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後編2

 大戦時代、各地で決起し出来上がった軍は、小さな小隊レベルから大軍と呼ばれるものまであった。そして、大戦後に興った国の大半は、各軍のトップを王に、そしてその側近達、または古参の面々を上層部として成り立った。


 凪国もそうだ。

 炎水界では、一、二を争う大国。


 萩波率いる軍は大軍の一つに数えられ、軍を構成する神数は、兵士達の家族も含めると膨大な数となった。それに伴い、決起した当初から数年の間に軍に所属した古参の数−−すなわち、上層部と呼ばれる者達の数は、他と比べて多い。

 とはいえ、水の列強五ヵ国と比べればそれ程差があるわけではない。

 そして、その数でも深刻な神材不足が常であり、それこそ休み無く彼らは仕事をしている。休日?何それ美味しいの?レベルだ。


 だから、本当は居なくなった王妃捜索などしている暇など無いのが現状だが--。



 それは、彼らでは無い者達が彼らだった場合による。


 凪国の上層部はその一神一神が、他国の上層部と比べて格段にレベルが違うと言われている。それこそ、他の水の列強五ヵ国の上層部の五神分が凪国上層部一神分にようやく匹敵すると言われている。更にその下の水の列強十ヵ国の六位から十位の国々になると、十神分で凪国上層部の一神と言われていた。


 他の水の列強十か国の上層部達が優秀で無いとは誰も言わないだろう。むしろ、優秀過ぎた。ただ、凪国の面々はそれを更に、遙か上に超えていた。


 基礎体力も、頭の回転の速さや賢さも、様々な能力と技術も。


 そして、経験も--。



 若い者達が多いのはどこも余り代わらないが、それでも凪国の上層部は王共々、他国より群を抜いていた。


 ただ、それ以上に恐ろしいのは



 彼らは決して慢心しない事だ。

 奢る事なく、常に冷静に自分達の実力を見ている。


 そんな彼らが、王妃を追いかけるのに上層部を割くと判断し実行へと移したのなら。

 例え、周囲からは神材不足の状態で自殺行為だ、国が倒れる--と恐怖したとしても、決してそうはならないのだろう。



「今回、捜索に出た上層部は何神だったか?」

「八名だよ」

「ああ、そうか」


 移動しながら訪ねる明睡の質問に、朱詩が答える。彼らは、建物の屋根から屋根へと移動していた。見事な跳躍と素速い移動スピード、また迷いの無い動きは、そこが不安定な屋根の上とは思えないもの程見事で、そして美しかった。

 しかし、今、それをマジマジと見られる者は居ない。


 彼らは余りにも早すぎた。


「八名、か」


 明睡はその神数を咀嚼する様にして口にした。


 八名--それは、上層部の総神数からすれば、多くはない--どころか、ほんの、ごく一部である。けれど、国の仕事が回らなくするには十分な数だった--全体的な仕事量と現在の上層部の対比率からすれば。


「オルフェとカイムも出てるよ」

「そういえばそうだったな」


 自分達と共に凪国王宮から出てきた者は三名。

 残り五名は、王都近辺から飛んできた。


「もっと捜索に出せれば良いんだけどね」


 実質、この八名だけが果竪の捜索神数である。それ以外は居ない。


「無理だ、これでもギリギリだからな」


 上層部の仕事量は既に限界許容量を遙かに上回っている。

 ただ、何もまともに働けるのは上層部だけでは無い。


 上層部にはそれぞれお気に入りの子飼いもとい配下と呼ばれる者達が居る。彼らは、軍時代からそれぞれの上層部に付き従い、上層部は彼らに目をかけ直接鍛えた。

 そして彼らもまた、彼らが目をかけた者達を自ら鍛える--という、いわばピラミッド上の関係が成り立っていた。


 萩波の軍は優秀な方だった。

 大軍ではあったが、大半は使いものになる者達だった。


 ただ、やる事があまりにも多すぎた。

 新たに再構築された世界は、物資が何も無かったわけでは無い。利用出来る物もある程度はあった。しかし、国を建国するには物資があるだけでも、神が居るだけでもダメだった。


 また内だけではなく、外にも目を配らなければならなかった。その重要性を教えてくれたのは、あの亡き某国--あの、馬鹿国家。


 明睡は溜息をついた。


 今、使える神材を増やす為に教育を施し、経験を積ませてはいる。しかし、それだってすぐに出来る事では無い。その教育を膨大な仕事の片手間に行っているせいで、余計に上層部とその側近達の負担は大きい。


