121.癒しの魚と安心の言葉
「こちらが第5階層。ここには、それなりにまともなのがいます。」
「それなりか……どんな奴なんだ?」
「ふふふ、ここにいるのはリリーフィッシュです!」
リリーが胸を張る。すると、近くの岩陰から1匹の魚が出てきた。背鰭が長く、その先端にリリーの花が咲いている。
「リリーフィッシュは、とても優しい性格のお魚で、戦闘とかが大嫌いな海の仲裁者です。」
「戦闘能力は?」
「ほぼ皆無ですよ。でも、理性的で知能は高いです。」
「『まとも』ってまさか……」
「知性がある、って意味です。それと、私と名前が同じですし。」
リリーは平然とそう答える。なんかイラついたので、軽く脅すことにした。
(ティリ、帰るふりをするから合わせてくれ。)
俺は念話でティリにメッセージを送ると、大袈裟に溜息を吐く。
「はあ……ティリ、俺もう帰りたいんだけど。」
「ご主人様がお帰りになりたいなら、私は異論を唱えませんよ。その代わり……」
「帰ったら目いっぱい可愛がってあげるよ。」
「じゃあ、喜んで帰ります!」
「よし、まとまったな。じゃあ帰ろうか。」
俺がティリを連れて帰ろうとすると、リリーは真っ青になって、野球のホームベースにヘッドスライディングするような勢いで俺の足元に土下座してきた。
「帰らないでください! お願いです! リチャード様が帰ったら、私は死んじゃいます!」
「死ぬのが嫌ならふざけるな。まともな説明をしていれば俺だって一応は聞いてやる。」
「ふざけてはいないんです! 本当にまともだと思って……」
「俺が求めている『まとも』とお前の言う『まとも』は違うだろう。それくらい理解しろ、この迷惑アザラシが。」
「…………」
「何も弁解はないのか?」
「え、えっと……」
「まあ、俺は言い訳は嫌いだから弁解は禁止だがな。弁解しようとしたら俺は帰るぞ。」
「……申し訳ありませんでした。」
「よし、許す。じゃあ、この階層の説明をしてくれ。」
俺のこの言葉にホッとしたらしく、リリーは安堵の息を吐くと説明を開始した。
「この階層にはリリーフィッシュがたくさんいます。リリーフィッシュは先程言ったように戦闘とかが嫌いな穏やかな性格の優しいお魚です。高いフィーリング効果を持っていて、背鰭に咲くリリーの花から漂う匂いを嗅いだ有機生命体は、戦いに対する高揚感やネガティブな感情の一切を失います。」
「そういうことか。戦闘に対する気持ちを強制的に失わせて、自主帰還を期待するということだな?」
「はい、その通りです! 実際、この階層での冒険者撤退率は9%と、それなりの値を出しています!」
「9%か……戦闘力皆無でその値は確かに優秀だな。ティリ、陸上棲息種でそういうモンスターっているか?」
俺のこの問いに、ティリは首を傾げた。そんな仕草も可愛いな。
「んー、どうでしょう? いないことはないかもしれませんが、陸上では匂いが広まるのが周囲の状況によって大きく左右される為、放ったモンスター自身やその周囲のモンスターに作用が出る可能性もありますし……」
「ティリでも分からないか。」
「はい、申し訳ありません……ご主人様の期待に応えられないなど、私は秘書失格です……」
ティリがネガティブモードに入ってしまった。俺たちの周囲を包んでいる空気がどんよりとした雰囲気に変わっていく。
「ティリ、知らないことは恥ずかしい事じゃないぞ。仕方ない。」
「ひっ……し、仕方ないって……」
俺はティリのネガティブモードを止める為にこう言ったのだが、この言葉を聞いたティリの顔は一瞬で青ざめた。次いで、体がガタガタと震えだす。しかし、それは一瞬で、彼女はすぐに覚悟を決めた表情を浮かべると、頭を垂れた。
「……ご主人様がお決めになったならば、私は従うまでです。どうぞ、煮るなり焼くなり蒸すなりハンバーグにするなりお好きになさってください。」
「……何か勘違いしてないか?」
「勘違いなどしておりません。ご主人様のお聞きになったことに答えることができないダメ妖精は処刑されても文句は言えませんので。処刑宣告は悲しいですが、ご主人様に殺して頂けるなら本望です。どうぞ、一思いに……」
どうやら、俺の『仕方ない』というセリフが『処刑されても仕方ないと思え』という宣告だと壮大な勘違いをしてしまったらしい。これは悪いことをしたな。そう思って俺は、近くを泳いでいたリリーフィッシュを捕まえると、その花の部分をティリの鼻に近付けた。ティリの顔が少しずつ落ち着いたようになっていく。俺は更なる安心感を与える為、ティリを抱きしめることにした。
「ティリ、俺の『仕方ない』っていうのはそういう意味じゃない。そもそも、俺がティリを殺せるわけがないだろう?」
「ご主人様……私は用済みじゃないんですか? ご主人様の疑問に答えられないようなダメ妖精の私でも、まだご主人様のお傍に置いて頂けるんですか? まだご主人様にお仕えしてよろしいんですか?」
「ああ。ティリは俺の最高のパートナーだ。俺はティリの全てを肯定している。だから、自分を卑下するようなことはやめてくれ。」
ティリは安心したように身体から力を抜いた。顔も幸せそうになっている。どうやら落ち着いたようだ、と思って安心していると、ティリは俺の手の平の上ですやすやと寝息を立て始めた。安心感のあまり眠ってしまったらしい。俺としてはもう少し深層まで潜りたいのだが、よく考えたら今日はリヴァイアサンと戦ったりウンディーネと話したり、色々あってかなり疲れていることを思い出した。
「悪い、リリー。ティリが寝ちまったから、今日はここで休息を取らせてほしい。続きは明日でいいか?」
「あ、はい。大丈夫です。スイリュウ様ご帰還まで、まだ時間はありますので。」
「そうか。じゃあ、ちょっと休ませて貰う。」
俺は【サークルバリア・モード・パーフェクト】を張ると、ティリの周りの空気を【ホットウィンド】で温め、ダンジョンの壁にもたれる。思った以上に疲労が溜まっていたのか、すぐに睡魔に襲われた。ふとリリーは、と見ると、彼女はシードッグの毛皮に潜り込もうとしている。
「おい、それは布団替わりなのか?」
「いえ、違います。私は人間形態のまま水中で眠ると、低体温症になってしまうので……ブオオオオン。」
リリーは喋りながらどんどん毛皮に潜り込み、途中で完全に毛皮と一体化してシードッグになってしまった。そしてすぐに目を閉じ、フヨフヨと水中を漂い始める。
「寝るの早いな……まあ、俺も少し眠るか。【スリープ・ドリームモード・グレイト】!」
俺は自分に魔法をかけると、夢の世界へ旅立つのだった。




