メリーゴーラウンド
俺達の前を、拓也は早足で歩いて行く。その背中をなんとなく眺めているうち、俺の頭にふとした疑問が浮かんだ。
メリーゴーラウンドは、ミラーハウスのちょうど横手にある。さっき入り口から入った拓也は、メリーゴーラウンドをまだ見ていないはずだ。
「なあ、あいつどうして、メリーゴーラウンドのある場所を知って……」
俺が言いかけたその時だ。
「ちこくちこく~!」
誰かが勢い良く角を曲がってきて、ちょうど真正面から俺と向き合う形になった。
「うわっ!」
「うわー!」
咄嗟の事でよけられず、俺は相手と正面衝突してしまった。
「痛ててて……」
尻もちをついた俺は、一体誰とぶつかったのかと相手を見やった。
――それはウサギだった。
正確には、人間サイズの、ピンクのウサギの着ぐるみだ。黄色い蝶ネクタイを身に着け、紫とピンクの縞模様のパンツをはいている。口にはパンをくわえていた。
「ちょっとー! 気をつけてよねもー!」
ウサギはぷりぷり怒りながら立ち上がった。
「ご……、ごめん」
「次からは気をつけて……、って、えー!?」
ウサギはのけ反った。
「きみたち、なんでいるのー!?」
やばい。もしかしてここの管理者だとか、そういう感じの人なのだろうか。そうは見えないけれど。
「あ、あのっ、俺達……」
「す、すみません!」
「ちょっと面白そうだなって……」
「ごめんなさーい!」
俺達は口々に取り繕おうとした。
「すみませんでした! すぐに出ます!!」
俺はウサギにそう言った。ところがウサギは、ぴくりとも表情を動かさずにじっと俺の目を見つめた。
「もう……、遅いぴょーん」
「え……?」
「君たち全員、ロンゲリアンの餌食だぴょーん」
「は? 何ですか? ろんげりあん?」
ウサギは黙って、俺を指差した。
「……!?」
いや、違う。俺を差しているんじゃない。俺の後ろにある池を――、
「ンバああああああああああああああああぁ!!」
池の中から突如、濡れた長髪をたなびかせ、そいつは現れた。顔を伏せ、両手を力なく前に突き出し、ゆらゆらと身体を左右にゆすっている。血の気のない灰色の肌に、ぼろぼろになった服。その長い髪の裾が水面に広がり、ワカメのようにゆらめく――。
「きゃああああ!」
「な、何アレ~!?」
「だから、ロンゲリアンだって言ってるぴょーん」
ロンゲリアンはゆっくりと顔を上げた。濡れた髪がぺったりと頬に貼り付き、表情は良く分からない。ただ、真っ黒い、ほとんど黒目だけしかないような瞳がじっと俺達を見つめている!
「君たちみんな、ロンゲリアン的にアウト。ロンゲリアン、ロン毛じゃないと許さない。みんなロンゲリアンに捕まって、ロンゲリアン毛を移植されて、ロン毛になるぴょん!」
「そ、そんな! 今時ロン毛とか……!」
俺と康介は身震いした。
「ロン毛になって、ロンゲリアンの仲間になるぴょん! ロンゲリアンになると、髪の毛がもっともっと伸びるぴょん! どんどんどんどん、伸びるぴょん! そんで身体の栄養をぜーーーーんぶ髪の毛に取られて、最後は死んじゃうぴょん!」
「ええっ……!」
千花と美咲は、互いの短い髪に思わず目をやった。
「ね、ねえ! あたしは!? あたしは髪の毛長いから大丈夫よね!?」
愛美が、すがるようにウサギに向かって問いかけた。
カリスマ美容師の熟練テクニックによって絶妙な色合いに染め上げられ、雑誌モデルのように整えられたゆるふわモテロングを見せつける。
だがウサギはそれをしげしげと眺め、
「アウト!」
と、冷酷な判断を下した。
「何でよ!?」
「黒髪ストレート、至高」
「ウソでしょ!? ありえない!」
その時だ。
ギシッ。ミシ……ギシギシ……
錆びた金属のきしむ音が聞こえてきた。
「ちょっと、あれ……!」
千花が震える指で示す方を見ると、そこにはメリーゴーラウンドがあった。そのメリーゴーラウンドが、ゆっくりと動き始めている!
