前編
「これから私と貴方はコンビって事ね! 宜しく、私、相棒とかに憧れてたのっ」
「……」
幽閉されていた王女様という話だが、果竪はそれは何かの間違いではないかと思った。なんだ、このフレンドリーな王女様。別の方向でフレンドリーさが突き抜けている。
「じゃあ、ボケ役は私ね。上手く突っ込んでねっ」
「うん、わか--」
果竪は頷きかけて、我に返った。
「そんな事してる暇なんてないよっ」
漫才一つ終わらないうちに、追っ手に捕まる。というか、自分は良くてもこの王女様なら連れ戻そうとする追っ手はわんさか居るだろう。
それに、凪国王宮からも追っ手がかかる筈だ。絶対にかかる。
だって、王の新しい王妃になるかもしれない少女なのだ。
「あ、貴方のツッコミ、なかなか上手ね」
ツッコミを入れたわけではないけれど、何故かツッコミを入れた事になっている。どう誤解を解こうか考えていると、煉国王女−−玉環がくしゃみをした。
当り前だ。
彼女は全身がぐっしょりと濡れている。
濡れた衣服を脱いで、身体を温めないと。
「とりあえず、その服を脱いでこっちの服に着替えて」
果竪は自分の着替えを差し出した。
この時、果竪は自分と玉環の差をしっかりと認識していなかった。いや、見ている筈なのに頭から転がり落ちていたのだ。
結果−−
「なんか、キツイ」 濡れた衣装を身に纏っていた時は、身体の蠱惑的な曲線が露わになると同時に、滴る様な色香がこぼれ落ちていた。
現在は、果竪の着替えを身に纏い、どこもかしこもキツキツ--唯一緩いのは腰回りという、悩ましい姿となっていた。
「神なんてくたばれ!」
果竪はバンッと壁を手で叩いた。その時の気迫は、玉環さえびっくりする程だった。
「どうしてこうも私の周囲に居る子達はボンキュッボンなのよ!」
明燐しかり、明燐しかり、明燐しかり--他にも居るけど、特に明燐。
「あ、あの」
叫ぶ果竪に、落ち着けと言いたい玉環だったが、それを制するように果竪が叫んだ。
「寸胴! 寸胴来いっ! 寸胴カモンっ」
とりあえず、この果桜という少年は『寸胴体型超love好み』な嗜好の持ち主らしい。玉環に知り合いは居ないけど、今後出来たら紹介してあげようと玉環は思った。
「……とりあえず、脱ごう」
「え? 着ろって言ったり脱げっていったり、ややこしいわね貴方」
「そんなムチムチボディーを周囲の目に晒した方がややこしくなるよっ」
あと、果竪はその隣を歩きたくなかった。
けれど、同い年なのに大人顔負けの抜群の蠱惑的な肢体を持つ明燐で思い知った。向こうは嫌だと思えば思う程、近づいてくるのだと。
果竪は、明燐の大きく柔らかく形良い素晴らしすぎる胸を腕に押しつけられ、まるで恋神同士の様に歩かされた事が何度もある。その度に、明燐を崇拝する男達の激しい嫉妬の視線のなんと痛かった事か。
たぶん、私の春は遠いな--
異性と仲良くなるどころか、敵視するされていた現実に果竪は笑うしか無かった。
ただ、実際に蓋を開けてみれば、果竪は十二歳で萩波と結婚し、その後王妃にまでなった。縁とは本当に不思議なものである。
しかし、その後が悪かった。
好きな神と--初恋の神と結ばれた筈だが、相手があまりにも凄すぎるのが不幸の始まりだった。そもそも、凪国上層部なんて初対面から暫く--そう、八年もの間は、萩波と幼馴染みだった果竪をいじめ抜いてくれた。
彼等でさえそうなのだ。
他の者達なんて、萩波の関心を得る事の出来た果竪に対して、そりゃあもう色々とやってくれた。よく生きていたと思う。
大戦時代も、そして王妃になった後も。
王妃即位後は、命の危険性は減ったけれど、その分やり方がえぐい事が多くなってきた。
こうして、男性化させられたのも、考え方によってはとんでもなくえぐい。普通の、ごく平凡な王妃であれば、子の産めない男性に性転換させられた時点で自害してもおかしくない。
となると、果竪は普通の王妃ではないのか?
