第4話 最終話
グラウンドには二人を取り囲むように野次馬が集まっていた。それもそのはず、この喧嘩に勝った者が必然的にこの学校を治めることになるからだ。
「直樹、もう一度言うが手加減はしないぞ」
「そうしてもらわないと困る」
もう自身の無い直樹はそこにはいなかった。
「スケイル、早くD・ロードとやらを展開してくれ」
直樹は小声でスケイルに頼む。
「おうよ。D・ロードオープン!」
すると、グラウンドが何かに包まれた気がする。気がするというのは、D・ロードは形而上のものだからだ。
「さあ直樹!隔は俺に任せて存分に暴れまわれよ!!」
そういってスケイルは隼人の後ろに取り憑いていた隔目掛けて突進していった。その後姿は非常に頼もしく思えた。
しかし、スケイルに励まされはしたものの、喧嘩なんてしたことが無い直樹は何をどうすればよいのかわからない。とりあえず隼人の攻撃は受けないようにしなければ。
直樹と隼人の間には様々な感情が織り交ざる混沌とした空気が流れていた。そこにいる隼人は今までに見たことが無いような、なんとも形容しがたい顔をしていた。数分間の沈黙が流れる。直樹の手には汗が握られている。一方、隼人の顔には汗一つ流れていない。だが、いやに落ち着かないようだった。それは初めて顔馴染みと勝負するからだろうか、はたまた・・・。
その静寂を破ったのは隼人の一言だった。
「来ないなら俺からいかせてもらうぞ」
そう言ったと同時に、隼人は直樹へ飛び掛る。直樹は驚きで体が固まり動けない。下着に違和感も感じる。
反応が遅れた直樹は隼人の拳をもろに食らう。それは重たく、だがどこか悲しかった。鈍い音とともに直樹はひざから崩れ落ちる。しかし、直樹の体が完全に地面と一体になる前に第二撃直樹の顔を捉える。乾いた音が響く。
「くっ・・・」
直樹の口から声が漏れる。隼人の足元に屍のように転げる体。不思議と体に痛みは感じなかった。むしろ調子がいいくらいだ。しかしそれに反比例するように体の奥底が痛む。
周りに集まっていた野次馬たちは誰一人として口を開かなかった。というよりも、開けなかった。そんな静寂に包まれた中、隼人は為す術も無く人形のようになった直樹を殴る。ただただ殴る。
見た目は隼人が優勢ではあったが、隼人の体は拳から蝕まれていく。しかしその拳はとめようも無く、もはや
自己を律するために直樹を痛めつけているようだった。まるで自分の正当性を認め、肯定しようとしているかのようであった。
直樹は殴れながらも、冷静に考え事をしていた。いつから俺は普通であることに気づいたのか。他人との間に越えられない壁をはっきりと認識したのはいつからだろうか。そして、なぜ俺は壁の向こうの住人である隼人を助けようとしているのだろうか。逆じゃないのか。
そのとき、直樹の中の何かがプチンと切れた。
とめどなく隼人へ振り下ろされていた拳が止まった。直樹がそれをしっかりと掴んでいた。次の瞬間、直樹は倒れた状態から上に乗った隼人の腹部を目掛けて拳を振りかざす。形は不恰好ではあったが、自分の体から引き剥がすには十分な衝撃だった。
隼人は直樹の体から下ろされ、後ずさる。
直樹はすぐに起き上がり隼人へにじり寄る。隼人はもう一歩後ずさりをしてしまった。なぜなら、直樹の気迫がこれまでに感じたことの無いものであったからだ。直樹の中で起きている変化に唯一気づいていたのは、実際に拳を交わした隼人だけであろう。
隼人を間合いの中に捕らえた直樹は、躊躇無く顔を狙い打った。D・ロードの効果により運動能力が変化している直樹の放った攻撃は、隼人のそれと同等の威力を持っていた。
これは喰らってはいけない。隼人の経験が告げていた。隼人はその攻撃をほぼ脊髄反射で回避する。
「ふっ・・・」
切れのよい声を発する。その声からは焦りが読み取れた。明らかにさっきまでの直樹とは違う、なにか別の生物と対峙しているようだ。
直樹は間髪要れずに隼人へ殴りかかる。
「・・・」
直樹の無言は殺意に似た何かを含意していた。これまた隼人は間一髪でかわす。これが経験地の差だろうか。直樹は攻撃の手を止めない。しかしそれら全てもまた、紙一重でかわしていく。隼人は先ほどとは打って変わって守りに入るしかなく、防戦一方だった。
周囲にいた野次馬は予想外の展開に息を呑んだ。
一方そのころ、スケイルは二人の上空で隔と激戦を繰り広げていた。端から見れば五分五分のように見えるが、本当のところはよくわからない。第一、スケイルは肝心要の止めを刺すことができないわけだから、長期戦になるのは避けられない。直樹が手早く勝利を収めてくれるのを祈りながら適当に隔の相手をしていた。基本的にスケイルは隔の能力値を大幅に上回っている。
直樹はずっと攻撃を続けていたが、さすがに体力の限界が来たのか、少しよろけてしまった。その隙を隼人は見逃さなかった。瞬間、隼人の拳が直樹の腹部にめり込んだ。
直樹の体が宙に浮いたと思えば、その体は3メートル先まで飛ばされていた。うめき声を上げ起き上がれない直樹、と思ったがそれは違った。直樹は比較的なんともなかったかのように起き上がった。
隼人は驚きの色を隠せない。手応えは十分にあった。今までの経験から言っても、確実に仕留めていた。実際、直樹の腹部には確実にダメージが伝わっていた。しかし、直樹はそんな痛みなどものともせず起き上がった。
