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後編

「よっと--」



 果竪は、聞き出した秘密の隠し通路を通る。

 髪の毛と瞳は染め粉で染めている。

 淡青色の瞳と髪の毛。

 眼鏡もしっかりとかけ、服装も地味な衣を身に纏っている。


 凪国王妃の顔を知る者達は限られている。


 この王宮では、凪国国王か上層部、はたまた--。


「……最後に、会いに行けば良かったなぁ」


 煉国の元寵姫達とその関係者達。


 彼等に、一言ぐらい挨拶しておけば良かった--。


 そこで果竪は笑った。

 そんな事をすればバレてしまう。

 いや、それか気付かないふりをしてくれるかもしれない。


 彼等にとって、煉国王女は特別な存在。


 だとすれば、彼等はきっと悩んでいるだろう。苦しんでいるだろう。


 果竪の存在が、彼等まで苦しめる。


 思わず足が止まり掛けたが、すぐに自分を叱咤して歩き出す。少しの躊躇が命取りになる。部屋に近づけさせないようにはしているけれど、いつバレるとも限らない。


 本当なら正面切って説得して、出て行くのが筋だ。

 でも、それは出来ない。


 彼等は優しいから。

 萩波は優しいから。

 上層部の皆は優しいから。


 だから、きっと止める。


 自分達の苦しみも悩みも押し殺して、果竪を引き留めようとするだろう。


 そんな事は、させられない。


 それから、果竪は歩き続けた。

 『奥宮』から出て、『後宮』の敷地内から出る。

 ここから出るのは--そう、あの侵入者に襲われた時が一番最近だ。


 ただ、それ以外にも果竪はここから出られる時があった。

 それは、元寵姫達とその関係者達に会う時だ。月に一回あれば良い方。

 それでも、彼等の元に行き、少しずつ元気になってくれるのが嬉しかった。いまだ怯え、恐怖に苦しむ者達が居れば、何とかしたいと思った。


 けど、果竪に出来る事なんて、それほど多くは無かった。


 歌--。


 そう、果竪は良く歌っていた。

 子守歌から始まり、様々な歌を歌った。


 歌う事は好きだった。

 全然上手く無くて、むしろ下手くそだったけれど。


 怯えて泣きじゃくる元寵姫に--神質も居らず、一神怯える元寵姫達の側で歌い続けた。



 もう、それをする事も無い。



 果竪は、眩しい日差しに目を細めた。



「本当に、絶好の--日和だね」



 『後宮』からは問題無く出られた。問題は、ここから先だ。


「なんで……こんなに広いのよ」


 果竪は頭に叩きこんだ地図を引っ張り出す。


 内宮だけでも、かなりの距離がある。それでも、交通網は編み目のように広がっており、それを利用すれば何とかなるだろう。

 王宮内の至る所にある、乗合い馬車の停留所。官吏や武官達もよく使用している。下女や上女、侍女達に女官達も使っていた。

 果竪は、なるべく上層部やそれに近しい者達が居ない場所を探した。

 ある程度の予測はついているから、それほど時間はかからなかった。

 それに、運良く馬車にはすぐに乗れた。


 馬車に乗るのに料金はかからない。

 果竪は、いかにも届け物がある様な風を装い、風呂敷に包んだ荷物を握りしめる。


 身に纏っている地味な衣。

 それは、下女の纏う衣装だった。


 以前、外で泥遊びをした時に、汚れても良いように--と下女頭から貰ったものだった。それを身に纏う。もちろん、着替えは別にしっかりと風呂敷の中に入れていた。


 馬車に他の官吏達が乗り込んでくる。


 馬車は幾つかの停留所を過ぎ、内宮の先にある外宮の入り口まで進んだ。


 因みに、下女は王宮内に勤める女性達の中でも一番下の地位に位置する。本来であれば、中枢に近い内宮には殆ど居らず、むしろ外に近い外宮に常在している。しかし、与えられる仕事によっては、内宮、外宮を自由に行き来出来る存在でもあり、だから下女が内宮の乗合い馬車の中に居てもなんら不思議ではなかった。


