し、その後は三人で所在なく廊下の片隅に佇んだ。
「……少し、その辺をぶらぶらしてみるか?」
こうしてただぼんやり立っているのも退屈だ。
「えーっ! 怖いよ! やめようよ~」
「康ちゃん怖がりすぎだろ! ほら見ろよ、ここにはロンゲリアンはいないよ」
俺は床に敷かれている、半分擦り切れた絨毯を指差した。積もった埃の上には、俺達三人の足跡だけがくっきりと刻まれている。
「う、うん。まあそうだろうけど……」
「ほら、行こうぜ! 知ってるだろ、俺、じっとしてるの苦手なんだって」
常に筋肉を動かしていないと、なんだか身体がムズムズして落ち着かないのだ。
俺達は、ゆっくり廊下を進んで行った。一つ一つ、部屋を覗いてみる。途中で康介が「ヒッ」と声を上げたので見ると、古びた蝋人形があったりした。
「康ちゃんは本当、怖がりだよな~」
俺は笑った。
「覚えてるか、美咲。ほら、小学校の修学旅行でさあ……」
「あー! 覚えてる覚えてる~」
昔話に花を咲かせているうち、俺達は廊下の端までたどり着いてしまった。忘れられたような木製のドアがあり、そこで廊下は終わっている。ドアの向こうは物置か何かだろうか。俺は何気なく、そのドアを開けてみた。
ひゅう、と、外気が廊下に流れこんだ。見ればドアの向こうは二メートル四方ほどの狭いスペースで、階下に降りる階段が備えられていた。非常階段だろうか。湿っぽくひやりとした外気は、階下から吹き上がって来る。片隅に、吹き溜まりが出来ている。
何気なくその吹き溜まりに目をやった俺は、次の瞬間、背筋が凍りついた。
そこには夥しい量の髪の毛が、風に巻かれてくるくると、まるで生き物のように踊っていた。
「ヒッ!」
「ちょっちょっちょっ……! あ、あれ……」
「だ、大丈夫だ! 落ち着け康ちゃん。きっと、風に吹かれて外から運ばれてきただけだ!」
「そ、そうかなぁ」
「そうだ。そうに決まってるだろ! ……と、とにかく、そろそろ部屋に戻ろう。あんまり遅くなると心配させるかもしれないし」
「うん、そうしよう! 戻ろう! 早く!」
康介はそそくさとドアを閉めて歩き始めた。その時だ。廊下の向こうから、足音が聞こえてきた。康介はギョッとして足を止めた。
足音は、ヒタヒタと小走りでこっちに向かって来る。
「健太くん!」
美咲が俺の腕にすがりついた。
ヒタヒタ ヒタヒタ ヒタヒタ……
まさか、俺達を追ってきたロンゲリアンか!? 俺は身構えた。康介は震え上がり、動く事も出来ないようだ。
ヒタヒタ ヒタヒタ ヒタヒタ……
廊下の角を曲がって、足音の主が現れた。それは千花だった。
「千花! お、脅かすなよ……」
俺に気づいた千花は、ハッと顔を上げた。その頬が涙に濡れている。
「え!? 千花、どうしたの!?」
美咲が駆け寄った。だが千花は黙って首を振った。
「ごめん。しばらく放っといて……」
そう呟くと、俺の横をすり抜けて康介の閉めたドアを開け、そのまま階段を降りて行ってしまった。
「お、おい千花! 一人でどこ行くんだ! 危ないぞ!」
呆気に取られた俺がそう叫んだ時にはもう、千花の姿は階段の下に見えなくなっていた。
「千花ちゃん、もしかして振られちゃったのかな……」
「とにかく部屋に戻って、何があったのか拓也に聞いてみよう」




