23話・きみを迎えにきたよ
「ナイル?」
「ああ。まりか。大丈夫か?」
開いたドアの前で彼はわたしを強く抱きしめる。わたしはドアの向こうに人だかりが出来てるのを見てしっかとしがみ付いた。
「ナイル。怖かったぁ」
か弱い公女演出である。ナイルはヘリオスを糾弾した。
「ヘリオス。この部屋から出て行け。もう二度とまりかに近付くな」
「……」
大衆の面前でナイルに非難されヘリオスは無言で部屋を出て行く。わたしに覚えてろよ。と、言いたげな視線を向けて。ぴくりと反応すれば抱き締めてくれているナイルが大丈夫だよ。と、いうようにわたしの背を撫でてくれていた。
ナイルにはおとなしめのわたしを演出してるので騙してる様で心苦しいけど、でもこれでしばらくはヘリオスも近付いてこれないはずだ。
今日のことを目撃していた人達がうまく噂を流してくれるだろう。ブラバルト公女を追いまわしていたパルシュ国王は公女に無理強いしようとして弟のナイルセルリアンに咎められたと。その不名誉な噂のほとぼりがさめるまで彼はもうわたしに寄ってこないはず。
ナイルはヘリオスが去った後、皆が注目していたことに気が付いて部屋のドアを閉めた。
部屋にはナイルと二人きりとなった。
「まりか。本当に大丈夫かい? あいつに何もされなかった?」
「大丈夫。ナイルが助けに来てくれて嬉しかった」
十年ぶりに再会したナイルは、記憶の中よりも体の線が逞しくなり素敵な男性になっていた。今日は聖職者としての白いローブはまとわず清廉な彼には珍しい夜の色ともいえる紫紺色の紳士服を着ていた。服の襟には金の刺繍が刺されていて紫色のリボンで束ねた銀の髪が映えている。いかにもお金をかけた衣装を着たヘリオスと並ぶと対照的だが、わたしはナイルが数倍も輝いて見えた。
「ナイル。会いたかった」
「ぼくもだよ。きみに会いたくて仕方なかった」
ナイルはわたしの手を引いてふたりがけのソファに促す。わたしを座らせると、自分もそのとなりに腰を下ろした。
「だからライデル侯爵令嬢にヘリオスの姿が見えないと聞かされた時、もしやと思って気が気でなかった」
間に合って良かった。と、ナイルはわたしを抱きしめた。
「素敵なレディになったね。まりか。叔父上からは毎年、きみの絵姿が送られてきていたから、今夜はきみに会えるのを非常に楽しみにしていたんだ」
「あなたの方がもっと素敵におなりだわ」
そこでわたしは彼から脂粉の香りを嗅ぎ取って顔を顰めた。誰かがこれみよがしにつけていた香りのような気がする。誰だっただろう?
わたしの態度に不審なものを覚えてか、ナイルが自分の上着の匂いをかぐ。
「もしかして臭うかい? 参ったな。ライデル侯爵令嬢がぶつかって来た時のものかもしれない。彼女は相当慌ててたからね。お目当てのヘリオスがいなくなって。きみが不快に思うなら上着は脱ぐよ」
「ナイル。気にしないで。平気だから」
匂いの原因がアデリアと聞いて面白くないものを感じたが、ナイルには罪が無い。それと彼女のおかげでナイルが部屋に駆け付けてくれることになったのだから逆にお礼を言うべきかも知れない。
「いいや。きみを前にして不愉快な匂いを纏うのは気分が悪いから脱ぐよ。まりか。ごめん。こんな再会になってしまって。きみを喜ばせようと思っていたのに…」
ナイルは上着を脱いでしまった。他の女性の匂いがする上着を着ていてわたしを不愉快にさせては。と、思ったようだ。わたしはそんなに気にしてなかったのに。ただ彼女の香りが好きになれないってだけで。
「ううん。わたしは嬉しかったわ。あなたはわたしを心配して駆け付けてくれた」
「まりか」
ナイルの顔が近付いてわたしは思わず目を閉じた。唇にそっと期待したものが触れていた。目を開けると彼の唇が離れて行く。それを名残惜しく見送ればナイルの両手がわたしの頬に触れてきた。
「十年前に約束した事覚えてる? ぼくがきみを迎えに行くと言ったこと」
青色の澄んだ瞳が問いかけて来た。わたしが迷わず頷くとナイルは満足したように微笑んでいた。十年前は空のようにその瞳は高見にあって幼かったわたしには手の届かない存在だった。十年もの間、焦がれてきたのだ。それが今叶おうとしている?
「これは夢なの?」
「夢じゃないよ。まりか。ぼくはあの日からきみの成長を楽しみに生きてきたんだ。きみをぼくのお嫁さんにする為にね」
「ナイル。わたしでいいの?」
「きみの他に誰がいるの?」
自信なく訊ねたわたしにナイルがほほ笑んだ。
「今夜はきみを迎えに来たんだよ。あの日、約束しただろう? 必ず迎えに行くって」
ナイルは十年前、わたしをブラバルト大公国に預けて去っていく時のことを言っていた。わたしが彼との別れを惜しんだ時のことを。ナイルは忘れてなかった。わたしに約束したことを十年かけて守ってくれようとしていた。