 果竪はそのまま、外宮に辿り着くと、そこからまた乗合い馬車に乗る。


 また沢山の官吏達が乗り込み、そして降りていく。

 後はもう時間との闘いだった。


 既に、果竪が自室を出てから結構な時間が過ぎている。

 本当に、本当にこの王宮は広すぎる。


 それでも、馬車で移動出来る分、かなり距離を稼ぐ事は出来た。


 そうして、三時間かけてようやく城門付近に辿り着いた果竪はホッと息を吐き--そしてここからが本番だと思った。


 正門は、一番交通量、行き交う神の量が多い。

 しかし、それには波がある。


 凪国の城門は、他と比べると格段に警備が厳しいが、それでもどうしても隙というものが出来る。


 特に、城門を守る双子門番が居なければ--。

 上層部に属する、双子門番。

 右近と左近。


 彼等が居ない事は、事前に聞いて知っていた。

 彼等は定期的に、正門以外の門も巡回している。


 今日は、彼等は別の門を守っている筈だ。


 果竪は、近くにあった荷馬車の後ろに潜り込む。

 プロともなれば、荷台の重さによる車輪の音の変化にも敏感だと言う。だから、もうこれは一種の賭けだった。



 結果から言うと--果竪は賭けに勝った。



 荷台の主は風邪を引いていたらしく、いつもより判断力が落ちていた。いや、五感自体が落ちていた。だから、果竪が乗った重さの分も、気のせいという事になったようだ。


 そうして、荷台置き場に置かれた荷馬車から果竪は静かに外に出る。


 そこは、思いの外王宮から離れた場所にある店舗の倉庫だった。


 既に日は暮れかけていた。

 果竪は、すぐさま行動を開始した。


「まずは、王都の外--」


 王都の外に出る。

 ここから、王都の外まで直線にして、三十㎞ほどある。

 とにかく、馬車やら何やらを駆使して、王都の入り口に辿り着かなければ。


「その前に」


 果竪は、その倉庫の中で着替える。

 用意していたのは、やはり地味な衣だが、街の中でも浮かない衣装だった。それはどちらかと言うと、少年が身につける様な動きやすい衣だった。

 そして果竪は、用意していた短刀で。


 腰近くまで伸びた髪を、首筋で切り捨てた。



 もう、女の果竪は居ない。

 ここに居るのは、男の果竪だ。


 だから、男物を身につける。


「よし--」


 果竪は、切り捨てた髪の毛を袋へと入れる。ここら辺で捨てたいが、それだと周りに迷惑だろう。だから、王都の外に出たら捨てるつもりだ。


 それから果竪は、王都の中を走る馬車を乗り継いでいく。

 そうして、ようやく王都の外に辿り着いた時には、既に門が閉まる時間ぎりぎりの時刻だった。思いの他、乗り継ぎに時間がかかってしまったが、何とか外に出られそうだ。


 ただ、この時間に外に--という事で、門を守る兵士達には心配されたが。


「どこまで行くんだ?」


 果竪は、予め用意していた街の名前を告げる。それは、ここからそう遠くは無い街だった。凪国王都の近隣の村や町に、少しずつ街道と言う名の道路が整備されていっている。そこを行き来する乗合い馬車の数はそれほど多くないが、その街までの馬車はまだある。

