前編2
凪国王妃の家出?を一番に知ったのは、津国の諜報員だった。
津国は、凪国と一、二を争う炎水界の大国である。そして、二国間の王は古くからの友神同士。上層部同士も大戦時代は幾つもの戦いで軍同士で共闘してきた事もあり、旧知の間柄。
同盟関係も、どこよりも深く!太く!長い?
ただ、津国と凪国の関係はそれだけではなかった。
凪国王妃と津国王妃は、従姉妹同士だった。血の繋がらない間柄ではあったけれど、彼女達の仲はとても良かった。
そんな二神を、二国は引き離したのである。
共に、大戦後は一緒に静かに暮そうとしていた彼女達を引き離し、それぞれの国に連れ去った。一緒に居させるという事は、どちらかが思う相手を失わなければならない。
だから、周囲は彼女達を強引に引き離したのだ。
それはもう、山賊の如く。
「ぎゃあぁぁぁぁぁあっ!」
「果竪っ!!」
米俵担ぎをされた時、彼女達は自分達は絶対に物語のヒロインになれないと思ったと言う。
そして今も、王妃達は再会出来ないままで居る。
凪国王妃が居なくなった。
どこかに行ってしまった。
それを知った時、津国の諜報員は凪国王妃の行く先を考えた。
簡単だった。
「うちの王妃様が、奪われるっ!」
絶対、絶対に津国王妃様の下に行く気だ。
「エマージェシ-っ! 我が国の王妃様を奪われるなっ」
その報せは、あっという間に津国にまで届き、そして。
「芙蓉様には、今日よりここでお過ごし頂きます」
「(怒)」
恐怖に震えた津国上層部によって、津国王妃--芙蓉は拒否する間もなく難攻不落の高い塔に押し込められてしまった。
必要なものは全て揃っていたが、部屋の窓は格子だし、扉には鍵を掛けられ、なおかつ見張りの兵士まで居る。しかも、上層部の子飼いの者達だ。
あと、部屋の中には侍女という名の見張りまで。
これを突破出来る者が居れば、それは勇者だ。
いや、魔王級じゃないと無理だ。
そこで王子の「お」の字さえ出てこない時点で、芙蓉は自分がヒロインという存在から程遠い事を理解していた。
むしろ
「私は罪神か?」
「今日よりうんぬん」という宰相の一言に、芙蓉は怒った。
いつも面倒臭がり屋で感情の起伏に乏しい所のある芙蓉にしては、珍しく怒りで両肩を振るわせ拳を握りしめていた。
「そうですね、陛下や我らをこれ程魅了する王妃様は、明らかに『歴代の傾国の美女』も真っ青な存在です」
殴りたい、この笑顔。
とりあえず、ふざけた事を抜かす上層部の一神をどついた芙蓉だったが、彼はなんだかとても嬉しそうだった。
「なんで殴られて嬉しそうなの!」
「違います! 俺は殴られて嬉しいなんてそんなっ! ただ、芙蓉に殴られるのは気持ち良くて」
芙蓉は逃げた。
それを聞いていた周囲は、その感情を理解出来たが--結局は追いかけた。そうして、捕まった芙蓉は見事に塔に放り込まれた。
「鬼! 悪魔っ! 鬼畜! この大魔王っ! 萩波と同レベルっ」
前四つは彼等にとっては感情一つ揺らす事は無かった。ただ、最後の一つは--。
「ああ! 陛下、津王陛下が倒れられたぞっ」
「凪国国王陛下と同レベルって!」
「違う! うちの陛下は凪王に比べれば、ロリコンじゃないっ!」
「そうよ! 芙蓉に手を出したのは十二歳の時じゃなかったものっ!」
同じ穴の狢という言葉を、彼等は知っていたかどうか。
その後、津国は警戒した。
そして秘密裏に、凪国王妃が津国に来たら即座に保護して凪国に送り返す条約が結ばれた。
それは実際には使われる事は無かったが--。
「何度考えても納得出来ないの。命からがら逃げてきた難民を率先して送り返そうと考えた、この国の神経が」
後に、凪国王妃は言う。
「正常じゃないですか。冷静に考えて、あの凪国と事を構えたいと思う国は居ませんから」
「じゃあ、連れ戻されれば殺されるかもしれなくても、帰されたんだね、私」
「全力で凪国と事を構えます」
その場合は、津国は凪国王妃を保護し、凪国と戦う。
「なんでっ?!」
「ほら、他神の恋路を邪魔して馬に蹴られたい国はありませんから、はい」
命がかかっているなら戦うけれど、そうでないなら基本放置だと言い切る津国側に、凪国王妃は唖然とするしかなかったという。
ただ、それはもっともっとずっと後のお話である。
「はぁ~、やれやれ」
「困ったものだ」
凪国の双子門番は、揃って大きな溜息をつく。
「怒られた怒られた」
「仕方ない、こちらの不手際だ」
「せめて、正門に居ればなぁ」
そうしたら、絶対に見つけられたのに。
「どうする?」
「どうする?」
彼等は互いに目配せする。
けれど、彼等は追いかける事は出来ない。
だって、彼等はこの凪国王宮の門番なのだ。
「もどかしいな」
「もどかしいよなぁ」
大戦時代が懐かしい。
軍に入り、彼等を始め、多くの者達が自由を手に入れた。
「たぶん、追っ手だと思う。街中で何神も見たもの」
「……」
果竪は、食事をとりながらたき火を挟んで向かいに座る玉環に街で見た事を伝えた。
「ここも、いつまでも安全じゃないわ。今は大雨が全てを覆い隠してくれてるけど、少し休んだらすぐに出発した方が良いわ」
「……」
今回、煉国の一団は流石『煉国王女の後宮入り』と言う程の大神数で来ている。
