side キャトル 仕事と雇い主
私は吸血鬼族のキャトル・エレイン・フィラーといいます。実家を勘当され、ルロリーマ大陸からも追い払われた私は、ゴーンドワナ大陸のウェーバーという街で日雇いのバイトで食いつないでいました。そんなある日、健康的な血の臭いにひかれてつい入ってしまった家にたまたまいらっしゃったダンジョンマスターのリチャード・ルドルフ・イクスティンク様に拾って頂き、ダンジョンで働くという定職を頂きました。
「リチャード様、私のお仕事は何なのでしょうか?」
リチャード様は私のお仕事について、『ダンジョンに着いてから考える』と仰っていました。しかし、もうダンジョンに着いて3日経つというのに一向に私に仕事をさせようとする気配がありません。
「んー、改めて考えてみたらさ、あんまり仕事ってないんだよね。ダンジョン整備は俺とティリがやるし、魔術はルキナスさんが教えてくれるし、剣術はルーアちゃんが教えてくれるし。そうすると、他に何もないんだよね。」
「でも、このままじゃ私はごくつぶしですよ?」
「そう言われても……無銭宿泊で警察に突き出されるとか思ってるの?」
「いえ、そういう訳ではないですが……」
「じゃあ何? 別に無料で泊まれてるんだから良くない? その宿の持ち主も良いって言ってるんだし。」
「良くないですよ! 口約束じゃ、正式な契約にならないかもしれないじゃないですか! そうしたら私は無銭宿泊の犯人になっちゃいます! 極貧生活は嫌ですけど、犯罪者にはなりたくありません!」
「いや、キャトルはもう既に犯罪者だよ。家宅侵入と窃盗未遂。」
「あっ……」
私は街でリチャード様のパーティメンバー、ユリア・エステル・ローレライ様の家に忍び込み、トマトケチャップを飲もうとした事を思い出しました。
「でもあれは……」
「でもも何もないよ。犯罪は犯罪。まあ、俺だって犯罪者だけどね。殺人に傷害、身分詐称に占有離脱物横領未遂に不法投棄未遂、挙句の果てには道路交通法違反と犯人蔵匿。もうやりすぎて訳分からないくらいだよ。」
「ええ? そうなんですか?」
「うん。まあ、人を殺したり傷つけたりしたくないんだけど、ダンジョンマスターとして命かかってる以上、そうも言ってられないしね。で、話がそれちゃったけど、結論を言うと、本当にキャトルがやるべき仕事が無いんだよ。」
そう言うと、リチャード様はウィンドウの操作を始めました。ウィンドウに集中していらっしゃるのに、何だか見られているような気がします。本当にリチャード様には隙がありません。きっと私が1mmでも動いたらすぐにお気付きになるでしょう。
「ご主人様! もうお昼ですよ!」
話しかけてはいけない空気を完全に無視してリチャード様に声をかけたのは、リチャード様の秘書である妖精のティリウレス・ウェルタリア・フィリカルト様です。
「ああ、もうそんな時間か。じゃあキャトル、飲んでいいよ。」
そう言うと、リチャード様はローブの襟元を開きました。
「い、いえ。3日前に頂きましたのでまだ大丈夫です。」
「そう? ならいいけど。じゃあティリ、お昼休憩。ハチミツ食べていいよ。」
「はい! じゃあ遠慮なく!」
そう言うと、ティリウレス様は明らかにご自分の身体の3倍以上あるハチミツの壺を持ってドールハウスの横に座り、ハチミツを食べ始めました。
「んー……どうするかな……」
一方、リチャード様はまだ困り顔です。何かを考えていらっしゃいます。
「そうだな……これは危ないよな……」
リチャード様は呟きます。なにが危ないんでしょうか?
「でもな……これもちょっとお勧めできないし……」
リチャード様の独り言がどんどん増えていきます。なにを考えていらっしゃるのでしょうか?