 門の外に、馬車は止まっていた。


 王都の門は閉まるが、村や街によっては門を閉めない所もあり、果竪が向かう先もその一つだった。


「気をつけていくんだぞ」



 そう言われ、果竪は頭を下げて馬車へと乗り込んだ。中には、王都で買い物をした帰りの神々も乗っていた。


 果竪は馬車に乗り込み、その揺れに次第に眠くなっていく。

 気付いた時には、果竪は目的地についていた。


 時間にして、一時間弱。

 果竪は、その街に辿り着き--そして、てくてくと歩いてその街を横切り、外れにある所有者の居ない小屋で一泊する事にした。


 明日の朝は早い。

 日の出前に、出立する。



「荷物の整理をしようっと」



 一応、必要なものしか入れてきては居ない。

 それでも、結構な量にはなっている。


 果竪は、お金の入った袋を見る。

 結構な札束がそこに入っていた。

 因みに、できる限り札束にしたのは、硬貨だと音でバレるからだ。お金の音をさせていれば、余計な輩まで近づけてしまう。


 金銭類は、今の所これで十分だろう。いや、十分過ぎるかもしれない。 

 他にも、果竪は幾つかの装飾品--宝石の類いを持ってきている。高価なのを幾つかと、それほど値の張らないものも幾つか。

 いざとなったら、これらを換金するつもりだった。


 他に、着替えの衣服が一組に、下着類が数枚。外套が一枚。

 洗面道具と簡易救急セット。

 灯を灯す為のランタンと、防水用のマッチ箱を数箱。

 そして護身用の、短刀。


 それを、リュックサックに押し込めている。

 リュックサックは頑丈な作りにしたし、大きめなものを作ったのでそれらは綺麗に収納出来ていた。


 他にも持っていきたい物は沢山あったが、あまり大荷物になると目につきやすいので、泣く泣く我慢した。


 まあ、道中で購入すれば良いだろうし。


 もちろん、お金は分散して入れている。首から提げた小物入れにも、しっかりとお金を入れていた。


 これで、荷物を奪われても、全てを奪われた--という風にはならないだろう。まあ、全てを奪われるつもりも無いけれど。


 リュックサックはくたびれた感じ仕様になっているから、一見すればお金を持っている様には見えない。


 果竪は、王都で購入した飲み物と非常食をとると、すぐに眠りについた。どこでも眠れるというのは、本当に重宝するべきものだ。固い土の上だって、果竪はすやすやと眠れた。


「少しでも、遠くに、行かないと」


 まだ、運命は果竪に味方した。


 果竪は夜も空けていない内に起きると、急いで身支度を調えて小屋の外へと出た。そして、書き写した地図を片手に、そこから更に遠く離れた街を目指したのだった。




「流石に、キツイなぁ」


 余り神目につかないように、整備された道でない道を通る。

 といっても、山中とかではない。

 ただ、裏道と呼ばれるような所を通っていた。


 軍に居た時は、こういう道を通るのはしょっちゅうだった。

 果竪はここら辺には来た事が無いけれど、それでも軍時代の経験から方角を割り出してはしっかりと道を進んでいく。


 方位磁石も持ってきていた。


「もう少し進んだら、街に着くね」

 最初に小屋のあった街から十数㎞の所に小さな村があった。そこをそのまま通過し、更に二十数㎞先の街を目指して歩いていた。


 凪国王都から、少しでも離れないと。


 果竪は、隣国に行くつもりだった。


 最初は国内--という考えもあったけれど、やはり国内では見つかる恐れがある。だから、違う国に行こうと思った。


 ただ、凪国は広い。

 隣国までは、王都から数千㎞はあるのだ。

 そこまで到達するには、まだまだかかる。

 それこそ……何日も、何ヶ月も。


 旅費は節約しなければ。

 でないと、無一文となってしまう。


 高価な宝石のついた装飾品を全て売り払えば何とかなるかもしれないけれど、それは最終手段である。


 幸いな事に、果竪は節約ややりくりが上手かった。本神は謙遜するが、本気で上手い。


 だから、きっと何事もなければ十分だっただろう。何事もなければ。


 果竪は更に歩き続ける。途中、親切な行商が荷馬車に乗せてくれたりもしたけど、果竪は途中でそれを降りた。行商の者達は気の良い者達だったが、余り長く世間話をする事でこちらがボロを出すかもしれない。


 彼等は腐っても商神。商神は情報戦のエキスパートだ。どこから自分の素性がバレるか分からない今、できる限り他者との交流は最小限にしないと。



 それから、夕陽の落ちる頃に--果竪は辿り着いた。

 目的地に。


「……今日は、ここに泊まろう」


 村はずれにある、小さな小屋まで行く。そこは、最初に泊まった小屋と同じように住まう者を無くした空き家だった。所々壊れているが、雨風を凌ぐには十分過ぎる程だ。


 果竪は今日の寝床を確保すると、食事をとる為に街の中心へと向かう。

 この近辺で最も大きな街は、夜の闇が迫っても活気に賑わっていた。


「さてと、何を食べようかなぁ」


 初日はできる限り距離をとるため、満足な食事をとらなかった。けれど、二日目もそれでは倒れてしまう。食べられる時に食べる。

 それが鉄則である。


 あと、お風呂にも入りたい。


 この街には、銭湯があった筈。

 比較的街の治安も良いと聞いているから、身体を休めるぐらいにはゆっくりと出来るだろう。


 果竪は、まず銭湯へと向かい、旅の汗を流した。湯船に浸かると、余りの気持ち良さに眠ってましいそうになったが、明日はまた夜が明ける前に出発しなければならないので、涙をのんで上がる。

 そして、着替えを行うと、今まで来ていた服を洗濯する。


 まだ大々的に使用されていないか、ここには『乾燥機』というものがあった。人間界に居た神々がもたらした道具である。


 大戦時代、滅び行く人間界から引き上げてきた神々は、人間界の知識や技術を持つ者達が多く、人に交じって生活していた神に至っては、実際に技術者として過ごしていた者達も居る。


 そういった者達によって、大戦終結後から続く神力使用制限によって殆ど使用出来なくなった神力の代わりに、『科学技術』によって生み出された『機械』が使用され始めたのだ。