錆びついて塗装も色あせた、乗る人なきメリーゴーラウンドは、重々しく廻り始めた。少しづつ、軽やかに動き始める。同時に音楽が鳴り始めた。古くさいオルゴールの音色が、少し調子の外れた「通りゃんせ」のメロディーを奏でている。
「ああ! 始まった~!」
ウサギが、廻るメリーゴーラウンドを見て言った。
「始まったって、何が?」
「今日は年に一度の、ロン毛の祭典。ロンゲリアン祭りだぴょーん!」
「ロンゲリアン祭り!?」
「はやく逃げた方が、いいと思うぴょーん!」
ウサギはそう言ったかと思うと、
「ちこくちこくー!」
と、走り去ってしまった。
「ちょ、待っ……」
「健ちゃん!!」
康介の叫び声に振り返ってみれば、ロンゲリアンが、池からゆっくり這い上がろうとしていた。
「うわああああ! こっち来るよお! 健ちゃん!」
「皆、逃げろ!」
俺達は一斉に走り出した。ロンゲリアンが何なのか良く分からないが、このままボヤボヤしていて楽しい事にはならないと本能が告げている。全速力でもと来た道を引き返す。振り返る余裕もない。
やがて、ドリームランドの入場門が見えてきた。
だが、門にも錆びた鉄柵にも、一面に蔦が絡みついているようだ。さっきはそんなもの、なかったはずなのに。
入場門までたどり着いた俺は、息を切らして立ち止まった。門に絡みつく蔦に手をかけた瞬間、
「ヒッ!」
と思わず声を上げ、手を引っ込めた。
――蔦だと思ったのは、髪の毛なのだ。
かなりの高さがある、裏野ドリームランドの外周を囲む鉄柵と、そこに設けられた入場門。そこに、夥しい量の髪の毛が、まるで蔦のようにびっしりと絡みついているのだ!
髪の毛はまるで蛇のようにウネウネと渦を巻き、鉄柵と門にしっかり絡みついている。これではとても、門は開かない。
「な、何これぇ!」
愛美が門を見上げ、絶望的な声を上げた。
「これじゃ、出られないじゃない!」
俺は背後を振り返った。まだ大分距離はあるが、ロンゲリアンは確かに俺達の後を追って来ている!
「やばい。ここにいたらダメだ! とにかく逃げるんだ!」
俺は、呆然としている千花と愛美の肩を揺さぶった。
「こっちだ!」
今俺達が戻ってきた道以外にも、入場門から左右にそれぞれ向かう道があった。俺はそのうち右側の道に向かって走り出した。美咲も千花も愛美も走り出す。康介が、ワンテンポ遅れて付いて来る。
いつの間にか、園内の様々なアトラクションがどれも動き始めていた。あちこちで、錆びついたそれらの立てるきしんだ音が響く。
どこまで走ればいいのか。だんだん息が切れてきた。振り返ってみると、皆俺に遅れをとっている。康介に至っては姿が見えなくなる寸前だ。このままでは、はぐれてしまう。俺はひとまず立ち止まった。
「ンバああああああああああああああぁっ!」
俺から二メートルと離れていない茂みの中から、長い髪を振り乱したロンゲリアンが立ち上がった!
「う、うわあああああ!」
反射的に、皆の所に走る。
「だ、だめだ! こっちだ!」
脇道に入る。
そして、ひたすら走る。自慢じゃないが、筋トレが趣味である俺の体力は相当なものだ。しかしその俺でもそろそろ限界だった。ましてや皆はもう無理だろう。俺は歩調を緩めた。皆が追いついて来る。荒い息を整えるのが精一杯で、口をきく事も出来ない。
「ひとまず、どこかに隠れよう」
うまい具合に、近くに園内の案内板が立っている。俺達はその前に立ち、隠れるのに良い場所がないか探した。
「あっ! これ……」
千花が、案内図の一箇所を指差した。見るとそれは、観覧車だった。「現在地」と書かれた赤いマークのすぐ近くだ。見上げると確かに、前方に観覧車が見える。誰も乗っていないようだ。あれに乗り込んでしまえば、とりあえず隠れられる。休む時間を稼げるだろう。
「よし! ひとまず観覧車に行こう」
俺の言葉を合図にしたように、皆一斉に観覧車に向かって走り出した。だが、足取りは重い。
「あっ」
美咲が転んだ。
「だ、大丈夫……」
美咲は息を切らし、やっとそう言った。俺を見上げる、潤んだ瞳……。それが、俺の力を奮い立たせた。
今こそ、俺の筋肉の出番じゃないか。日頃鍛え上げている筋肉、今ここで使わずにいつ使う!?
「千花! 愛美! 荷物貸せ!」
俺は半ばひったくるようにして二人のバッグを肩にかけると、美咲をおぶった。
「ちょ、健太くん!?」
「皆、走れ! 康ちゃん大丈夫だな!?」
「う、うん!」
「よし行くぞ! うおおぉぉぉぅぅぅぅおおお!」
俺は気合いを入れると、美咲を背負って走り出した。それでも他の皆より、一足早く前を行く。
「健太くん……すごい……」
背後でつぶやく美咲の声に、俺の筋力は倍増した。少しだけ、ロンゲリアンに感謝すらした。