 しかし、育てなければ花は咲かない。

 いや、正確には育つ為の最低限の環境にしなければ。


 どんな場所でも植物は育つ。むしろ、そんな植物こそ素晴らしいとかいう言葉もあるが、それさえも出来ない環境だったのだ--今までは。


 だから、せめて土作りだけでも行って置かないと、全部枯れる。


「全く……この大変な時に」

「怒ってる?」

「まあな--ただ、どちらかと言うと自分にだ」


 朱詩はそう言った明睡へと視線を向ける。


 現在、八名中三名が王都を、残りが王都近郊の街の捜索へと出向いている。


 王都内に潜伏している可能性と外に出てしまっている可能性は五分五分。いや、もしかしたら王都内に居る可能性は更に低いかも知れないが--。


 ただ前提条件として、果竪は、王都に不慣れだ。


 明睡達と違い、果竪は王宮の奥深く--『後宮内の最奥』に居る事が多く、あの一件以来は殆どそこから出てきていない。


 だから、不慣れな場所で王都の外に出るとなると、それなりに時間がかかる筈だ。そして、王都の門は時間になれば閉まる。

 しかも、門は一昨日の夕方から昨日の夕方にかけて、とある事情から閉まって開かなかった。

 そして現在は、厳重なチェック体制が敷かれている。


 果竪が居なくなってからはそれ程日が経ってないだろうし、タイミングを逃していれば--。


 だから、それらを考慮すれば、王都内に居る可能性も低いとは言えないのだ。


 むしろ、王都に捜索を重点的にした方が良いという上層部も多かった。ただ、それでもと明睡は思う。


 万が一、王都から出てしまっていたら。


 だから、捜索に出た上層部の大半を外へと出したのだ。


「本当なら朱詩、お前も向こうにやるつもりだったんだが」

「外組に? でもそうなると、こっちが手薄になるじゃん。大丈夫、あらかた探し回って居なければ即外に出るから」


 美しく--けれど何処か少年らしい笑みを浮かべる朱詩に、隣を疾走する明睡は小さく笑った。


「確かにな。その時には、あいつも一緒に連れて行け」

「え~~、この広い王都を明睡が一神で担当するの?」

「この俺を誰だと思ってる」

「勿論、冷酷非道で冷徹残忍なうちの宰相様です」

「ふん--まあ、とにかく今は一刻も早く果竪を見つける事だ」

「だね--ねぇ、もし本当に萩波との夫婦生活が耐えられなくて--って事ならどうする?」

「性欲減退の食材って何があった?」


 王の大事な仕事の一つに、世継ぎを残すというものがある。それは、いわゆる血筋的なものと言うよりは、この世界の安定の為に、少しでも強い力を持つ者を生み出すという目的の為だ。


 なのに、逆の事をしようとする自分達。


「果竪の身体の方が大事だよね!」

「むしろ果竪があれだけ未熟な身体なのは、青いうちに果実をもぎ取ったからだと思うのは俺だけか?」


 明睡の呟きに、朱詩、そして彼らから少し離れた場所を疾走しつつそれをしっかりと聞いていたもう一神の上層部も、それを否定する言葉を紡ぐ事は出来なかった。




 玉環は信じられないでいた。

 いや、夢を見ているようだった。


 死んだと思っていた果桜がそこに居るのだ。


 思わず叫び出さなかった事が奇跡のようだった。


「玉環さん」

「っ--」


 しかも、話した。


 これは亡霊ではないだろうか?