 まだまだ実験段階だけれど、場所によっては『乗り物』なども登場している。それらが広く広まれば、きっと神々の世界は大きく発展するだろう。


 『神力』と『科学』の調和。


 今後、各国が競って研究していく分野である。


 とはいえ、今の果竪にとっては『乾燥機』の恩恵の方が大事である。お金を払えば誰でも使えるそれは、非常に重宝されていた。順番を待って、果竪はそれを使用する。

 そしてほかほかになった着替えをリュックに仕舞い込み、果竪は食事をしに飲食店街へと繰り出した。





 その頃--凪国王宮では。


 明燐は、果竪の居る部屋の扉を叩いていた。

 一回、二回、三回。


 しかし、果竪は出ない。


 いつもなら、すぐに出てくると言うのに。


「どうしたのかしら?」


 明燐は何かがひっかかり、扉を開けようとした。


「侍女長様っ」


 配下の侍女に呼ばれ、明燐は扉から視線をずらす。


「どうしましたの?」

「申し訳ありません、不測の事態で」


 不測の事態。

 それはもう何度目か。


 けれど、優秀な彼女が自分を呼ぶとなれば、かなり面倒な事だろう。


「仕方ありませんわね」

「申し訳ありませんっ」


 侍女の泣きそうな様子に小さく息を吐き、彼女の頭を優しく撫でる。そして、明燐は優雅な足取りで颯爽とその場を立ち去ったのだった。






 果竪は、一件の定食屋で食事をとっていた。

 定食屋に辿り着くやいなや、雨が降り始め、今では土砂降りとなっていた。


「おい、なんか先の村との間の道、土砂崩れがあったらしい」

「は? あそこが? やばいな、あそこってここから向こうに行く為の唯一の道だろう? じゃあ、王都からの行商とかも暫く来れないって事だろ」

「まあ、すぐに王宮から道路整備の職神達が派遣されてくるだろうけど--数日は完全に通行止めだな」

「仕方ないな--じゃないな。なら、煉国の一団はどうするんだ?」



 煉国?



 果竪は、ハッとして近くのテーブルで話をする男達を見た。職神風の彼等は、食事を食べながら噂話に興じている。


「もちろん、通れないだろう」

「まずいんじゃないか? だって、煉国王女を連れているんだろう? 凪国国王陛下の『後宮』入りする予定の」


 果竪は、無言で箸を握りしめた。


「だって話だな。けど、土砂崩れじゃどうもならん。まあ、煉国の一団にその土砂崩れをどうにかする力があれば良いんだろうけど」

「いや、無理だろ」

「だよな。まあ、とっととこの街を通り過ぎていればまだ良かったと思うけどな」

「元々その予定だったんだろう? それが、朝に来て今日一日急遽滞在する予定になったとか」

「煉国王女様の体調が良くないらしい。煉国の一団からすれば大事だよな? 大事な『後宮』入りする姫君だってのに」


 男が箸をくるくると回しながら言う。


「凪国と煉国を繋ぐ架け橋だっけ? まあ、煉国には色々と煮え湯を飲まされたけど、民達は被害者だしな。あと、その煉国の姫も、虐げられていた民達を助けようとして塔に幽閉されていたとか」