まあ、無能で役立たずと名高いし、男性化させられても「王妃やめよう」とか思って実行するぐらいには普通じゃないだろう。
「……一つ聞きたいんですけど」
「何?」
着替えはどこかで購入しようと思いながら、果竪は小屋の中で火をおこす作業の傍らに口を開いた。
「玉環姫は、旅の経験は」
「無いわ」
ですよねぇ~!!
分かってはいたが、それでも聞かずにはいられなかった。
いや、聞いてすっきりとしたかった。
これで、もう果竪がどうにかするしかないのだと--退路を断ちたかったのだ。
果竪は、無能で役立たずと言われている。
けれど、あの暗黒大戦時代を、萩波率いる軍の中で生き抜いた彼女は、果たして本当に無能だろうか。
軍の中で真綿にくるまれる様に守られていたと言う。
けれど、果たして常にそうであっただろうか。
夜襲、奇襲、様々な戦いがあった。
軍からはぐれ、密林を彷徨った事もあるし、山の中に置き去りになってしまった事もあった。無人島に流れ着いた事だってあった。
命からがら、敵軍から逃げ回った事もあった。
一神で。
誰かを庇いながら。
果竪は、それらを生き抜いた。
だからこそ、彼女は暗黒大戦の終結を生きて迎え、そして現在も生き続けている。
彼女は確かに無能で役立たずだ。
けれど、生きる為の戦いでは、彼女は萩波達に勝るとも劣らぬ猛者なのだ。
劣悪な環境の時もあった。
恐ろしい野生動物達が闊歩する場の時もあった。
そんな中、寝床を確保し、食材を集め、生きる為に様々な事をした。果竪は、実地で身につけていった。
だからこそ、果竪の技術と知識は生きた技術と知識なのだ。
煉国王女は、ずっと塔に幽閉されていた。それ以前も、似たようなものだった。それでも、彼女には確かに神を見る目があった。
果竪を、即相棒認定出来る程に。
果竪はてきぱきと火をおこすと、街で確保していた明日の分の食材を焼いていく。それを、玉環の前へと置いた。
「食べれる?」
「え?」
「食べれる時に食べた方が良いよ」
果竪はそう言うと、小屋の扉へと向かう。
「どこに行くの?」
「着替え用意してくるの。流石にその格好じゃ歩けないでしょう?」
そう言うと、「そこに居て」と玉環を一神置いて、街へと戻っていった。
収穫品は、簡素な衣と下着類、外套、靴。
そして、最低限の旅の道具だった。
街の中には、やはり玉環の追っ手らしき者達が彷徨いていた。余り神相の良くない者達も居た。
そんな中、果竪は実に堂々と、けれど手際よく必要な物を集めていった。
大戦時代、素速い行動は基本だった。
果竪は要領が悪いから、神の何百倍も努力した。
敵に追われながら、必要な物を集める事だって何度もあったし。
それに、路傍の石ころよりも劣るとされる果竪は、彼女が大根にトチ狂いでもしない限りは、目立たないのだ。
大戦時代、まだ軍に入って間もない頃なんて、果竪がすっころんでも凪国上層部は全く気付かずにそのままスタスタと歩いていってしまい、かなり後になって気付いたという事も何度もあったぐらいだ。
モブキャラ特有のステルス能力。
そう、果竪にはステルスがついている。
しかし、果竪はその力を確信しない事にしていた。
クンクンクン
「何?」
妖艶な美女だが、中身はヘタレ子犬系な上層部の男友達が果竪にしがみついて首筋に顔を埋めていた事があった。
上層部と仲良くなってきた頃の事だ。
「果竪はお日様の匂いがするね」
「うん?」
むしろ、土の匂い--なんて事を口にする前に、果竪の前身を悪寒が襲った。
匂い、かがれている。
嗅覚が鋭く、色々な物の匂いをかぎ分けるその美女の行動に、果竪は逃げた。だが、その後何でか隠れても逃げても匂いで見つかるようになって、果竪は聞いた。
「なんで、分かるの?」
「果竪の匂いなら、遠くに離れても分かる」
あ、明燐生理中だから機嫌最悪だよ--と言われた時には、果竪の顔から血の気が引いた。だが、本神は至って普通だった。
で、匂いをかぎ分ける系の男の娘は何神か居るが--今回、あれは居なかった。そう、居なかったから良かった。居たら大変だった。