 むしろ果桜はやっぱり死んでいて、その怨みでここに来たのではないだろうか--。

 憎い玉環に復讐する為に。


 玉環は果桜を見つめた。


 そして口を開くまで、それ程長い時は経っていなかったが、玉環にとっては。


「待ってて」

「え?」

「分かってる。私が憎いよね? でも、貴方の手を汚させたりはしない。だって、そうなったら貴方は堕ちてしまうもの」


 地獄に--。


「苦しんだよね。恐かったよね。だから、もう痛い思いなんてしなくて良いの」


 玉環は、自分の衣の帯を外した。


「え? 玉環?」

「大丈夫。貴方は何もしなくていい。全部良い様になるから」


 そう言って、その帯を自分の首に巻き付ける。

 その両端を手に持ち。


「絶対に、力なんて抜かないから」


 一気に引っ張る。


 果竪は玉環の手を素速く打った。


「っ!」

「はい、もうダメ。アウト」


 果竪はそう言うと、玉環の首に巻かれた帯を素速く抜き去った。


「待っ--」

「この程度で死ねるなんて思わないで」


 果竪の厳しい声音に、玉環はビクリと身体を震わせる。向けられる眼差しは、それ以上に凍えていた。冷たい瞳が、玉環を射貫く。


「本能は強いの。神は生きることに貪欲。どんな事をしたって生きようとする--それが本能。誰だって死にたくない。だから、どうしても躊躇する。躊躇う。全てを諦めて首をつったとしても、その苦しさに、首を締め付ける縄から逃れようと首をひっかくの。血塗れになりながら、足をばたつかせながら。例え絶対に助からないと分かっていても」

「果、桜」

「だから、この程度でなんて死ねない。自分の首を自分で締め上げたって、苦しくなれば手を離すの。確実に死にたいなら、自分の頭を吹き飛ばすか、首をかききるか、それか……致死量の毒を飲むか。でも、きっとどれも苦しくて仕方ないわ。あと、自殺は罪深いって知ってる?」

「果桜……」


 果桜の顔が、玉環の間近に迫る。


「でも、それでもどうしようもなくて、本当に辛くて悲しくて、苦しくて、どうにもならなくなって死ぬ神達は居るわ。けど、その神達だって生きたかった。生きて幸せになりたかった。そして彼らを思う神達は彼らが生きてくれる事を望んだ。ねぇ? 貴方は何の為に死のうとしたの?」

「わ、私、は」

「私を利用しないで」

「っ--」


 見透かされた--そんな風に、玉環は思ってしまった。


「私を貴方の死の理由にしないで。私の為に? なら、私の為に死んだ貴方を私が殺した事になるわね? 私に神を殺させておいて、私が幸せになれると思うの?」

「っ……」

「思うの? 私が貴方の死を喜ぶと。そんな最低な奴だって」

「そんな事っ!」

「じゃあ、どうして私の為に死ぬの? 私がそういう奴だって思ったからでしょう?」

「違う! 私は、だって、私のせいで、果桜がっ」


 叫ぶ玉環の耳元で果竪は囁く。


「そうね。貴方のおかげで私は死なないですんだわ。そうね、貴方の事が心残りだから、私、意地でも死んでやるもんかって思った」

「か……果桜」


 目を瞑り、顔を背けていた玉環が思わずといった様子で果竪を見つめた。


「あのままだったら確実に死んでいた。でもね、貴方の事をそのままにはしておけないって思ったら、不思議と力が湧いてきたわ。そして、何とか帰ってきたの」

「果桜……」

「って事は、貴方は命の恩神だね」


 そこで柔らかく笑う果桜に、玉環の目から涙がボロボロと零れていく。

 違う、違う。


「違う、私、は」


 私の、せいなのだ。

 全て--。


「私、は……」

「玉環」

「私……」

「よく聞いて、玉環」

「っ……」

「もし玉環が死んだら私、冥府にまで行かなければならない」


 冥府?


「だって、追いかけなきゃならないでしょう? 『何してるのっ!』って。これでも私、凄くしつこいから」

「果桜」

「それに……私は玉環に死んで欲しくない、絶対に。--あとさ、そういう風に玉環に言ってくれる神、他には居ない? 一神も?」


 その言葉に、玉環は目を見開く。

 玉環にとって大切な、彼女達の顔が脳裏に浮かんだ。

 そう……そうだ。

 果桜が来るまでも此処で死にたいと玉環は願った。でも、それでもそれを選択する事は出来なかった。


 だって、彼女達の為には、それを選んではならないと分かっていたから。



 だと言うのに--。



 いや、彼等だけではない。

 玉環は、果桜までもを傷つけようとしていたのだ。


 玉環は深く自分を恥じる。そして申し訳なさに消えてしまいたいとさえ思った。


「あと、私を実際にボコボコにしたのは、あの蛇男よ」

「っ……あ」


 そう--果桜の言うとおり、あの男だ。でも、彼がそうしたのは、玉環が逃げ出して、その玉環を捕らえるため--。


「あのね、紳士的で優しい神だったら、きちんと事実関係を確認した上であんな風にはしないよ」

「え?」

「本当に私が貴方をたぶらかして逃げたのかをしっかりと調査すると思うし、そもそもあんな風に強引に玉環を連れていったりなんてしない」

「で、でも」

「確かにあの男が来たのは、玉環が此処まで来たからだけどね」


 果竪はしっかりと玉環の目を見て言った。


「玉環と一緒に行くと決めたのは私なの。私の意思。だから、いいの。私は自分でその道を選んだ。だから、その結果がどうなろうと、私はそれを受け入れる。それとも、私は自分の責任ぐらい自分で取れないお子様だと思ってる?」