「らしいな。煉国の唯一の良心、唯一の光とか言われているらしい。もし、凪国が煉国に攻め込まなければ殺されていたかもって話もあるらしいぞ?」

「最悪だな。しかも、実の父と兄にだよな?」

「そんな話、どこにでもあるだろ」


 男の言葉に、向かいでモシャモシャと料理を食べていた男が顔を顰めた。


「まあ、その煉国の王女はとても聡明で美しく、凪国国王陛下の隣に立っても全く見劣らない才色兼備だとかって話だぞ」

「正しく、煉国の手中の玉--って奴か。それにしては、塔に幽閉されてたらしいけど」

「けど、由緒正しく高貴で血筋もはっきりとした姫君の上、聡明で美しいとなれば儲けもんじゃねぇ?」

「儲けもんって、お前なぁ--ってか、うちの陛下には既に正妃様が居るんだけど」


 果竪は、その先を聞こうとして知らず知らずのうちに息を止めていた。


「ああ、確かに正妃は居るけどさ」


 男がクスクスと笑う。


「どう考えても、田舎出身で引きこもりの王妃より、由緒正しい煉国の王女様の方が王妃らしくないか? というか、『後宮』入りした時点でそうなんじゃねぇ?」

「は?」

「だから、『後宮』入りと同時に、現在の王妃が廃位されて、その煉国の王女様が正妃になられるんじゃないか? って事だよ」

「糟糠の妻を捨てるってか?」

「馬鹿! どう考えても、今の王妃様は糟糠の妻じゃないだろ? 田舎出身で後見も無く、引きこもりで、しかも無能で役立たずっていう噂もあるんだぞ?」

「けど、噂だろ?」

「どうだろうな? というか、これほど堂々と流れていて果たして噂なのか?」


 なあ?と周りの男達に男が問いかければ、ガハガハと笑い声が響く。


「しかも、煉国王女は素晴らしい体つきだって言う話だし」

「お前、それどこから」

「なんか、滞在場所に入る煉国王女を垣間見た奴が言ってた。うちの王妃様は寸胴体型らしいから、どう考えても負けだろ。あれだ、大根体型だ、大根体型」


 果竪は思った。


 あれ、もしかしてこの神、凄い良い神?


 愛する大根の様な姿形と言われ、果竪はちょっとときめいた。果竪の感性は相変わらず何処かおかしかった。


 その後、男達が食べ終わり、席を退出し一気に神気が無くなった。

 そんな中、果竪は温かいお茶を飲みながら考えていた。



 余り長居しないようにしよう--。



 煉国の一団が此処に滞在している。果竪の居る、この街に。

 しかも、土砂崩れで暫く此処に滞在すると言う。


 ならば、果竪は少しでも早く、この街から離れた方が良いだろう。


 ただ、果竪の予測では、煉国の一団と果竪が鉢合わせする予定は無かった。むしろ、この街はとっくに通り過ぎていた筈だった。

 むしろそれもあって、果竪は裏道も通っていたのだ。


 あの努力は何だったのか?


 果竪は泣きたくなった。



「雨、早く上がれば良いな」



 あいにく、雨はまだまだ土砂降りで、果竪は途中で雨具を購入して今日の寝床の小屋へと向かった。ついでに、着替えをもう一組購入した。やはり着替えは幾つかあった方が良いし。




「……」


 小屋には先客が居た。


 というか、なんだ、これ。



 美しい衣を身に纏った、美しい女性。

 緋色の長い髪が白い肌によく映える。


 しかも、雨に濡れたのか?

 全身ずぶ濡れとなった身体は、酷く艶かしかった。

 濡れた衣服は身体の曲線をはっきりと表し、蠱惑的な体つきを見せつけている。肌に張り付いた長い緋色の髪が何とも言えない。


 そして、閉じられた瞼とすっきりと整った鼻梁、美しい輪郭の小顔。

 赤く濡れた唇は、まるで見る者を誘うように艶やかだった。


 思わず襲いかかりたくなる--極上の蕩けるような美少女が床に倒れていた。



「……」



 果竪はなんだか目眩を覚えた。

 何だろう?なんだか、とっても嫌な感じがする。


 いや、この少女にではない。

 この少女に関わる、何かが。


「う……ん……」

「あ、大丈夫?!」


 それでも条件反射的に、小さな声を上げる美少女に果竪は反応してしまった。


 少女が、うっすらと瞼を開いていく。

 そこには、美しい紅玉の様な宝石があった。


 綺麗--


 思わず、そう言葉を紡ごうとした果竪は。



「誰っ?!」



 美少女にマウントポジションをとられた。というか、のしかかられた。


 あれ?なんでこんなに身軽なの?


「追っ手?! っ! ここまで来て捕まってたまるものですかっ」


 そう苦々しげに言う美少女は、声すらも美しかった。



 そんな中、少女はランタンの光に照らされた果竪の髪と瞳の色に気付いた。それは、自国の者には珍しい--いや、この国には多い髪と瞳の色だ。


「……貴方、誰?」


 果竪はとりあえずパタパタと手足をばたつかせた。


「だから、誰--あ」


 彼女は、果竪の喉元を押さえつけていた。

 言葉が出ないどころか、呼吸すらやばい。


 段々と意識が遠のきかける中、美少女は慌てて果竪を離した。


「ご、ごめんなさいっ!」

「げほっ! ごほっ!」


 危うく、完全に落される所だったが、何とか果竪は意識を失わずに済んだ。


「と、とり、あえず」


 果竪は大きく息を吸いながら、何とか言葉を口にした。


「私、ただ、の旅行、者で、す、よ」

「……旅行者?」

「お金、の節、約で、ここ使わせて、もらってるだけで」


 そう言った果竪に、美少女はマジマジと果竪を見る。


「……た、確かに無害そうな女の子みたいだけど」

「違います、男の子です」


 果竪はそこをしっかりと訂正した。

 銭湯だって、男湯に入ったのだ。もう何も恐くない。


「お、男の子っ?!」

「どこからどう見ても」


 別に、果竪は身体は男の子になっても、見た目的にはなんら変わりなかった。体付きだって、十歳前後の少年の様な感じだった。


「ちゃんと十四歳の男の子ですっ」


 何でそこで年まで言ってしまったのだろうか?