「きっと、前世は獣神だわ」
それも、犬系だ犬系。犬系の男の娘だ、絶対。
そんな事を考えながら、果竪は小屋へと戻る。
後をつけられていないのは確認していた。
それでも、慎重に、静かに扉を開けて中に入った果竪は。
「へ?」
玉環に飛びつかれてた。
「うわぁぁあああんっ」
強く抱きつかれ、思い切り泣かれた。泣き声の大きさに「外に響くっ」と怒るが、玉環は果竪にしがみついて離れない。
「一体どうしたのっ?!」
「置いていくなんて酷いっ」
「はぃ?」
「私、置いていかれ、たと、おも--」
泣き顔すら麗しいが、果竪は泣き声混じりの言葉を解読するのに一生懸命だった。
「置いて行かないよ。というか、玉環さんってもしかして凄く寂しがり屋?」
「そ、そんな事ないっ」
泣いたり驚いたり、怒ったり。忙しいお姫様だ。
「わ、わわわたしは、単純にコンビを結成したにも関わらず、相手を置いて行く事に腹を立ててるのっ」
「いや、そもそも私と出会う前は一神でしたよね? というか、一神で外に飛び出して、しかも連れ戻されないようにして逃げるって事は、ずっと一神きりって事だと思うんですけど」
「……」
「一神が嫌なら」
帰った方が良いのではないだろうか?
旅は道連れと言うが、一神きりになる時だってある。それが、嫌なら。
「果桜が居るもの」
「いや、それはたまたま」
「果桜が居るから良いのっ!」
そう言われ、玉環はぷいっと果竪から離れて部屋の隅に横になってしまった。いわゆる、ふて寝だった。
果竪は溜息をつくと、玉環の側に着替えと旅の道具を置く。そして、手の付けられていない食事をもう一度たき火の炎で温め直した。
それから、どれ程経った頃か。
「不安だったの」
玉環はこちらに背を向けて横になったまま、果竪に語りかけてきた。
「塔の中--元々住んでいた場所では一神ぼっちだったわ。でも、この大雨の中、夜に、無我夢中で外に飛び出して、どこに行けばいいかも分からなくて……恐かった。闇に、飲み込まれそうで」
「……」
「泣きながら走ったわ。必死になって、少しでも離れようと、捕まらないようにと。それでも、夜の闇は恐くて、雨は凄くて……ようやく、この小屋に辿り着いたけど、でも、やっぱり恐かった」
後悔すらした。
一神ぼっち。
いつ現れるか分からない追っ手。
どこに行けば良いか分からない。
頼るものも居ない。
「恐くて、悲しくて、苦しくて、そして眠くて」
気付けば寝てしまった。
そして目覚めた時、世界は一変していた。
「行かないで」
「……」
「置いていかないで。迷惑だって分かってる。貴方は何も関係無いのに、巻き込んじゃってる。私は、絶対に追いかけられる。だって、私は駒だから、道具だから。だから、私と一緒に居る貴方も危ない目に遭う。でも、でも」
玉環がこちらを見た。
上半身を起こし、両手を床について、項垂れた。
「置いて、いかないで」
果竪はその姿に、だぶる姿を見た。
「置いて行かないよ」
「……え?」
「コンビ、なんでしょう?」
果竪は自分がトラブルメイカーである事を知っている。トラブルホイホイである事も、理解している。
たぶん、この玉環という少女は果竪にとってのトラブルだ。最大のトラブルそのものである。けれど、果竪はそれを回避する術は持っていても、それを選択する事は無かった。
そもそも、大戦時代はいつもの事だった。
色々なものに追われる少年や少女の手を引き、逃げ回る事は何度もあった。目的の物さえ無事なら、果竪がどうなっても良い--と言わんばかりに殺しにかかってきた者達も多かった。
たぶん、今回もそれだろう。
ただ、それが分かっていても、果竪は彼女を放り出す--という選択肢は持ち合わせていなかった。そんなもの、とうの昔に捨て去っていた。だから、もう今更なのだ。
関わりたくないと思った。
絶対にとんでもない事になるとも思った。
でも、その時点で無理にでも引き離せなかった時点で、果竪は覚悟を決めていたのだ。
「置いてかないよ、だから、泣かないで」
