閑話:工場の思い出(side ケイン)
「ケーイーンー!」
ある日、僕が郵便局内で郵便物の整理をしていると、僕の名前を叫びながらユリアが飛び込んできた。
「何の用? 惚れ薬なら作らないよ。」
「惚れ薬の話じゃないわ。どうせリチャードさんには効かないし。それに、いざとなったらケインが私と結婚してくれるでしょ?」
「急にそういうことを言わないでくれ。それはプロポーズってことでいいの?」
「仮定の話よ。別に今すぐって訳じゃないわ。」
「ユリアが1人でいるのが寂しいっていうんなら、結婚しないことも無いけど。ユリアは可愛いし性格もいいから結婚できるっていうのは吝かじゃないし。」
「言質取ったわよ。じゃあ私が本気でプロポーズしたら受けてくれるのね?」
「うん。」
僕はそう言うと、山積みの郵便物に向き直った。
「じゃあ、話は終わりだね。今は忙しいから帰って。」
そう言って、郵便物の山の仕分けに再び取り掛かった僕をユリアは後ろから羽交い絞めにする。ユリアは冒険者と言っても非力な探索者だから、この位抜け出すことはできるんだけど、僕は敢えて降参した。
「何か話したいことでもあるの?」
「そうよ。昨日ケインが私の家に届けた手紙にこれが混ざってたの。」
そう言ってユリアは僕に1通の手紙を見せる。宛先はユリア・エステル・ローレライ。
「別に間違ってないだろ。変な苦情をつけるのはやめてくれ。」
「問題は届け先じゃなくて、送り主の名前よ! ほら、ここ!」
そう言われてユリアが指さすところを見ると、そこには『ガスパル・ハンス・アダムズ』と書いてあった。
「えっ? ガスパル工場長から?」
「そうなの。びっくりでしょ? これまでどんなに連絡しても音信不通だったのに、今になって手紙が来るなんて。」
「それは確かにかなりびっくりだよ。なんて書いてあったの?」
「まだ読んでないの。呪いとかかかってるかもしれないから怖くて。」
「工場長はそんなことしないと思うけど。」
「もしかしたら工場長を騙った偽物からかもしれないじゃない! ケインが開けて!」
「真偽判定の魔法はかけてるから大丈夫だよ。まあ、開けろっていうなら開けるけど。」
そう言いながら僕はユリアが差し出してきた封筒を受け取って開けた。その中には1枚の便箋が。
【拝啓 ユリア・エステル・ローレライ様
久しぶりだな、ユリア。元気にしているか? わしは元気過ぎてヤバいぞ。工場を潰してしまって、お前とケインにはかなり迷惑をかけたな。あの件はすまなかったと思っている。今わしは新しい工場を建て、日用品を量産している。という訳で、かなり金が溜まったのでずっと滞納していた給料3か月分と退職金を支払えるから、取りに来てくれないか? 忙しいならケインをよこしてくれれば2人分渡す。ケインにも伝えておいてくれ。無論利子も付けるからな。
敬具 ガスパル・ハンス・アダムズ】
「相変わらずユリアに甘いね、工場長は。僕をよこせとか……」
「まあ、工場長は自由人だし、しょうがないんじゃない?」
「先に言っておくけど、僕は1人じゃ取りに行かないからね。連れていくくらいならいいけど。」
「頼りにしてるよ、旦那様。」
そうユリアは茶化して言うと、パチッとウィンク。不覚にも可愛いと思ってしまったのは内緒にしておこう。
「あ、でも工場長、大丈夫なのかな? また潰しちゃったりしたら……」
「余程儲かってない限り、過去の従業員に滞納した給料と退職金払おうとはしないよ。だから大丈夫なんじゃないかな?」
僕はそう言うと、昔工場で働いていた時のことを思い出した。
☆ ☆ ☆
「おーい、ケイン。ローラーの滑りが悪いんだが、潤滑油はどこだったか?」
「潤滑油なら工場長室の隣の調整室にあります。ドアを背にして右側の壁にある5番目の棚の上から2番目の引き出しに入ってますよ。」