 相手が驚愕した様に目を見開いた。


「嘘っ?! 私と同い年っ?!」


 そんなの有り得ない--と叫ぶ相手に、果竪もまた心の中で叫んだ。


 明燐といい、他の子といい--どうしてこう発育が良すぎるのよっ!!


 果竪は自分が男の子になったのは、運命だと思った。天の思し召しだと思った。むしろ、男なら胸がぺったんこでも、なんのコンプレックスも抱かない。


 侵入者達に感謝さえした。


 男としての第二の神生。

 それは、とても穏やかなものになるかもしれない。


 あ、でも、生殖能力とかはあるんだろうか?



「あ、その、ごめんなさい。追っ手かと思って」

「追っ手?」


 果竪は嫌な予感がしたけど、聞かずにはいられなかった。あと、そういう素性うんぬんは隠し通すのがベストだと思う。


 果竪も世間知らずだけど、そういう所はしっかりとしていた。

 だから果竪は聞かないでおこう思った。聞かないでスルーしようかと。


 けれど……聞いてしまった。


 だって、この凪国では珍しい緋色の髪の毛と紅玉の瞳。これで浅黒い肌ならもう間違いないが--とりあえず、白い肌。

 ただ、その髪と瞳の色で、なおかつそんな美しい衣を身に纏っているなんて。


 果竪には思えなかった。

 これが、単純にこの街に住んでいる良家の子女だとは。


 いや、凪国にだって、炎系の神々は居る。炎の力を扱える神は居るのだ--肌の色関係無しに。朱詩がその典型例だし。


 けれど……けれど--。


 果竪のこういう時の嫌な予感と言うのは、たいてい当たる。


「家出? なら、この雨だしご家族も心配していると思う。早く帰った方が」

「冗談じゃありません! あんな所に帰るなんてっ! というか、私に家族なんて居ませんからっ」


 そう叫んだ美少女は、良い具合に頭に血が上ってくれていた。


「それに、せっかく逃げ出したのに帰るなんて出来ませんっ!」

「逃げ出した?」

「そうです! 具合悪い振りをして逃げ出す機会を窺って、で、今回土砂崩れが起きて騒ぎになって監視が緩んだから、その隙を突いてようやく抜け出してきたんですっ」

「そう--それは大変だったね、煉国王女様」

「本当に大変でしたよ! だから絶対に連れ戻されてなるもの--え?」


 煉国王女が、こちらを凝視する。


「街に煉国の一団が居るって噂になってたよ。で、煉国王女様が体調を崩されてるって。煉国王女様の容姿は詳しくは知らなかったけど」


 そこまで聞いていれば一発だっただろう。

 けれど、煉国の一団も大切な凪国国王への献上品たる煉国王女を周囲の目に触れさせないようにしていた筈だ。

 だから、髪と瞳の色までは伝わってこなかった。


 体付きの方が話題に上ったのは、きっと彼女がヴェールか何かで顔を隠していたからに違いない。


 ヴェール経験者である果竪の読みは当たっていた。けれど、今は花丸を贈る者は居ない。


「まあ、私には関係ないけど」


 果竪は関わり合いになりたくなかった。それは、自分の夫の新しい妻になる彼女への嫉妬--と言うよりは、なんだかとっても面倒事に巻き込まれる気がしたのだ。

 果竪はお神好しだけど、だからといって何でもかんでも首を突っ込むつもりは無い。