「俺はこの壁を越えなきゃいけないんだ」
直樹の言動は明らかにおかしい。まるでこの「普通」ではない状況を楽しんでいるようだ。直樹の精神はもはや肉体を凌駕していた。
当初の目的である隼人の救済など忘れ、狂ってしまったかのように攻撃の手を休めない直樹。隼人は初めて喧嘩において恐怖を覚えている。ただただ攻撃をいなすだけ、しかしそれにも限界がある。ましてや、直樹は先ほどのような隙は見せなくなっていた。
その時、一人の声が直樹の耳元で響く。
「調子乗るんじゃねえぞ」
攻撃の手が止まる。その隙を隼人が見逃すわけが無い。鈍い音が空虚な空に響き渡る。直樹の体が先刻よりも高く飛ぶ。
隼人は勝ちを確信した。呻き声だけが粛然とした空間に響き渡る。体はぴくりとも動かない。
瞬間、空気が変わった。すると、直樹の体がむくりと起き上がる。先ほどまでの直樹も異様であったが、その比にもならないオーラを発していた。
「手間かけさせんなよ。体も持たねえしさっさと済ませるぞ」
直樹の体にはスケイルの魂が憑依していた。
直樹の体は先ほどまでとは段違いの動きで隼人に向かっていく。隼人は咄嗟に身を引き攻撃に備える。直樹の右腕が隼人の顔面めがけて飛んでいく。隼人はこれまたギリギリのところでかわす。しかし、かわした先には直樹の左腕が待っていた。その左腕が隼人を喰らう。
「よしっ!完璧な手ごたえだ」
直樹の中のスケイルが言う。
「おい、直樹。いい加減起きろ。お前が気失ってる間に勝負ついたぞ」
そういいながらスケイルは直樹の体から離れる。直樹の体に蓄積された負担が直樹の意識に容赦なく襲い掛かり、立つこともままならなかった。
「・・・そうか」
その声には安堵のような感情がこもっていた。狂乱化していたときの記憶が多少残っていることも幸いしたようだった。
「で、隔は裁いたのか?」
スケイルはなぜか険しい顔をしていた。
「いや・・・失敗だ。隼人の欲は支配欲じゃないらしい」
ゆっくりと間をとって話す。
「支配欲じゃないって・・・・・。それじゃあなんだって言・・・」
二人の会話を遮る声が一人。
「やっぱりだめだなあ」
隼人だった。
「・・・隼人」
「やっと自分が認められる場所を見つけたと思ったんだけどなあ。やっぱり直樹には敵わないな。」
隼人の顔が見えない。
「はは、敵わないって何だよ」
直樹にはこの空気が耐えられなかったのかもしれない。
「敵わないよ。直樹は小さいころの俺にとってヒーローだったんだ。俺はそんな直樹みたいになりたかった。いつも俺の前を歩いてた直樹に」
「冗談だろ?俺は昔から何の取り柄も無い、『普通』の人間だよ」
「いや、明らかに周りの人間とは違っていた。直樹が気づいていなかっただけで、みんな直樹のことを認めてたよ。俺もそんな風に、みんなに認められる人間になりたかったんだけどなあ。どこで間違ったんだろ」
いつからか、空知らぬ雨が隼人の頬を濡らしていた。
「おい、直樹。隼人の欲は支配欲じゃない、『自己顕示欲』だったんだ。直樹が認めてやれば・・・」
「間違ってなんかいねえよ」
スケイルの声は直樹に届いていないようだった。直樹の意識は、残らず隼人に向けられていた。
「お前は間違ってなんか無いさ。正直、昔のお前は嫌いだった。なんの意見も持たずに、ただただ金魚の糞のように付いてくるお前が。だけど今は違う。立派に信念を持ってるし、なによりお前を慕ってくれてる仲間がいるだろ。俺は、そんなお前が最高にかっこよく見えるぞ。それに、憧れてたのはこっちのほうだ。いつからかお前との間にできた壁がすごく高く感じたよ。いつまでも壁の向こうの『特殊』になれなかった俺は、ただただ見上げるしかなかった」
また隼人が口を開く。
「なにいってんだよ。『特殊』なのは直樹のほうだ。直樹は小さいときからずっと特殊だよ。直樹のいる側が『特殊』だったんだよ。だからこそ俺はその壁を越えたかった。直樹と同じ土俵に立ちたかった」
直樹は思いがけない台詞に言葉を失った。
「いや、隼人は確かにすごいよ。うん。すごい」
その台詞を言い終わらないうちに、隼人がほんの少し明るく照らされた気がする。その瞬間、隼人から離れた隔が直樹めがけ飛び出した。
だが、それよりも早くスケイルは隔を射程距離範囲内に収めた。
「やっと出てきたか、隔。オレはこういう青春も嫌いじゃねえんだ」
スケイルはどこからか刀を作り出した。
「地獄の旅に行ってきな。ギルト・トリップ!!」
スケイルはその刀で隔を切り裂いた。どことなく清々しい音がした。
その日の空には雲ひとつ無かった。
「で、お前はいつまで付いてくるんだよ」
事件から数日たった現在も、スケイルは直樹に纏わり付いてきた。
「いつまでかはわからんなあ。明日かもしれないし、一生かもしれない」
スケイルはまた、普段の格好でリラックスしていた。直樹と空間を共有することにも慣れたのかもしれない。
しかしそれも束の間、スケイルの雰囲気が変わった。あの事件の日と同じ雰囲気だ。もちろん、直樹がそれに気づかないわけが無い。直樹は大きなため息を吐く。
「またか。今回はどんな相手なんだ?」
二人の向かう先は青かった。