閑話:リチャード、生前退位(side ティリ)
こちらが、私こと紅蓮グレンの平成最後の投稿となります。
「なあ、ティリ。」
ある日、ご主人様が私に声をかけました。いつもとは違う、重々しい声です。私は若干緊張しながらも、返事をしました。
「はい、何ですか?」
「相談があるんだ。とても重要な、ダンジョンに関する話なんだが……」
「……何でしょうか?」
恐る恐る聞いた私に、ご主人様は驚愕の一言を突きつけました。
「……生前退位しようと思う。」
「せ、生前退位ですか? それって……」
「ああ。【友好獣のダンジョン】ダンジョンマスターの地位を譲るってことだ。」
「何で、急にそんな……」
私は上手く言葉を紡げません。驚きのあまり過呼吸気味にもなってしまいました。しかし、そんな私に目もくれず、ご主人様は話を続けます。
「実はこのところ、ずっと考えていたんだ。俺はティリのご主人様として、相応しいことを何一つしてやれてないんじゃないか、ってな。いつも俺にティリが引っ張り出された結果、多かれ少なかれ被害を被っているだろう? だったら、ティリに被害を与えないようになればいい。ということは即ち、俺がダンジョンマスターじゃなくなればいいってことだ。」
「……なんでそうなるんですか? ご主人様がダンジョンマスターじゃなくなったら、私は妖精管理局に帰らないといけないんですよ?」
「それは絶対のルールなのか?」
「……それは……絶対って訳じゃありませんけど……」
「なら問題ないだろう。帰りたければ帰れ。俺と一緒に居たかったら帰るな。それだけの話だ。」
ご主人様はいつもと同じような調子でしたが、私にはまるで私を突き放す言葉のように感じられました。私がどうすればいいのか、と思っていると、ルキナスさんとルーアさんが奥から出てきました。
「おや、ティリウレス殿。どうかなさったのですか?」
「あ、ルキナスさん! ご主人様がおかしなことを言うんです! ルキナスさんからも説得してください!」
「おかしなこと、ですかな?」
「ご主人様、ダンジョンマスターを生前退位する、なんて言い出したんです!」
私は常識人のルキナスさんならご主人様を止めてくれるだろうと期待を込めました。しかし、ルキナスさんは、
「ダンジョン運営関係についてであれば、私が口を出すべきではありませんな。私が言えるのは、リチャード殿の好きになさるが良い、のみ。リチャード殿の意見に反対なさるのなら、ティリウレス殿自らでどうぞ。」
とバッサリ。取り付く島もありません。私はルーアさんに視線を向けましたが……
「お兄ちゃん、それは流石に言い方がきついよ。まあ、私も同意見だけど……」
「る、ルーアさんまで……」
ルーアさんも頼ることはできないようです。と、その時、キャトルさんが従業員室から出てきました。
「ひっ……な、何ですか、この重苦しい空気は……まさか、ついに私を公開処刑に……」
何か壮大な勘違いをして震え始めるキャトルさん。私はそんな彼女に救いを求めました。しかし、事情を聞いたキャトルさんは……
「生前退位する、っていうのはリチャード様がお決めになったんですよね? なら、リチャード様の判断が間違っている訳がありませんので、私はそれに従うまでです!」
と完全にご主人様の味方。私はまだ懇願の視線をキャトルさんに向けますが、
「では、私はマナ量調査に行ってきます。」
とさっさと出て行ってしまいました。もう、私の味方になってくれるかもしれないのは1人しかいません。激しく不安ではありますが、私はご主人様の上の空間に向けて声をかけました。
「セントグリフさん、見てるんですよね? ご主人様を止めるのを手伝ってください!」
『……ティリちゃんにバレるとは、俺の腕も落ちたかな?』