「……思ってない」

「なら、いいわ。それより玉環」

「果桜?」


 そこでようやく、果竪は微笑んだ。


「良かった……痛い事とかはされてないみたいで」

「果……桜」

「絶対にあの蛇男はSだと思ったから。あ、でも心の傷は見えないよね。酷い事、言われてない?」

「……果桜……ごめん、ごめんねっ」

「泣かなくて良いの。ただ、玉環に伝えたくて」

「え?」


 果竪は玉環を安心させる様に抱き締めると、しっかりとした声で言った。


「あのね、色々と不安だと思う。でも、凪国の国王陛下はとても優しい方だから」

「……果桜?」

「優しくて紳士的で、有能かつ優秀で、大国を治める王としてのカリスマ性と能力、手腕にも溢れていて、多くの者達に身分差、地位と関係なく慕われていて……それに、凪国上層部のみんなも優しいわ。だから」


 大丈夫だと言おうとした。

 けれど、玉環にギュッと抱き締め返されて、果竪は言葉を止めた。


「そんな事、分かってる」

「玉環?」

「彼らを、助けてくれたんだもの。あの、地獄の様な環境に居た、みんなを」


 だから、玉環にとっては、この凪国は無条件で--。


「でも、だからこそ、私は行ってはならないの。お会いしてはダメなのよ」


 何かに耐える様な、悲痛な面持ちの玉環に、今度は果竪が呆然とする番だった。


「どうして?」

「……」

「言えない?」

「……一つだけ。私が凪国国王陛下に出会い、『後宮』に入ったら……凪国に再び災いをもたらす。そして、彼らはまた、地獄に落される」


 その時、果竪の中に閃きが生まれた。


 彼らが誰を指しているのかが、果竪には唐突に理解出来た。


 どうして?


 それを聞こうとしたけれど、言葉が出ない。


 代わりに、果竪の口から出た言葉は。


「なら、その地獄と災いを回避する方法は?」

「そ、それは、私が、『後宮』に入らなければ……いえ、王都に足を踏み入れなければ」


 でも、そんな事は出来ない。

 周囲は何が何でも、玉環を王都に、王宮に、そして王の元へと送り届けるだろう。


「だから逃げたの。でも、分かり切ってた。最初から逃げ切れる筈が無いんだって」

「……」

「逃げたとしても、追いかけられて捕まえられる。それに、私みたいな世間知らずがずっと彼らの手から逃げられるわけがないの」


 それに、逃げ込める所も無いだろう。

 唯一、玉環の周囲が手出し出来ない場所は近場では凪国王宮だけれど、王の庇護下に入る事がそもそもアウトだと言っているのだ。


 他に玉環をかくまってくれる様な場所は無いし、祖国は更にアウトだろう。


 それこそ、凪国以外で絶対的に玉環を守ってくれる様な所は。


「……ある」


 果竪は、小さな声で呟いた。


 凪国王宮でも、祖国でもなく。


 となれば、他国という話になるが、それこそ国際レベルに発展する様な事にわざわざ首を突っ込んだりはしないだろう。それも、煉国というある意味炎水界では悪名高い国の、それも王女様の事だ。


 王女は被害者という認識が強いが、それでも彼女の祖国の厄介さを考えれば、好き好んで迎え入れたりはしない。


 それに、他国に逃れても、引き渡し請求がくれば、やはりそこも安住の地ではないだろう。


 絶対的な場所が必要だ。

 安全に過ごせる場所。


「一つ、安全な場所があるわ」

「……え?」

「でも、そこに行くには、まずこの国から出なきゃならない」


 だって、唯一のその場所に行ける港は--王都の北部の港街にある。けれど、唯一行ける場所という事で、その港街は厳重な警備が敷かれている。


 それに、その場所に行く直通経路は、あの山脈を越えていかなければならない。しかし、それは確実に無理だ。一神ならまだしも、玉環が居る。


 その山をお姫様に登らせる事自体が難しいし、それ以上に厄介な問題があった。その山脈には、数多くの魔獣が存在しているという。危険な種類、強力な種類も居る。山を登り切る前に、魔獣の餌になる方が早いだろう。