見つかれば、確実に逃げ切れない。
「--恐くなった?」
「恐いのは今更だわ。でも--果桜が居るから、恐くないわ」
玉環の言葉に、果竪は目をぱちくりさせる。けれど、すぐにクスクスと笑う。その笑顔に、玉環はなんだかほっこりとする感じを覚えた。
最初から不思議だった。
この少年と居ると、全ての不安が消えていく。
まるで母に抱かれている様な、安心感を覚えるのだ。
「少し休もう。夜明け前に出発するから」
「ね、眠れるかな」
「寝ないと動けないよ。意地でも寝て」
そう言うと、玉環は毛布にくるまった。
程なくすやすやと眠りだした玉環に、果竪は小さく息を吐く。
「本当に、とんだ逃避行になっちゃったなぁ」
まあ、果竪を探す相手など居ないが。
いや、今はまだ居るだろう。
果竪は腐っても凪国王妃である。
けれど、時間の経過と共に追っ手はいなくなる。
居なくなってしまった王妃など死んだ事にして、別の新しい王妃を迎えるだろう。
そう--煉国王女の様な。
「あれ? でも、私、その煉国王女を連れて隣国に行くんだよね?」
果竪は、自分とは違って追っ手をかけられまくる煉国王女と一緒に居る自分に思い当たった。うん、まずい、まずすぎる。
それこそ、地の果てまで追いかけられ連れ戻される可能性の高すぎる煉国王女を連れて逃げる果竪。絶対に極悪神、いや、犯罪者だ。
なんという事だ--お天道様の下を歩けない事だけはしないと決めていたのに、もうその道は潰えてしまっている。
果竪は煉国王女を誘拐した大罪神。
煉国王女はその美しさから強引に連れさらわれた被害者。
たぶん、そんなストーリーが展開するだろう。
それか、果竪の素性がバレれば、後宮入りする煉国王女を邪魔に思い、または嫉妬して手を下そうとした醜い王妃というストーリーになるかもしれない。
「私って、どこまでも立ち位置が悪いよね」
果竪はいつだって悪役だった。
悪役と見なされるのが基本だった。
絶対に、ヒロインにはなれない。
魔王に攫われ、王子様の助けを待つお姫様にはなれないのだ。
因みに、もしこの発言を他国の王達が聞いたらこう言っただろう。
「あ~、魔王、うん、魔王」
「魔王には攫われるから大丈夫」
「ただ、王子は無理だろ」
「あの魔王に勝てる王子は居ないからな」
「プロローグがエピローグだよな。むしろ始まりもしない」
「不憫ヒロイン」
もし、凪国国王がそれを聞いたら
「貴方達に言われたくありませんよ」
と、大反論していただろう。
そんなわけで、果竪はどっちにしたって正統派のヒロインにはなれないのだ、どうあがいても。
「……とにかく、今はこの場所を離れる事だよね」
果竪は呟くと、自分も毛布にくるまった。
翌日も、雨は降り続いていた。
まだ完全に夜も明けきらないうちに、出発する。
「あ、あと、五分」
「その五分があればかなり遠くまで行けるよ」
果竪はまだ眠りそうな玉環を起こすと、さっさと準備をさせて外へと連れ出す。
「お風呂に入りたい」
「無事にこの街から逃げ出せたらね」
幽閉されていても、やはりお姫様。
庶民とはどこか違う彼女に、果竪は苦笑した。
「それで、どうやって行くの?」
「簡単に言うと、街を出たら、煉国の方向に向かうわ」
「え?」
「攪乱だよ。そもそも、煉国で良い境遇じゃない王女様がわざわざ自国に戻ってくるなんて普通は思わないでしょう? だから、そちらの道を通るの。大丈夫、途中からは違う道に入るから」
煉国と国境を隣接している凪国。けれど、凪国と国境が隣り合う国は、他にも幾つかある。
それに、果竪の言ったとおり、向こうが煉国の王女様を良い境遇に置いていないならば、まさか自ら自分達の所に帰ってくるとは思わない筈だ。
前国王親子と上層部に虐げられた王女様。
となると、行き先は狭まる。
まあ幾ら狭まるといっても、凪国王宮に向かう前に逃げ出したのだから、そちらに行く可能性は低い。ただ、凪国王宮の方向は現在土砂崩れで潰れている。
残された道は、戻る道。
だけど、戻れば煉国の方向である。
そうなると、どこか街の中に潜伏して--という可能性が高くなるし、そもそも煉国の者達は王女を侮っている可能性もある。いや、侮っている筈だ。
塔に幽閉され、その前からも幽閉されていたとされる煉国王女は、別の言い方をすれば世間知らずの箱入りである。
つまり、外に逃げ出した所で、彼女一神ではそう遠くにはいけないし、すぐに見つかると思ってさえ居るかもしれない。
まあ、彼女の幸運は、同行者を得られという事だが。
ただ、煉国は侮っていたとしても、一応戻る方向の道も捜索するだろう。ただし、ある程度行けば、別の方向に行く道が幾つか枝分かれしている為、そちらに手の者達を差し向けるかもしれない。
もしかしたらもう差し向けているかもしれないが--とりあえず、王女の今までを思えば、街中を捜索しているだろう。
それに、この雨が良い具合に周りを見えにくくしてくれている。
今が最大のチャンスだ。
「歩きますよ、沢山」
果竪は玉環の手を引くと、歩き出した。
共に、雨具--雨合羽を身につけているおかげで、彼女達--いや、果竪は雨の中を難なく歩いて行った。