何かもの凄く失礼なことを言われたような気がします。私は思わず殺気を当てました。しかし、既に死んでいるからか、セントグリフさんはどこ吹く風。そして、
『話は最初から聞いてたけど、俺はどっちかっていうとリチャード側なんだよね。生前退位なんて、俺からしたら相当贅沢な話だと思う。本音を言えば殺したいくらい。けど、ここは俺のダンジョンじゃないからリチャードの決定に口を挟む気はない。だからといって、ティリちゃんが反対するのを邪魔もしないけどね。』
と無慈悲な宣言。私はこの瞬間に悟りました。今、このダンジョンの住人の中で、私に協力してくれる、私の味方は……1人もいないということを。
「……誰も分かってくれないんですね。」
私はそうボソッと呟きます。そして、
「だったら……」
「だったら?」
「だったら好きにすればいいじゃないですか! 私の話に耳を貸してくれないご主人様なんか、大っ嫌いです! ルキナスさんもルーアさんもセントグリフさんも、みんな、みんな大っ嫌いです!」
そう叫んで、ダンジョンの中へと逃げ出しました。大粒の涙を零しながら、全速力で。
『……ということなんですが、シルヴァは何か思いませんか?』
私は、ダンジョンの中で穴をせっせと掘っていたシルヴァを発見したので、モグラ語で事のあらましを伝え、意見を求めました。
『むう……私個人の意見から申し上げますと、主殿のその意見には反対です。しかし、主殿の頑固さはティリ様もご存知の通り。ティリ様の言うことに耳を傾けないのならば、たとえ私が何を申し上げようとも意味を為さないでしょう。馬耳東風、でございます。』
シルヴァは私側についてくれるようですが、何か言う気はないようです。
『やっぱりそうですか……』
私が万策尽きたか、と思った時、シルヴァが目を閉じました。どうやら念話のようです。2分ほど経つと、シルヴァは目を開け、私を見ると目を伏せました。
『シルヴァ、どうしたんですか?』
『ティリ様、主殿から念話がありまして、ティリ様に言伝を頼まれました。』
『ご主人様は何って言ったんですか?』
『……落ち着いてお聞きください。『俺の決心に反対意見をこれ以上述べるようなら、即刻解雇する』だそうです。』
その無慈悲な言伝を聞いた瞬間、私はシルヴァの背中に墜落しました。そして、泣きました。涙が枯れるまで、こんなに泣いたことは今までないんじゃないかと思うくらい、大泣きしました。そして、泣き疲れた私はシルヴァの背中でいつの間にか眠ってしまいました。
☆ ☆ ☆
「おい、ティリ! どうしたんだ! ティリ!」
「わっ!」
気が付くと、私はドールハウスのベッドに居ました。私の目の前には心配そうな顔をしたご主人様がいます。私はぷいっと顔をそむけました。私を切り捨てるつもりならその前に私の方から切り捨ててやる、私を切り捨てるようなご主人様なんかいらない、という意志表示です。そして、横目で確認すると、ご主人様は困惑と絶望の表情を浮かべていました。
「……ティリ、俺は何かティリを悲しませるようなことをしたのか?」
「……それ、本気で言っているんですか?」
私の声は怒気と殺気に満ちていたと思います。あんな発言をしておいて、何が『悲しませるようなことをしたのか?』なんでしょうか。
「本気だよ。俺には全く心当たりがない。さっきまでも寝言で『ご主人様なんか、大っ嫌いです!』って言ってたし、その後は寝ながらずっと大泣きして……俺が何か意図せずしてティリを傷付けてしまったなら、心から謝罪したいんだ。だから、教えてくれないか? 俺の何がティリを傷つけたのかを。」
私の頭の周りを羽が生えたクエスチョンマークが飛び回り始めました。ご主人様は本当に何も心当たりがないようですし、口ぶりからすると私は眠っていたらしいです。私は微かな希望を込め、悲痛な表情をしているご主人様に聞きました。
「……ご主人様は、生前退位する気はないんですか?」