 また、その山を越えない方法もあるが、それだとかなり遠回りだ。

 ならば、このまま進もうとしていた方向に進むのが一番良い。

 果竪の進もうとしていた方向には山脈と呼ばれるほどの高い山は無く、魔獣の数は少なくないとしても、北や東に比べて比較的安全とされていた。

 南はダメだ。

 南に抜けて海に辿り着いても、唯一の安全地帯である海には繋がっていないし、そこから別の国に逃げたとすれば、幾つもの国を経由しなければならない。

 捕まる確率が高くなる。


「危険で苦しい旅になる。それでも、選ぶ?」

「……」

「私はどちらでも良い」

「……私、は」


 玉環は果竪を睨み付けた。


「そんなの、今更だわ」

「--そうだね。旅慣れていない玉環にとっては、ここに来るまでも大変だったよね」

「っ--」


 顔を赤らめる玉環に、果竪はクスリと笑う。


「私も最初はそうだった。ううん、玉環よりずっと酷かった。だから、仕方ないよ」

「果桜……」

「玉環は、守りたいものがあるんだね」

「……」


 玉環は小さく頷いた。


「……そうよ、あるわ。だって、彼らはもう幸せになって良いじゃない。幸せに、平穏に。そして彼らを守る為には、凪国に災いが起きたら困るもの……凪国は、恩神だから」


 そう言うと、玉環は顔を上げた。

 果竪をまっすぐに見つめる。


「だから、私は逃げたい。逃げて、少しでもこの国に災いが起きないようにしたい」


 と、そこまでは良かったが。


「でも、私のせいで果桜が酷い目にあって、それに私みたいな世間知らずが逃げ出すなんてそもそも」

「玉環」


 果竪は玉環の額に自分の額をくっつけた。


「言ったよね? 旅は大変だって」

「う、うん」

「余計な事を考えていたら、逃げ切れないよ」

「……」

「それに、私は大丈夫。こう見えても頑丈だから」


 そう言ってパタパタと手を振る果竪に、玉環はまた泣きそうになった。


「この頑丈さで色々と潜り抜けてきたの。でも、今回こうして私が生きて帰ってこれた一番の理由は」


 玉環の両頬を両手で優しく挟み込み、果竪は微笑んだ。


「玉環のおかげ。玉環が居たからだよ」


 本当は此処に来た目的は、玉環に凪国国王がいかに優しいか、上層部が頼もしいかを伝え、何も心配する事は無いと伝える為だった。


 でも、きっとそれは難しいだろう。伝えるだけなら簡単だけど、玉環を安心させて無事に王宮まで向かわせるものにはならない。

 いや、そもそも玉環が王達の下に行くのがダメだと言うからには、むしろ向かって貰っては困る。


 果竪は玉環の言う事が真実だと思った。いや、分かったというのが正しい。


 凪国に災いが。

 彼らに地獄が。


 ならば、それが降りかかると言うのなら、それを阻止して見せる。


 それは果竪が元王妃だからとかそういうのが理由では無い。


 それが遠くの出来事ならまだしも、今目の前に何とか出来る可能性が転がっているのだ。何とかすれば、凪国も、彼等も、そして玉環も平穏に暮らせる可能性がある。


 いや、玉環の場合は果たしてどうなるかはまだ分からない部分も多いが。


 それでも、このまま誰もが不幸になるかもしれないという未来を思えば、それを遠ざける努力をする。


 そう--玉環が安心出来る場所へと向かい、そして災いと地獄を遠ざける。


 玉環の願いだけでは無い。

 それは果竪の願いでもある。


「……ごめん、なさい」

「何が?」

「巻き込んで」

「いいの。私が自分で決めたの。もし本当に嫌だったら、とっくの昔に見捨てて逃げていたから」


 選んだのは果竪だ。

 だから、玉環が嘆き悲しむ事は何も無いのだ。


「改めて宜しく」

「……うん」

「お別れは済みましたか?」


 扉が勢いよく開き、バタバタと男達が入ってくる。

 素速く玉環を庇う果竪の瞳に、あの男の姿が映り込んだ。


 一番最後に、優雅に室内に入ってきた男。


「蛇男--」


 その小さな呟きに、果竪達に一番近い二、三神の男達が必死に吹き出すのを堪えていたことを果竪は知らない。

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