中編2
果竪は真綿にくるむように周囲に愛され大切にされてきた。
しかし、その歴史はそれほど長くはない。
そしてそれらが霞むぐらいの濃厚過ぎる--萩波に拾われてからの数年に、彼女は色々な事を覚えた。
すなわち
「ちょっ! もうやめて! もうやめてぇっ」
からんだ男達がいたたまれなくなるぐらいの、凄まじい暴言の数々。
まるでマシンガンの様に放たれるそれらは、彼らの男としての矜持を色々と抉った。
「お前は悪魔かっ」
「五月蠅い! 胸にしか興味のない神達に言われたくないっ」
だから、そんな事は一言も言ってない。
ただし、胸が無くても良いとは一言も思っていないのもまた事実で。
「……」
「ちょっ! やめて、そんな汚らしいものでも見るような眼差しをするのはっ」
果竪は見た目は幼い。そんな幼い雰囲気漂う少女から侮蔑の眼差しを向けられた男達は、結構心が折れた。
それでも、彼らは頑張った。
「と、とにかく、その女を寄越せって言ってんだよっ」
「そうだ! ここからは大神の時間なんだからなっ」
「子供のお坊ちゃんはとっととおうちに帰りなっ」
ガキは帰れコールが響き、周囲からはクスクスと言う嗤い声が聞こえてきた。
「私は子供じゃないわ」
「どう見たってガキだろ」
男達が嘲笑う。
その笑いに、果竪は黙った。
「か、果桜……」
怯えた玉環が果竪へと身体をすり寄せる。
たぷんとした柔らかな胸の感触に、果竪は泣きたくなった。
「どうせ、男の神なんてみんな『胸の奴隷』よ。『巨乳の狂信者』よ」
「いや、俺は貧乳好み」
室内に居た名も無き男性客が、隣に居た妻らしき女性に殴られた。見事な顎の一撃に、男性客は声も無く床に沈んだ。
店の主が合掌している。
それより、この男達をどうにかしてくれ。
「果桜--」
玉環が果竪を呼んだ--その時だった。
彼女が息をのむ様な音が聞こえた。
男達も、そちらを見る。
騒ぎで気付かなかったが、いつの間にか店内に新しい客が入ってきたようだ。
「あ、い、いらっしゃい」
こんな状況だと言うのに、来店した客への挨拶を忘れない店主は商売神の鑑である。
ただ、そんな店主に果竪は感心している暇は無かった。
果竪にぎゅっとしがみつく玉環の小さな呟きが、果竪の耳に届く。
ど、どうして--
それだけで、果竪は理解した。
元々、自分に対する夫に上層部の思いに関しては激しく鈍感だが、それ以外ではかなり勘の鋭い果竪は、こちらに近づいてくる男に気付く。
冷たい--どこか蛇の様な目つきの鋭い男だった。
年の頃は二十台半ば。
鍛えられた無駄のない長身の体付きも美しいが、その整った顔立ちは怜悧な美貌と称するに相応しいものだった。
前髪はオールバックで、後ろは長く伸ばして一本三つ編みにしている。
彼はそのまま果竪達の前まで来ると、ジロリと果竪を見下ろした。いや、その眼光の鋭さから睨みつけているといっても良い。
「……」
果竪は何も言わずに、彼の顔を見返す。
すると、自分の視線を物ともしない彼女に、男が薄く笑った。
「ふむ……なかなかの肝っ玉ですね」
「……」
「しかし残念。余計な事に首を突っ込まなければ、もう少し長生き出来たものを」
彼の言葉に、果竪は顔を上げた。
その途端、果竪の後ろに居た玉環の悲鳴が聞こえた。
ハッと気付いた時には、玉環はいつの間にか室内に侵入していた兵士によって果竪から引きはがされていた。
思わず果竪が手を伸ばしたが、後ろから強い衝撃を受けて、床に倒れ伏す。
そして背中を強く踏まれた。
「がっ--」
「ああ、可哀想になあ」
あの蛇の様な男の声が聞こえる。
「だ、旦那、これで良いんですか?」
「ええ、足止めありがとうございました」
その声に、果竪は顔を上げる。
すると、あの三神組が蛇男にぺこぺこと頭を下げていた。どうやら、果竪はこの男達に足止めされていたようだ。
「っ……」
玉環の悲鳴と、果竪の名を呼ぶ声が聞こえる。
「うちのお姫様は返して貰いますよ。全く、世間知らずの姫君の足ではそれ程行けないと思えば、こんな所まで--まあ、協力者が居たのなら仕方ありませんが」
「あ、貴方、は」
「耳障りな声ですね」
男が果竪の背中をグリグリと力を入れて踏みつける。
「さあ、聞かせて下さい。甘美なる悲鳴を私に」
果竪は思った。
こいつ、変態だ--と。
似たようなのが凪国上層部に居るし。
「ねぇ、何してんの? 明睡」
