観覧車
ギシ……ギシ……ギシ……
近づくにつれて、錆びた観覧車が廻る規則的な音が聞こえて来る。こんな事態でもなければ、絶対に乗ろうと思わないであろう、古ぼけた観覧車だ。安全面で多分に不安がある。
走りながら振り返れば、追い迫るロンゲリアンが俺達との距離を縮めつつあった。だが、これなら間に合う。追いつかれる前に、観覧車の個室に逃げ込んでしまえばこっちのものだ!
「よし、乗るんだ! 早く!」
俺は美咲を背中から降ろした。愛美が一番早く、続いて千花と美咲が、観覧車乗り場の階段を駆け上る。
「うわああ~~~~っ! 健ちゃーーーーん! 助けて!」
はっとして階段の下を振り向くと、なんと康介が、ロンゲリアンに背後から抱きつかれている!
「康ちゃん!」
俺は数段の階段を一気に飛び降り、駆け寄った。康介から奴を引き剥がそうとしたが、奴はまるでヒトデのようにぴったりと康介に貼り付き、剥がれない。
「この……、ロン毛野郎!」
俺はロンゲリアンの長い髪を掴み、思い切り引っ張った。途端、
「ピィミギャーーーーーー!」
ロンゲリアンは悲痛の叫びを上げて康介から離れた。俺はついでに、勢いをつけて飛び膝蹴りをお見舞いした! もんどり打って倒れるロンゲリアン。その隙に、康介を引きずるようにして階段を一気に駆け登る。
ちょうど先頭にいた愛美が、乗り場に来た観覧車の個室の扉に手をかけたところだった。
よし! あれに乗り込んでしまえば……!
愛美が個室に飛び込む。続いて美咲が……、と思った瞬間、扉は勢い良く閉まってしまった!
「!?」
「ちょっ……」
美咲は扉に取りすがり、取っ手をガチャガチャと回しながら引いた。だが、扉はびくとも動かない。愛美も、扉にはめられたガラスを内側から激しく叩いている。
「やだぁ! 何これ!? 出して……!!」
「開かないよ! どうしよう、健太くん」
美咲が泣きそうな顔で俺を振り返った。
「よし! どいてろ!」
俺は美咲に代わって扉に飛びつくと、横に足をかけて思い切り引いた。が、ぴくりとも動かない。この俺の筋肉を持ってしても開けられないなんて、何か超自然的な力が働いているに違いない。
そうしている間にも、観覧車はゆっくりと回り続けている。愛美の乗った個室は少しづつ、少しづつ上の方へ登って行く。
その時だ。個室の中で、愛美の背後にヌッと立ち上がったのは――。
「ロンゲリアン!」
振り返る愛美。その顔が驚きと恐怖に歪む。
「ゆるふわ……」
掠れた声が小さく響き、それきり、愛美の乗った個室の内部は俺達の位置から見えなくなってしまった。
「愛美……!」
俺はがっくりと肩を落とした。その時だ。
「あらら~」
脳天気な声が聞こえた。
見ればさっきのウサギが、いつの間にか俺の隣に立っている。
「お前は……、さっきのウサギ!」
「ただのウサギじゃないぴょん! 申し遅れたけど、ぼくは裏野ドリームランドのマスコットキャラクター、ドリミィ~だぴょん!」
「ドリミー……?」
「ちっがーう!」
ウサギはぷりぷり怒って訂正した。
「ドリミィ~!!」
「ど、ドリミィ~……」
俺は、今やずっと高い所まで行ってしまった観覧車の個室を見上げて尋ねた。
「なあお前、観覧車をどうにか出来ないか!? 愛美を助けないと……!」
「人のことより自分のこと考えたほうがいいぴょん! ロンゲリアン、すっごく、おこってるぴょーん」
「え?」
「おまえ、ロンゲリアンの髪の毛引っぱった。髪はロンゲリアンの命だぴょん!」
「そ、そんな!」
「おい、こいつの言う通りだ。さっさと行こうぜ」
低く、冷たい声が背後で響いた。振り返ると……、いつの間にか拓也が立っている。
「拓也! お前、無事だったのか!?」
「何言ってんだ。ずっと一緒だったろ」
「え……?」
そうだったろうか。記憶を辿ってみたが、拓也の姿を見た覚えが無い。だが、筋肉と違って俺の脳はあまり当てにならない。本人が言うならそうなんだろう。
「早いとこ逃げた方がいい」
そう言い捨て、拓也はさっさと踵を返した。
「待ってよ拓也! 愛美が……」
千花が泣き声で言うと、拓也はふり返り、ふん、と鼻を鳴らした。
「やられちまったもんは仕方ないだろ」
「え……?」
「おい、拓也。そんな言い方って……」
俺の言葉は途中で止まってしまった。拓也の向こうに、さっき俺が倒したロンゲリアンが見える。奴はのっそり起き上がり、こちらを見た。そして、俺達に向かってヨロヨロと歩き出す!
「自分の心配するぴょーん!」
ドリミィ~はさっさと走って行ってしまった。
「やばい。逃げ……」
「ンバああああああああああぁぁぁっっ!!!」
突然、右側の植え込みの影からロンゲリアンが現れた!
「きゃああああ!」
「健ちゃん! こっちにも!」
見れば、左側からも後ろからもロンゲリアンがこっちに向かって来る。いつの間にか俺達は、ロンゲリアンの群れに囲まれてしまったのだ!
「わあああぁ! ど、どうしよう……」
康介はオロオロするばかりだ。
千花は、何か武器になるものはないかと辺りを見回している。男勝りの千花らしいが、いくらなんでも無理だ。相手は数十……匹? 人? の、ロンゲリアンなのだ。拓也は妙に冷静に、ロンゲリアン達を眺めていた。何か策を考えているのだろうか。
「け、健太くん……」
美咲が、俺の脇にそっと寄り添った。いつもより距離が近い。不安そうな瞳で、俺の顔をじっと見つめている……。
俺の筋肉が震えた。
そうだ。この場を切り抜けられるのは俺しかいない。俺の筋肉だけが頼りだ!
「皆! 俺が突破口を開く。俺に付いてこい!」
「で、でも健ちゃん。どこに……?」
一瞬戸惑ったが、ドリームキャッスルの屋根が俺の目に入った。裏野ドリームランドのシンボルとも言うべき建物だ。
「ドリームキャッスルに行こう! 隠れられる部屋とか……、とにかく何かありそうだ!」
いつもは俺を脳筋と呼んでからかう皆も、この時ばかりは黙って従った。いずれにせよ、迷っているヒマはない。
全員顔を見合わせて、頷く。
「よし。合図したら行くぞ……」
せーの、と駆け出そうとした瞬間、俺はふと思い出した。愛美から預かったままのバッグ。その中を探る。きっとあるはずだ……、あった。
マイナスイオンドライヤー。携帯に便利な小型タイプでもパワーは充分。29800円もしたらしい。
俺はそのマイナスイオンドライヤーを、そっと観覧車の降り口に置いた。
――愛美へのせめてもの手向けに。
「よおし! 行くぞおおおおおお!!!」
俺は真正面のロンゲリアンに向きなおると、勢い良く突撃した。