 無能で役立たずだけど、自分の目的は見失う事は無い。


 今の果竪は、少しでも王宮から遠くに逃げる。そして、隣国に行くのだ。そしてほとぼりが冷めるまで、あちこちを放浪する。


 はっきりいって、煉国王女に関わったが最後、果竪は必死に逃げてきた場所へと逆に舞い戻る恐れさえあった。


「……貴方、旅行者だって言ったわよね?」

「え? うん」


 後に果竪は後悔した。

 何でそこで馬鹿正直に頷いてしまったのかと。


 煉国王女は、ガシッと果竪の両手を掴んだ。


「なら、きっと旅慣れてるよねっ?! お願い、私を連れて逃げてっ!」

「はぁっ?!」

「お願い! 煉国には戻れないけど、凪国に、このまま王宮に連れていかれたら大変な事になるのっ!」

「いや、あの」


 むしろ諸手をあげて歓迎されると思う。大変な事になるのは、王妃の座を奪われる現王妃ぐらいだろう。


「協力してくれないのっ?!」

「いや、あの、だから」

「もし協力してくれないなら」


 煉国王女は、とても神の悪い顔を浮かべた。

 凪国上層部が良く浮かべる笑みと似ている事に気付いた果竪は、とっても嫌な予感がした。


「貴方に襲われたって言うからっ!」

「はぁっ?!」

「貴方に穢されたって! 『後宮』入りする予定の王女を襲ったなんてなったら、貴方、死ぬわよっ?!」


 果竪は愕然とした。

 そして思った。


 どこが、優しい王女様だ。

 凪国上層部の女性陣並に厄介な王女様ではないか。


「協力してくれるわよねっ?!」


 少なくとも、今の果竪は男。

 性別的にも有り得てしまう今の状況では、下手すれば首が飛ぶ。


 夫や上層部との再会が、処刑場なんて笑えない。


「け、けど、私、行くとこが」

「どこっ?!」

「り、隣国」


 そこで国の名前を言ってしまったのが運の尽きだった。煉国とか言えば良かった。


「決まりねっ!」

「決ま、えぇっ?!」


 確かに、果竪の目的地は煉国からも離れるだろう。そして、他国に逃げ込んでしまえば、そう簡単に追っ手は追いかけられない。


「宜しくね! あ、私の名は」


 名前を名乗られたら終わりだ。

 もうとっくの昔に逃げ場は塞がれているが、果竪は両手で耳を塞ごうとした。


 けれど、無駄だった。


「私の名は、玉環(ぎょくかん)。煉 玉環(れんぎょくかん)よ」


 彼女の見た目は、どう見ても深窓の姫君。聖域に住まう巫女姫の様に穢れ無き美貌だ。


 だと言うのに……なんだ、この勢い激しい系は。


「名前は?」

「……」


 名前を名乗ったら。


「よし、貴方の名前は私の一字をとって玉」

「あ、果桜(かおう)でいいです」


 その名は、果竪が息子だったら母がつけたいと思っていた名だった。というか、男の子に桜の字--女の子みたいだと周囲に笑われたと母は頬を膨らませて怒っていた。


 果竪と母の大切な思い出。


「じゃあ、早速出発!」

「いやいや、この雨の中は危険だって」


 母との思い出に浸りきる暇は、残念ながら果竪には無かった。



 そうして、果竪と玉環の珍道中が始まる。





 果竪が、王宮を去って二日目の昼の事だ。



 とうとう、バレた。



「果……竪?」


 