手を伸ばし、その頭に触れる。
優しく、頭の上を滑らすように、果竪はその頭を撫でた。
「……果竪」
がっくりと項垂れ執務机に突っ伏す萩波。机を挟んだ向かい側に居るのは、凪国国王お抱えの影集団が長--茨戯だった。
今日も完璧な女装は、その大輪の薔薇が咲き誇ったかの様な艶やかで華麗な美貌によく似合っていた。
どこからどう見ても『薔薇姫』と呼ばれる相応しい傾国の美姫だった。
ただ、影というからには、目立ってはいけない。目立つ影は三流だ。そんな影の定義からはむしろマイナスに爆走している様な美貌の麗神は、疲れたように溜息をついた。
どう見ても、絶対零度の声音で王妃を連れ戻せ--と命じた相手と同一神物とは思えない。いや、美貌は同一神物だし、相変わらず麗しかったが。
「私の何がいけなかったのでしょうか?」
「後ろから襲った事?」
「そんなの、毎度の事です」
「毎度もやってんのっ?!」
鬼だ、悪魔だ、鬼畜だ。
神の事は言えないけど、茨戯は主君の鬼畜っぷりに戦いた。
「だから『後宮』が必要だって言われるのよ、アンタ」
「『後宮』はあるでしょ」
「多くの妃が詰まった『後宮』だからね、ただの王妃の住まいの『後宮』じゃなくて」
「そんなもの、うちの上層部が入れば数合わせは十分でしょう」
「やめて! これ以上アタシ達の戸籍を傷つけるのっ」
過去、望んで居ない変態達との強制結婚をさせられた者達は多い。相手を殺して、無かった事に出来たのも、大戦という混乱の中だったからだ。
まあ、殺したって次から次へとそういう変態達は湧いて出てきたけれど。
「あと、誰も陛下を男としては見れないから」
「見られても困ります。好みじゃありませんから」
「そうね。陛下の好みは十二歳っていう誤情報が流れた結果、うちの上層部女性陣が十二歳とそれ以下の子どもを絶対に陛下に近づけなかったわよね」
「なんでそんな不名誉な噂が流れたのか」
「何でも何も」
「私は果竪しか興味がありませんので。例え、赤子だろうと幼児だろうと幼女だろうと、はたまた老婆だろうと神妻だろうと、果竪にしか興味ありません。男でもいけます」
果竪、不憫フラグ立った。
いや、不憫は昔から。
今度から不憫王妃と呼ぶべきか。
「……ねぇ」
「何ですか?」
「果竪を連れ戻す事は私も賛成、大賛成。で、果竪の療養場所として王宮の外れに離宮を建てましょう」
「何でですか。あと無駄遣いでしょ、それ」
「それか『後宮』に五百神ぐらい妃を入れて」
「何でですかっ」
何でも何も。
その位居ないと、果竪が可哀想だ。
もしや、本当に盛る夫に恐怖を覚えて果竪は家出したのではないだろうか?
「では、前からなら大丈夫ですね。前から行きます」
そういう問題じゃない。
「それか、子どもでも居れば違うかもしれませんね」
萩波の声が、冷たさを増した。
「そうですね、作りましょう。子ども」
「陛下」
「娘、絶対に娘が良いです。果竪にそっくりの。あ、果竪にそっくりなら息子でも良いです」
「陛下」
「でしょう? 茨戯」
「--そうね」
にこにこと笑う--でも、『壊れている』陛下が表面化している。それにつられるようにして、やはり『壊れている』自分が表に出てくる。
「ああ、早く、早く連れ戻さないと」
「……」
「また、奪われる」
煉国での事件から三ヶ月。
果竪は知らない。
その時に、何があったのか。
『今回は帰しましょう。今はまだ疑いに過ぎないもの。けれど、もし疑いが確信に変わったなら。また、その力を振るう事があるなら』
炎水家当主夫神は艶やかに、妖しく笑った。
『私達の下で保護するわ』
凪国王妃退位。
と同時に、萩波との離婚が決まる。
そしてその身柄は。
炎水家に収められる。
そこで、果竪は生きる事になるのだ。
やめて。
奪わないで。
果竪はそんなのじゃない。
果竪は、そんな『モノ』じゃないのだ。
帰して。
返して。
カエ--
「早く、連れ戻さないと」
萩波は「行け--」そう言うかのように、茨戯に向かって手を振る。それに応じるように、茨戯は静かにその場から姿を消した。