「そうか、ありがとう。助かった。」
「いえ。」
これは今から5年前くらいの時の会話。工場長は物の場所をすぐ忘れる人だったから、僕が覚えておかないといけなくて、結構大変だったのを覚えている。
「工場長はよく物の場所を忘れるね。」
「工場長もユリアにだけは言われたくないだろうね。手袋を手にはめたまま手袋がなくなったって工場内を駆け回っていたユリアには。」
「け、ケイン! それは言わなくたっていいじゃない!」
「同僚を弄っちゃいけないっていう法律はないだろ。」
僕がこう言うと、突然後頭部に衝撃が走った。
「この馬鹿者がぁ!」
僕の頭を殴ったのはガスパル工場長だった。
「な、何するんですか工場長!」
「それはわしのセリフだ。同僚の女を弄って楽しむなど、貴様は紳士とは言えないな、ケイン!」
「僕は紳士なんか目指してませんけど。」
「男は皆紳士として生まれ、紳士として生きるのだ! 紳士でない男は男ではない! ただのオスだ!」
「男だって生物学的にオスでしょう。」
「屁理屈をこねるな!」
「僕が言ってるのは理屈ですよ。それより、今日午後3時から王都の大手取引先と会合があったんじゃ? もう2時58分ですけど。」
僕がこう言うと、見る見るうちに工場長の顔から血の気が引いた。
「遅れたら工場の経営に大打撃、工場が倒産して僕らは路頭に迷うことになります。そんなことをする方が紳士じゃないですよね?」
「クッ……ケイン、貴様は減給1か月だ!」
工場長はそう捨て台詞を吐くと会議室の方へ走って行った。
「はあ……酷い目に合った。」
「ふふ、私を揶揄ったケインの自業自得でしょ。」
「へえ、そういうこと言うんだ。じゃあ今月は一緒に食事してあげないよ。」
「え? 待って、それは……」
「冗談だよ。そんな必死になって止めること?」
「ケインのお給料の方が私のお給料より多いじゃない! それに、1か月に1回奢ってくれるって……」
「工場長に言わされたね。あのナイフの迫力には負けた。」
僕は首元に突きつけられたナイフの鋭さを思い出し、身震いした。
「えっ、言えって強要されたの?」
「知らなかったの? 工場長はどうしても僕を女性に優しい紳士にしたいみたいだからね。」
僕はうんざりした顔で溜息を吐いたのだった。
☆ ☆ ☆
「こういうことあったよね。」
「あー、そう言えばあったかも。」
「あのナイフの恐ろしさは未だに忘れられないからね。僕が本当の紳士になるまで工場長は許してくれないっぽい。」
「私はケインに本当の紳士になって欲しくないけどな。」
「なんで? そんなに僕を殺したいの?」
僕がそう言うと、ユリアはちょっと顔を赤くして首を横に振った。
「違うわよ。だって紳士って、女の人みんなに優しいんでしょ?」
「それは工場長の弁だね。まあ、概ね成り立ってるみたいだけど。」
「それじゃあケインは私以外の女の人にも優しくしちゃうでしょ? 私はどうせならケインに唯一優しくされる女の子でいたいから。」
「……ユリア、やっぱり独占欲強いよね。」
「良く言われるわ。」
「ま、僕には惚れ薬を使おうとしないでくれよ。作らないけど。」
「大丈夫よ、ケインのことは信用してるから。」
「じゃあ僕もユリアを信用して、1つ仕事を頼みたいんだけど。」
「何?」
「この郵便物の山を仕分けるのを手伝ってくれ。そうしたら今度の休みに旅行に行くの、付き合ってあげるよ。運賃と宿泊費は僕持ちで。」
「やるわ。約束は約束よ、旦那様!」
「分かってるよ。それと、今は旦那様はやめてくれ。」
僕はそう言うと、郵便物の山を半分に分けて片方をユリアに任せ、仕事を再開した。赤くなっている顔を隠すようにして。