「いや、なんかこう激しく心を抉られた感じがして」
果竪が似ていると称した凪国の椿姫こと宰相閣下は、側にあった壁に片手を突き、もう片手で胸を押さえて荒く呼吸をした。頬を赤く染め、苦しそうにする様は酷く色っぽいが、朱詩からすれば「何してんだよ、この忙しい時に」という感じしかない。
「誰かに変態呼ばわりされた気がする」
「涼雪に?」
因みに、たった今明睡の心を激しく抉ったのは、間違いなく朱詩だ。
その場に居た彼らの仲間達は迷う事無く心の中で断言した。
「ごめん、ボクが悪かった」
朱詩はそう言って。
「果竪かもしれないよ」
「お前は俺に何か怨みでもあるのかっ!」
殺し合いだって何度もした事はあるが、流石に朱詩の言葉は酷すぎる。
明睡の絶叫に、朱詩は「今日も天気が良いねぇ」と、雨が降る外を見ながら友神の言葉を全無視したのだった。
「ほら、鳴いてみせなさい」
男が果竪を蹴りつけ、蹴り飛ばす。
既に、室内には客達の姿は見えない。
この騒ぎに、兵士達によって外に追い出されたのだ。
「全く、小賢しい。無力なクズのくせして、我らの姫君を連れ去ろうとするからこうなるんですよ。ああ、嫌だ。なんて汚らしいゴミなのか」
散々果竪を痛めつけた男は、それでも果竪が悲鳴を上げない事に不満を覚える。果竪は一声も悲鳴を上げなかった。
「興がそがれました。どこかに捨ててきなさい」
命じられた兵士達数神が、果竪に近づくとその身体を掴み引きずっていく。
全身を痛めつけられた身体は、屈強な男達に抵抗する事すら出来なかった。
既に玉環の姿は無い。
連れ攫われたのかもしれない。
「とんだタイムロスですよ」
既に果竪に興味を失った蛇男は、そう言って立ち去っていった。
「おい、ここら辺でいいか?」
「とっとと捨てて行こうぜ」
果竪の身体を引きずった兵士達は、村を出てすぐの森へと歩いて行った。
そしてそのまま、急な斜面となっている場所まで来ると、果竪の身体を下に向けて転がした。どうせあの怪我だ。
加えて、ここから落ちれば動けないだろう。
そのまま獣の餌にでもなってしまえば良い。
兵士達は果竪の身体が視界から消えたのを見届けると、そのまま村へと向かって歩き出した。ここから村までは行きに三十分かかる距離で、途中迷いやすい場所もあった。
「さっさと帰って酒が飲みてぇよ」
「俺は女と楽しみたいな」
「あの村は小さいが、良い女が居るようだし」
「それにどうせ、あと少しの命だろう?」
「我らが軍師様は本当に冷たいお方だ」
そう言って嗤う男達は、この後のお楽しみを思い軽やかな足取りで森の中を進んでいた。しかし、どこか途中で道を誤ったのか、行きにかかった時間を超えても村にはたどり着けなかった。
それに、外も日が暮れ始めている。
最初は余裕のあった兵士達も、次第に焦り始めていた。
「ったく! ここはどこなんだよっ」
その時だった。
ざわざわと森の木々がざわめき、冷たい風が彼らを撫でる。一瞬、ゾワッとして周囲を見まわしたが、そこには彼らしか居なかった。
「な、なんだよ……驚かせやがって」
「は? びびったのか? お前」
「ん、んなわけ--」
同僚の言葉に反論しようとした兵士の一神が、その視界に映り込んだものに気付いた。
「ん?」
少し離れた木々の合間に、深くフードを被った神物が居た。
「おい、見ろよ」
同僚達に促しながら、その兵士は「もしかしたら村の住神かもしれない」と呟く。ここは村の隣にある森だから、村の住神が来てもなんら不思議では無い。
ならば、相手に案内して貰って村まで帰れば良いと考え、兵士はその相手に足早に近づいて行く。もしここで不信感を抱かれて逃げられては大変だ。
最も、逃がすつもりも無いが。
そうして、彼はその場に立ち尽くしたままの相手の前に立つ。
相手は彼よりも若干小柄だった。
体付きは分からず、性別も分からない。
ただ、フードから隠れ見える鼻から下の顔立ちは、恐ろしいほどに麗しく美しかった。形良い唇など、腰が砕ける様な色っぽさを放っている。
それに、近づくごとに良い匂いがした。
まるで男を蕩かす様な、甘い甘い匂い。
兵士は、下半身が熱く高ぶるのを感じた。
脳髄が激しくかき揺らされ、次第に全身が熱くなる。
ああ
ああ、欲しい
欲しくてたまらない
彼は、ごくりと生唾を飲み込む。
手は、気付かぬうちにその相手に向かって伸ばされていた。
「お--」
「お前、匂いがする」
匂い?