「は? 生前退位?」
「はい。この【友好獣のダンジョン】ダンジョンマスターの地位を降り、他の方に譲るってことです。」
そう聞く私の声は震えていたと思います。やはり怖かったですし、これでもし、ご主人様が退位する気がある、と仰ったらと思うと、気が気じゃありませんでした。しかし、ご主人様の答えは、
「何言ってるんだよ、ティリ。俺がそんなことをする訳ないじゃないか。」
でした。しかも即答&爽やかな笑みのオマケつき。
「本当に、生前退位の気はないんですね?」
「当たり前だろ。退位なんかしたら俺はティリのご主人様じゃなくなっちゃうじゃないか。それに、約束しただろ。『俺の寿命が尽きるまで、このダンジョンは守り切る』ってな。」
そうでした。私が自分を『ダンジョンの死神』と称したあの日、ご主人様は確かにそう仰っていました。私に嘘を吐かないご主人様が仰っていたことを忘れていたなんて……と私は自分を恥じます。
「ティリ、何で俺が生前退位するって考える、なんて思ったんだ?」
「あ、それはですね……」
私は先程までの経緯を話します。私が感じた絶望なども含め、全部吐き出しました。するとご主人様は、優しい笑みを浮かべて私を抱きしめてくださいました。
「ティリ、もし俺がそんなことを言ったとしたら、それは夢か、そう言っている俺が俺の偽物かのどちらかだ。絶対にそんなことは言い出さないから、安心しろ。」
「はい! 約束です! あ、でも……」
「でも、何だ?」
「あ、いえ、何であんな夢を見たのかな、って思いまして。私は充分ご主人様を信頼していますし、信用もしています。もし私も気付かないような心の奥底、あるいは潜在意識にちょっとした猜疑心があったとしても、それが夢に見るまで増幅されることはないと思うんです。」
「……確かに妙だ。俺が退位を言い出した挙句、切り捨てるような発言をするなんて、ティリにとっては最悪の悪夢だよな。」
ご主人様は考え始め、少し経つとカッと目を見開かれました。そして、ソウル・ウォーサイズを取り出すと、
「【サモン・クレバーゴースト】!」
と唱えます。すぐにローディアスが現れました。その瞬間、ご主人様はダンジョンとコントロールルームを繋いでいるドアを開け、
「ローディアス、歯を食いしばれ!」
と怒鳴ると同時に思い切り右拳を突き出しました。それはローディアスの顔面にクリティカルヒット。ローディアスは断末魔を上げる暇もなく吹き飛ばされてダンジョン内に消えていきました。
「闇属性の訓練の後始末をあいつに任せたのが間違いだった。ムラマサかキャトル、それかセントグリフに頼むんだったな。」
「どういう意味ですか?」
「ああ、昨日、訓練場でルキナスさんと闇属性縛りで模擬戦したんだ。で、その時の魔法出力とかの関係で、闇属性の魔力がかなり訓練場に残っててな。それの処理をローディアスに頼んだんだ。本当はムラマサとかに頼もうと思っていたんだが、ローディアスが『お任せください!』って言ったからつい……」
これで私は全てを悟りました。恐らくその闇属性の魔力のうち、ローディアスが処理しきれなかった分が私の夢に侵入し、夢を悪夢に変えたのでしょう。しかし、あまりローディアスを恨む気にはなれません。ご主人様とルキナスさんの本気の模擬戦で出た魔力を処理するなんて、クレバーゴースト程度のモンスターに出来る訳がありませんので。私は取り敢えず、ダンジョン内に向かって手を合わせ、こう呟きました。
「ローディアス……ご冥福をお祈り申し上げます……」
ということで、平成最後の投稿は、こちらとなります。まあ、夢オチなのですが、現実に合わせてこのような話にしました。読者の皆様、平成年間のご愛顧、誠にありがとうございます。令和となってからもどうぞ拙作を、そして紅蓮グレンをよろしくお願い申し上げます。




