第一話 普通
佐藤直樹は毎朝だいたい6時40分に起きる。それから顔を洗いご飯を食べ、歯を磨いてから学校に行く。この行為を直樹は毎日無我のうちにこなす。直樹は、というよりほとんどの人間がそうであろう。なぜならその行為は普遍的なものであり、誰もが疑うことなく享受する「普通」なものであるから。
「おはよう」
直樹はこれもまた「普通」な母親に紋切り型の挨拶を放つ。
「今日は何時に帰ってくるの?」
母親は直樹に弁当を渡しながら言う。
「9時」
直樹は母親の問いをぞんざいにあしらう。いつからだか直樹にとって母親は鬱陶しいものであった。これもまた「普通」の思春期であるが。
「本日の特集はこちら!大人気ユーザーの”ぱるきゃん”さんの人気の秘密に迫ります!」
テレビのニュースではSNSで人気のユーザーが紹介されていた。
「あら、この子あんたと同い年じゃない。高校生なのにすごいわねえ」
テレビにはばっちり化粧をした女子高生が光を飛ばし上目遣いで撮った自撮り画像が表示されていた。
「自己顕示欲の塊だな」
小さくつぶやく。
すぐに画面は彼女のインタビューVTRに切り替わった。そのとき直樹は自分の目を疑った。
「なんだ・・・これ」
直樹は驚愕した。
「なんだってなによ。自撮りと違うのは当然でしょ。あんたも気をつけなさいよ。女は化粧でどうとでもなるんだから。ほら、よく言うじゃない。”かわいいは作れる”って」
「いやそういうことじゃない。なんか怪物が映ってないか?」
「あんたねえ、いくらなんでも女の子を怪ぶ・・・」
「違うよ。見えないの?・・・あれ?いない」
「ほら、何もいないじゃない。あっ、ほら時間無いわよ。早く学校行きなさい!」
「う・・・うん」
直樹は生返事を返す。
直樹の通う高校は隣町にある。直樹は学校まで電車と徒歩で約30分ほどかけて通っている。
「昨日のMステ見た?」
そんな無個性な台詞が教室のどこからか聞こえてくる。女子高校生にとって特定のアイドルグループを好むことはもはやステータスになっている。それならまだ不良の方が個性を持っているかもしれない。そういう考えに直樹が帰着したのは、長谷川隼人という現在停学中の地元で有名な不良が同じクラスにいたからだ。
「直樹ー、課題見せてくれよ」
そう言ったのは、直樹と小学生のときからの幼馴染である鈴木幸一。
「またお前やってきてないのかよ。次からは金取るってこの前言ったよなあ」
直樹は嫌そうにノートを幸一に渡す。それはあくまで嫌「そう」であって直樹にとっては大して嫌ではなく、嫌そうにすることがここでは誂え向きであるからそうしているだけだ。
なぜ誂え向きの態度を取るのかといえば、それは目立つことすなわち「特殊」であることを嫌うからだ。しかしここで注意しておきたいのは、直樹は意識的に当意即妙の行動を取っている訳ではない。無意識のうちに「特殊」を避け、「普通」であることを望む。それはまるで運命がそう決めたかのように。
「昨日は部活で疲れてすぐ寝ちゃったんだよ」
直樹はバスケ部である。
「お前それいっつも言ってるだろ」
課題を見せた回数は数え切れない。直樹が通う高校の偏差値は50ほどである。そのくらいの高校ほど課題が多い気がする。
「そういえば、進路希望調査書出した?」
幸一が言う。
「いや、まだ出してない。何書けばいいかわかんなくて」
「直樹はなんかなりたい職業とかないの?」
「うーん・・・無いかなあ」
そう直樹は言ったが、本当のところはよくわかっていない、なりたい職業の有無さえも。
ただただ用意されたものを受け入れることしかしてこなかった直樹にとって「普通」にサラリーマンとして社会に従事すること以外は想像ができない。
「そういう幸一はどうなんだよ。あんのかよ、なりたい職業」
高校三年生としては100点の返答をした自分がなんとなく疎ましく感じられた直樹は話題を幸一に転嫁した。
「俺?俺はもちろんあれよ、小説家」
長い間一緒にいた直樹だが、幸一の将来の夢が小説家であることは初耳だった。
「小説家!?お前自分の国語の成績知ってんのか?」
「小説書くのに学校の成績なんて関係ないんだよ」
「でもなんで小説家なんだよ」
「印税生活がしたいから」
幸一は食い気味に答えた。
「なんだよそれ。小説家なんて博打打ちみたいなもんだし、普通に会社勤めしたほうがいいだろ」
そんなことを言いながらも直樹の目には幸一がなにかすごい人のように見えた。それがどこから来るものなのかはわからないが。
「はーい。お前ら席に着け。授業始めるぞ」
その声で僕らのルーティーンのような会話は終結した。