「よし、一か八かだ!」
リチャード様が急に大声を上げました。
「な、何が一か八かなんですか?」
「正確には一か八かって言い方はおかしいんだが、今はどうでもいい。キャトル、仕事だ。」
そう言いながら、リチャード様はウィンドウを操作します。すると、私の前に文字が出現しました。
・居住区の掃除
・モンスターの相手
・訓練の相手
・ダンジョン内魔力量の調査
「今のところ、キャトルに任せる仕事はこの4つ。仕事を達成したら、自動的に分かるようにしておくから、しっかりやって。できることだけで良い。取り敢えず、今日から1か月間お試しって感じでやってみて。」
「はい。あ、でも……」
私は了承しかけて、ある事を思い出しました。
「どうした? 何か不満があるのか?」
「いいえ、そういう訳じゃないんですけど……えっと……」
「何?」
「その、働いた時の報酬のことなんですけど……」
私は恐る恐るそう言いました。すると、リチャード様は笑顔でこうお答えになりました。
「何だ、そのことか。それなら、仕事が終われば分かるようになるよ。」
「仕事が終われば、ですか? どうやって?」
「それは終わってからのお楽しみ。さ、仕事してきて。」
「むう……何か釈然としないんですが……」
「楽しみは取っておいた方が良いだろ?」
「でも……」
「キャトルにデメリットはないから安心しろ。」
リチャード様はそう言うと、どこからか炭酸水を取り出して飲み始めました。もう私が何を言っても反応してくださいません。
「まあ、リチャード様が私を騙すつもりならもうとっくにやってるでしょうから心配はしませんが……」
私がそう呟くと、ティリウレス様が私の前まで飛んできて、
「ならいいじゃないですか。私もお手伝いしますから、お仕事しましょう?」
と言いました。
「え? で、でも、これは私のお仕事ですから……」
「ご主人様、私はお手伝いしちゃダメですか?」
「ティリのやりたいようにしろ、って言いたいが今回はダメだ。まあ、モンスターの相手とマナ量調査はキャトル一人じゃ難しいだろうから手伝ってもいいけど、それ以外はするな。」
「分かりました。では、マナ量の調査に行って参ります。さ、行きましょう、キャトルさん!」
そう言うと、ティリウレス様は飛んでいってしまいました。
「え? ちょっと待ってください!」
私はティリウレス様を追いかけてダンジョンの中を走り出しました。
「ご主人様、マナの量は変化ありません。ベアゴローも特に多く吸収したりしている様子はなく、問題はないと思われます。」
「分かった。キャトルにちゃんと仕事は教えたか?」
「はい。魔力量の調査の仕方は教えました。吸血鬼の種族特性で魔力探知は得意みたいでしたよ。」
「そうなのか?」
「はい! マナ量の調査の仕方は覚えました!」
私はそう答えました。
「よし、ならこれからもその調子で続けてくれ。今日はモンスターの相手と訓練の相手はしないでいいし、掃除はルーアちゃんがやっといてくれたみたいだからやる必要なし。ということで、お待ちかねの報酬だ。」
リチャード様がそう言うと、私の前に文字が現れました。
・居住区の掃除
・モンスターの相手
・訓練の相手
・ダンジョン内魔力量の調査 (済)
現在報酬:100ゴルド
「ひ、100ゴルドも頂けるんですか?」
「うん。そうだけど?」
「あれだけでですか?」
「うん。一応、給料は一ヶ月に1回払うから、それで欲しい物を買ったりしていいよ。ゴルドshopがあるから街に行かなくても買えるし。」
そう言うと、リチャード様は微笑み、私に金貨を渡されました。
「り、リチャード様、これは?」
「初任給。貯めたって良いし、使ったって良い。好きなようにして。」
「初任給で10万ゴルドも頂く訳にはいきません!」
「ふーん、雇用主の好意を受け取れないって言うのか……まあ、嫌がってるのに無理に押し付けるのは良くないよな。」
そう言うと、リチャード様は私の手から金貨を取り返しました。
「あっ……」
「お? 残念そうな顔をしたな?」
「し、してません!」
「しただろ。隠すことないんだぞ。」
「……しました。」
「ほら、してるじゃないか。欲しいんだろ?」
「欲しいです。」
「じゃあ持っておけ。それに、その金貨は初任給ってだけじゃないからな。キャトルの自由を奪ってこのダンジョンに縛り付けてるのは俺だから、そのお詫びってのもある。自由は金には変えられない価値があるけどな。」
そう言うと、リチャード様は少し寂しそうに微笑みました。まるで、ダンジョンマスターである自分は嫌われて当然なんだ、と思われているようなお顔です。
「…………」
私は何も言えませんでした。ダンジョンマスターではない私にはリチャード様の心の内も、苦しみも分かりません。そんなことない、などと無責任な言葉をかけたら、きっと更にリチャード様を苦しめることになるでしょう。
「ふーん、そう思ってるのか。なら、これを受け取れ。」
リチャード様はそう言ったかと思うと、金貨を上に弾いて飛ばしました。私は慌ててそれを真剣白刃取りのように受け取りました。
「あの、リチャード様、そう思ってるのか、とは?」
「お前、色々考えてただろ。ダンジョンマスターじゃない自分には俺の苦しみは分からない、とか無責任な言葉をかければ俺を更に苦しめることになる、とか。」
「な、何でそれを?」
「顔見りゃわかるよ、それくらい。気にかけて貰えるのは嬉しいが、心配のし過ぎは身体に毒だ。俺なんかのことを心配してる暇があるならその時間を使って仕事をしろ。まあ、雇用者と従業員の関係とはいえ、そんなに気を張る必要はないけどな。」
リチャード様はそう言うと、また微笑まれました。とっても綺麗な微笑みでした。
「んと……結果的にリチャード様は何を仰りたいんですか?」
「お前はそんなに緊張する必要はない。もっと肩の力を抜いて、楽にしてろ。と、そう言いたいんだ。」
「え? そ、それはどういう……」
「お前は無理しすぎなんだよ。誰にでも様付けして。俺がお前を雇ったのは労働力が欲しいからじゃないんだ。それは分かるだろ?」
「はい……」
「だから、お前はここを自分の家だと思ってリラックスしていいんだ。俺たちみたいにな。」
私はその言葉を聞いて、泣いてしまいました。初めて自分にかけられた優しい言葉が嬉しすぎて。
「好きなだけ泣け。そして、好きなだけ笑って、好きなだけ怒って、好きなだけ好きなことをしろ。それがこのダンジョンのルールだ。」
リチャード様はそう仰ると、私を従業員室まで運んでくださいました。
「色々あって疲れてるだろ? ゆっくり休んで、体力を補給しろ。」
それだけ言うと、リチャード様は従業員室から出ていかれました。私はリチャード様のことをずっと凄い人だと思っているんだ、と、そう思っていました。でも、それは違いました。どんな人にも対等に接するその心も、誰でも労わってくれる優しさも、自分のスタンスを変えようとしないその芯の強さも、かっこいいと、そう思っていたんです。