 どんなに大変な仕事も、果竪の顔を見れば癒やされる。果竪は、自分の価値をしっかりと把握していなかった事が、彼女にとっての敗因だった。



 明燐は、誰も居ない部屋に違和感を覚えた。

 その違和感は、どんどん膨らんでいった。


 果竪の名前を呼ぶ。


 返事が返ってくる事は無かった。





「煉国王女を本当に『後宮』に入れるのか?」

「不満ですか?」


 執務室でいつもの様に仕事をしていた萩波は、書類を持ってきた上層部の一神の言葉に書類から顔を上げて微笑んだ。


「別に--普通の事だ。敗戦国の王族が、勝利した国の王の『後宮』に入る事も、政略結婚により二国間の架け橋になる事も--」

「そうですね。ですから、煉国の王女には入って貰いますよ。私の『後宮』に」

「そうだな--煉国王女を、守る為の唯一の手段だしな」

「ええ。くれると言うのだから貰いますよ。ちゃ~あんとね」


 餌として利用するなら、しっかりと食らいついてやろう。ただ、その餌を持つ手ごと喰らわれたとしても、それはこちらの責任では無い。


「恩は返します。例え、それが彼女の意図した事でなかったとしても」

「だな」


 彼女はそれを意図したわけではない。

 でも、それが結果として自分達の愛する少女を守ってくれたならば、その恩を返すまで。それに、元寵姫達は、彼女の生存を喜んでいる。

 あの地獄の日々の中、元寵姫達にとっても、彼女は一つの奇跡であり、光、そして優しい思い出だ。


 煉国の前国王と最後の国王は共に馬鹿だ。上層部も愚か物ども揃い。

 けれど、彼女を生かした事だけは評価しても良い。


「まあ、どれだけの付き合いになるかは分かりませんが」

「果竪には何も言わないままにするのか?」

「今の所は、ね。それに彼女はいつか出て行く神です。下手に仲良くなるのも--ね」


 そう言って微笑む萩波に、やれやれとその上層部は溜息をつく。


「そういえば、果竪を後ろから襲って大喧嘩したんだってな」

「そ、それは! 果竪が私を誘って」

「ないない」

「上層部はどこかで打ち合わせでもしてるんですか?」


 何故、皆こうも同じ言葉を吐くのか。


「それより、さっさと書類を確認してくれ」

「王に対する言葉とは思えませんね」

「大丈夫だ、尊敬してる、敬愛してる、心酔してる。そしてさっさと仕事を終わらせて果竪にお茶を入れてもらう」

「お待ちなさい」


 遠くの地に派遣されていた彼は、にっこりと笑って萩波をせかす。萩波は意地でものんびり仕事わしてやろうと思った。けれど、そうすると自分も果竪に会えない。萩波は悩みに悩み抜いた。



 そんな中、その報せは届いた。




 報せを受けた、萩波は果竪の部屋の入り口に佇んでいた。


「今、侍女達と警備の者達が探しております」


 ショックの余り、錯乱状態の明燐の代わりに彼女の一の配下たる侍女が説明する。


「……果竪は、いつから居ないのですか?」

「……それ、は」


 静かすぎる王が恐かった。

 けれど、伝えなければならない。


「様子から……その、昨日かその前か……」


 料理された様子のない食材。

 食材の数は数えていた。

 それが何も変わっていない。


 となると、食材が搬入されてから一度も食事を作ることなく、果竪はこの部屋から居なくなったという事になる。


「……果竪は」

「……」

「攫われたのでしょうか?」


 その質問に、侍女はゆっくりと首を横に振る。


 もし攫われたとなれば、少なからず部屋が荒らされている筈だ。もしかしたら、部屋を荒らす暇も無く連れ去るという場合もあるが……それはまず不可能だ。


 となれば--。


 萩波は、その考えを打ち消した。


 何故?


 分からない。


 その考えはあっても、萩波は認められなかった。


 だって、彼は分からなかった。


 どうして?


 こんなに、大切にしているのに。


 幼い果竪が失ったもの。

 その代わりに、沢山の物で彼女を包み込んだ。


 彼女が飢えないように。

 彼女が乾かないように。

 住む家が無いと泣かないように。

 怯えないように、怖がらないように、泣かないように。



 だって、自分は彼女の為に--たのに



「へ、陛下っ!」


 無言のまま立ち去ろうとした萩波を、侍女が慌てて制止しようとする。遅れて駆けつけた他の上層部達も居た。


「萩波っ!」


 朱詩が叫ぶ。

 明睡も顔を青ざめさせながら、萩波に縋り付いていた。


「萩波、いや、陛下! 落ち着け、落ち着いてくれっ! この国を、壊す気かっ?! 果竪もどこかに居るかもしれないんだぞっ」

「……」


 果竪--その名が、萩波をつなぎ止める。


「陛下」

「果竪……」

「命じてくれ」

「……」

「命じてくれ。俺達が代わりに行く。自由に動く事の出来ない陛下の代わりに、俺達が」

「……貴方達だって、自由には動けないじゃないですか……私を、支える為に」

「俺達にだって手はある。それに、やり方によっては、行ける者達だって居る」

「……」


 明睡は、まっすぐな眼差しで萩波を見つめた。


「命令を、陛下」

「……しなさい」


 萩波は、冷たい氷のような眼差しのまま命じた。


「私の妻を、王妃を必ず見つけ出しなさい。傷一つ付けずに、私の所に、連れ戻しなさいっ!!」



 凪国国王の命令に、その場に居た上層部は同時に傅いた。



「御意、我らが陛下」



 明睡の瞳からも光が消えた。





「玉環姫って、旅の経験は」

「ないわ」


 だろうね~と果竪は溜息をついた。


「旅は道連れ世は情けって言うでしょう?」

「うん、そういう所は知ってるんだね」



 道連れ--確かに、道連れだ。

 だが、それは後に果竪にとっては地獄の様な旅路への道連れだった。



 煉国の一団。

 凪国王宮からの追っ手。



 そうして、煉国王女と凪国王妃を巡って、一年という長期に渡る壮大な追いかけっこが始まった。


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