side ??? 墓掃除と痴態
「ふふふ、兄上、冷たいですけど我慢してくださいね。」
モータント大陸のドラコ山麓に存在するダンジョン、【ドラゴンの巣窟】。そこにある墓場でダンジョンマスターのリーン・クレイティブ・カールは大きな墓石に水をかけ、ゴシゴシと磨いていた。
「もう少しで綺麗になりますから、動かないでくださいね。」
墓が動くわけがない。にも関わらず話しかけるという奇行を続けながら墓石を磨くリーン。
「よし、綺麗になりました。後は……レッディル!」
リーンはぱんっと手を叩くと、腹心のレッドワイヴァーン、レッディルを呼びつける。
『主よ、呼ぶならばダンジョンコアを通して命ずれば良いだろう。』
「コントロールルームに戻る時間が惜しいのですよ。あなたの聴覚ならダンジョンのどこにいようが私の呼び声が聞こえるのですから問題ないですよね?」
『……ハア。』
溜息を吐くレッディル。それに混ざった炎がリーンの羽織っているマントに燃え移ったが、彼女は微塵も慌てずにそれを面倒臭そうに振り払った。マントの端が焦げることくらい、龍族である彼女にとっては些事に過ぎない。
「無駄に炎を消費している暇があるなら、その時間と炎を使って兄上を乾かしてください。乾かすのが遅れて兄上が風邪をひいたら責任をとれるのですか?」
『死人が風邪をひけるのならば見てみたいものだな。そもそも、墓石はセントグリフ殿の本体ではないのだから、どのような状況だろうが風邪など……』
「少し五月蠅いですよ、レッディル。死にたいのですか?」
『すぐ脅しに方向転換するな。乾かせというのならば乾かすが、それで主は後悔せんのか?』
レッディルのこの言葉に、リーンは首を傾げた。
「私が頼んでいるのですよ? なぜ後悔する結果になるのですか?」
『石に炎など浴びせれば途端に劣化する。冷却水をかけた後ならばなおさらだ。その程度の考えにも至らんのか?』
「石……? 何を言っているのですか。下らない話ならば、付き合ってなどいられません。兄上が風邪をひく方が重大事件ですからね。さあ、さっさと乾かして差し上げてください。兄上が寒がっているじゃないですか。」
『……』
レッディルは明らかにおかしいリーンの物言いに違和感を覚える。そして、リーンの横に分厚い本が開いたままおいてあるのに気が付いた。
『あれだけ言ったのに全く反省していなかったとは……』
レッディルは苛立ちの声を上げると、リーンに向かって業炎を吐き出した。その灼熱の炎は瞬く間にリーンと本を包み込む。本はあっという間もなく灰になった。
「……こんなに強い炎では乾かすだけではすみま……」
リーンは炎を振り払いながらレッディルを睨むが、その途中でフリーズ。そして、数秒後に目を瞬いた。
「レッディル? 私は一体何を……というか、なんで墓場にいるのでしょうか? コントロールルームにいたはずなのですが……」
リーンは困惑した様子でレッディルに尋ねる。すると、レッディルは呆れたような顔になった。
『暗黒魔法に魅入られただけのことだ。』
「暗黒魔法に……ですか?」
『うむ。我に隠れてまた復活の儀を度々していたからな。その過程で失敗し、自分に幻惑か魅了の魔法をかけたのだろう。その結果、無意識下で意識を侵食され、セントグリフ殿と墓石の区別すらつかぬような状態となって、セントグリフ殿の体を洗っているような気分で墓石を磨き、我に乾かせと命じた、ということだ。』
レッディルは哀れみと蔑みの目を向ける。リーンは暫しぽかんとした後、頬を真っ赤に染めた。
「ま、まさか魔法に失敗して、そんな醜態を……? しかもよりによってあなたの前で……」
『醜態というより痴態だな。』
「くっ……私のそんな姿を見たからには、言いふらされる前に死んで貰うしかありません。レッディル、頭を垂れなさい。一撃で切り落としますから。」
『勝手に痴態を晒しておいてそれは自分勝手というものだ。それに、セントグリフ殿の前だぞ。我をここで殺した場合、セントグリフ殿は主に今度こそ愛想を尽かし、死後の世界でも顔を合わせてくれぬだろうな。セントグリフ殿が戦いも殺しも嫌いだった、ということくらい……』
「そんなことは百も承知です! しかしここであなたを黙らせなければ、数時間後には配下全員がこの話を知ることに……」
リーンは怒りと羞恥で震えている。レッディルは忠臣だが、口が堅いわけではない。こちらを主として立ててはいるが、絶対服従というわけでもない。故に、彼女は不安だった。
『配下が知るからなんだというのだ。そもそも、我はそうそう主の秘密を口外したりはせんぞ。』
「……【ドウント・レイ】。」
『せいぜい各階層のボスに言って回るくらいだ。主の痴態の話など、たまの娯楽にはもってこいだからな。』
「レッディル〜!」
『我に怒っている暇があるならさっさと暗黒魔法を振り払え。さもないと更なる失態を犯すことになるだろう。現在進行形で周囲に痴態をばらまいている今の主にとってはどうでもいいかもしれぬが。』
レッディルはなおも哀れみと蔑みの視線をリーンに向けると、彼女が何か言い返す前に翼を広げあっという間もなく飛び去っていった。ドラゴン族で最も速く飛ぶことができる、高い飛翔能力を持つワイヴァーン族のレッディルに飛ばれては、いくらリーンでも追いつくことはできない。
「うう……レッディルに言われたのは癪ですが、仕方ありません……【リセット】!」
リーンは自らに解除魔法をかけ、暗黒魔法の魔力を強制的に消し去る。そして、セントグリフの墓を一瞥すると、まだ怒りと羞恥で赤い顔をしたまま、コントロールルームへ戻るのだった。




