表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

後編

 身体の傷が治れば、こっちのものだ。

 物心ついた頃にはもう野山をかけずり回っていたし、萩波の軍に拾われてからは、山や森、荒野に一神置き去りにされたり、はぐれたりしていた。

 だから、この程度の森は、目を瞑っていても--。


「きゃっ!」


 調子に乗ったら、思い切りぬかるみに足を取られてスッ転んだ。


「むぎゅっ」


 そのまま、何かふよんとした柔らかいものに顔を突っ込んだ。なんだろう?この、豊満な胸に顔を突っ込んだかの様な感触は。


「ん?」


 目を開けた果竪の目に、それは映り込んだ。


 暗くて見えにくい所もあるが、何やら見覚えのあるもの。

 果竪はそれを突いた。


「……こ、これはっ」


 それをむしり取る。


「豊乳草の実っ」


 無色透明のそれは、少し粘着力がある。しかし、その触り心地は、女性の豊満な乳房の様に柔らかく、けれど弾力と張りがあって--。


 そう、豊乳草の実とされるそれは、果竪の手よりも大きな丸い実だった。因みに、この実は食用としても使われており、何でも乳が出やすくなるものだとかで、古来より漢方の一種として使われてきた。


 が、その感触から別の使い方もされてきた。


 ふよふよふよ

 ふよふよふよ

 ふよふよ


「……」


 果竪は、その実を見つめた。

 大きさとしては、明燐よりは劣るが……。



 その時だった。



 草をかき分ける音。

 遠くから何かが近づく気配を感じる。


 まさか、斜面から落した後にトドメを刺しに来た


「果竪~」

「おい、どこに居るんだ! 返事しろっ」



 なんか来たあぁぁぁぁぁっ!



 雨の中でも思い切り聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 慌てた果竪は、何処かに隠れようかと考える。しかし、この声の大きさではそう離れては居ないだろう。


「ど、どどどどどうしようっ」


 ってか、何?

 まさか、ここら辺で仕事があって?

 偶然?


 いや、でも果竪の名前を呼んで--明らかに探してる?



「な、なななななんで探し--はっ!」


 もしや、醜聞になるから今のうちに殺っちまおう!!とかいうものか?!


 果竪は思いの外、疲れていたらしい。というか、混乱している部分があったようだ。


「ふっ……私の神生、短かったな……」


 絶対に見つかる。

 しかも声の一神は、匂いで分かる相手だ。

 うん、絶対に見つかる。


 いや--ちょっと待て。


 確かに匂いで分かるかもしれない。

 しかし、それ以上に強い匂いがあれば、見つからないかもしれない。


 例えば、香水の匂いなんて嫌いな筈。


 果竪は、そういえばと懐を探る。

 玉環の旅支度を調えた時に、オマケで貰った香水があった。


 うん、これ使おう。


 あと--。



 果竪は自分の手に持つ二つの塊を見下ろした。





「ってかさぁ」

「ん?」

「果竪って、自分で逃げたんだよね?」

「ああ」

「呼んだら、逃げない?」

「はっ! 馬鹿だなお前。逃げ出すのを考慮してやってんだよ。逃げようとして動けば、どうしたって動きが大きくなる」

「隠密とか」

「果竪が隠密行動取れると思うか?」


 それは余りにも果竪を馬鹿にしてないだろうか?と思った。


「オルフェ、性格悪い」

「五月蠅いな、カイム」


 犬歯を光らせて笑うカイムに、オルフェは舌打ちした。


 彼らは、かなり果竪に近づいていた。例え日が暮れた森の中だろうと、彼らを阻む者は無い。


「でも、隠密行動が取れたらまずいよね?」

「だから、そういうのが出来ない様にしてたんだろ?」


 凪国上層部は、徹底して果竪を鍛えようとはしなかった。

 まるで、敢てそうする様に。


「お前も、俺も、その一員だろう?」

「……だよね」


 果竪が強くなる事を望まない。

 そう……果竪は強くならなくて良いのだ。


 その心に見合う強さを手に入れたなら、きっと果竪は--。


「ん?」


 オルフェは、前方に神影を見つけた。


「あれは」


 オルフェは気配を隠して、相手に近づく。

 そして相手がこちらに背を向けたまま、その肩に手をかけた。


「おい」

「ひっ!」


 カイムは思った。

 そういう時は、少し前から声を掛けた方が良いと思う。

 カイムもたいがい常識外れだが、オルフェはそれ以上だ。



 果竪は、肩に手を掛けられた時点で覚悟した。やっぱり、予想した通りだ。

 しかし、ここでシクってはならない。


「だ、誰--」


 くぐもった声で言う。

 外套が剝がされなくて良かった。

 顔の部分を覆い隠す状態で、振り返る。


 その時、果竪は最大の演技をした。


 果竪は明燐達をよく見ていた。

 凪国上層部の女性陣の胸は豊かな者達が多い、というか殆どだ。そして彼女達は、自分達の胸がいかに男性達にとって垂涎物であるかを知り尽くしており、またどの様に動かせばその魅力がより引き立つかを心得ている。