その相手は、自分から兵士に近づきその胸に顔を埋める。ふわりと香しい甘い香りが鼻を擽り、それだけで快楽の境地に飛ばされそうになった。
「……ああ、甘い」
そう言った声すら、兵士の全てをぐずぐずに蕩かす様な甘さと艶を含んでいた。
「--はどこ?」
「え?」
はっきりと聞こえなかった兵士は、思わず首を傾げた。
「--はどこ? ねぇ」
深くフードを被り、顔の下半分以外はすっぽりと衣で隠れてしまっている。けれど、その白くほっそりとした指先が見えたかと思うと、兵士の顎を捕らえた。
「ねぇ?」
それは、囁く。
「果竪はどこ?」
兵士は、そんな名前は知らない。
知らないけれど。
細胞の全てが求める『女』を手に入れる為に、その『女』が求める答えを知らず知らずのうちに口にしていた。
「森の奥、斜面から落した」
どうして--と問う声は無い。
問える口が無いから。
考える頭すらも無いから。
「お前は何をしているんだ」
「ん~?」
物言わぬ肉塊となった元兵士の血を、それが身につけていた衣でぬぐっている友神に溜息をつくのは、新たにこの場に現れた男だった。
いや、男とは思えぬ麗しい美貌は正しく男の娘に属する存在だった。一見すれば妖艶な美女たる彼は、既にフードをとって素顔を晒す友神をげんなりと見つめる。
「怒られるぞ」
「そう?」
新たに現れた男に負けず劣らずの美貌の男の娘たる彼は、にっこりと笑った。その、少女の様な天真爛漫な笑顔の持ち主が、この惨状を作り出したとは誰もが思えないだろう。例え、その光景の一部始終を見ていたとしても。
「寄り道するな。時間が無いんだから」
「あ、果竪見つけたよ」
「なんだと?!」
彼らは凪国上層部だった。
そして、果竪を探す為に王宮から出てきた者達だった。
「ど、どこにっ!」
「此処には居ない」
「は?」
「この兵士達が、落したって言っていた」
「落とし」
「斜面」
「……」
ニコニコと笑う友神を見た後、肉塊となった兵士を見た。
「なっ! お前は大事な情報源を殺したのかっ?!」
いや、待て。
さっき兵士達と言ったではないか。
となると、残りの兵士達が。
居なかった。
「あはははははは」
笑う友神を余所に、痛む頭を男は抑えた。
「この、時間の無い時に」
そこに居たのは、魔獣だった。
血の臭いにつられてやってきたのだろうか。
それとも、最初から獲物を求めてここにやってきたのか。
この兵士の仲間の兵士達は全員、それに食い殺されていた。
「この森さぁ、何体か魔獣、居るんだ」
「なん、だと?」
「で、その森の奥の、どこかの斜面に、果竪を落したんだって、こいつら」
友神は屈託の無い純真な笑みを浮かべながら、兵士だった肉塊を踏みつける。
「まずいな」
「うん、まずいよね。まずい」
「果竪に怪我をさせるなよ! 陛下のご命令なんだからなっ!」
と言った男は。
「いや、別に陛下のご命令でなくても果竪に怪我なんてさせないからな。あ、これは果竪の為でなくて俺の為なんだからなっ! いいか、間違っても果竪の為じゃ」
「早くしないと果竪、怪我するかも」
「だからこの俺がさせないって言ってるだろ!」
妖艶な美貌だからこそ、怒りの形相の迫力たるや凄かった。けれど、彼はカラカラと笑っている。
「うん、果竪が怪我するのはヤダな。果竪に血の臭いは似合わない」
「……ああ」
「果竪はね、甘くて優しくて太陽の匂いが似合うんだ」
ちらりと彼の口の端から見える鋭い犬歯がキラリと光る。
「可愛い果竪、優しい果竪。ああ、早く、早く会いたいなぁ」
「なら、とっととあのデカブツを殺っちまうぞ。ったく、なんだって出て行ったんだか、あのお姫様。まあ--」
ニ ガ サ ナ イ ケ ド ナァ
彼らは笑い、それぞれ獲物を構えた。
玉環は泣き喚いた。
けれど、兵士達の力には敵わず、彼女は村の建物の一つに監禁された。
いや、彼らからすれば監禁ではなく保護だろうが、玉環からすればそれは監禁でしか無い。
「果桜、果桜はどうしたのっ?!」
部屋に放り込まれた後、玉環は必死に開かない扉を叩き続けた。
しかし、誰も彼女の言葉を聞いてはくれなかった。
それから暫く経った頃、ようやく玉環の前にあの男--蛇の様な雰囲気の男が現れた。
そうして彼は何でもないように言うのだ。
「ああ、貴方をたぶらかした罪神は処刑しましたよ。当然でしょう?」
今頃、森の魔獣の餌ですよ--。
そう言ってニコニコと笑う彼に、玉環の絶叫が建物内に響き渡ったのだった。