 果竪には全てを理解する事は出来なかったけれど、それでも果竪はそれを真似してみた。


 果竪の胸につけた、豊乳草の実がふよんと服の中で揺れる。


 一応、Dカップはあると思う、この実の大きさ。


「……すまん、知っている奴かと思って」

「……」

「オルフェ?」

「神違いだった」

「……そう?」


 カイムの方は、まだこちらを窺っている。しかし、オルフェはパタパタと手を横に振った。


「そうだって。そもそも、果竪に胸は無いからな」

「ああ、Dカップぐらいあるね、その子」

「だろ? 果竪に山は無い」

「そうだね、胸が膨らんでいるなんて果竪じゃないね、絶対」


 こいつら、どうしてくれよう--。


 そこに鈍器があったなら、果竪は間違いなくこの二神を殴り飛ばしていただろう。いや、そこに転がっている石でも良い。全力で殴ってやりたい。


「すまん、この近くの村の者か?」


 果竪はコクンと頷いた。


「暗いし雨も降っているが、帰れるか?」


 果竪は頷いた。


「そうか。いや、俺達も探している奴が居るんだけど……あれだったら村まで送っていくが」


 果竪はぶんぶんと首を横に振った。


「--分かった。まあ、暗いし雨も降ってるし、気をつけろよ。もう転んだみたいだし」


 果竪は自分の外套についている泥に気付いた。

 相変わらず、目敏い男である。


 ペコリと頭を下げ、果竪はその場を後にしようと歩き出した。


「ああ、一つ」

「……」

「少女を見なかったか?」

「……」


 オルフェは果竪の特徴を言う。

 そして最後に。


「胸が真っ平らなんだ」

「オルフェ、なんかその子怒ってる」

「え? あ、もしや姉妹に貧乳が居るのか? すまん、でも果竪に比べたらきっとあ」


 果竪はオルフェの足を踏んづけた。


「痛っ!」

「今のはオルフェが悪い」


 果竪は頬を膨らませながら、その場を走り去っていった。


「そんなに怒るところか?」

「女の子にとって、胸の大きさは重要なんだよ」

「そうか? 明燐達なんて、胸が大きくたって良い事は無いって言ってたぞ? 肩凝るだけだって」

「明燐達は特別なんだよ」


 確かに、あの美しい胸の数々はそれだけで国宝級--いや、世界の宝だろう。別に、自分には欲しくないが。うん、自分にはいらない。


「で、オルフェ」

「ん?」

「なんでそっちに行くのさ?」

「……」


 歩き出したオルフェの向かおうとする方向を聞くカイムに、彼は背を向けたまま笑った。


「そんなの、決まってるだろう?」

「だよね」


 オルフェの背に向けて、カイムもまた笑った。




「あいつら……」


 果竪は怒っていた。


 誰が、山は無いだ。

 いや、彼らは前々から言っていた。いや、彼らだけではない。凪国上層部全員が。


 平坦。

 平地。

 何処までも続く荒れ地。


 むしろ、コントクリート塗装された道路。


「泣かすっ」


 もうそんな機会はないとは思うが、もし次回があったら絶対に泣かす。誰が、平地だ、平坦だ、どこまでも続く見晴らしの良い荒れ地だ。


「いや、今はそんな場合じゃなかった」


 とにかく、今は荷物を取り返さないと。あと、玉環に会いに行かなければ。


 果竪は雨を物ともせず、道を進む。既に暗い森の中を、彼女は迷うことなく進んでいく。そうして、あの兵士達があれだけ迷った道を彼女は難なく踏破し、村まで戻って来た。




「おい、これどうする?」

「報酬の一部だって言われてもなぁ」

「金と金目のものは良いとして、服とか--ああ、売り飛ばせばいいか」


 居たな、あの三馬鹿。

 しかも、良い具合に彼らは果竪と、そして玉環に買い与えた荷物を持っていた。


 村外れで彼らを見つけた果竪は、にっこりと笑った。


「ん?」

「返して」


 果竪は闇に紛れて男達に近づく。

 大戦時代はまだ身近にあり、そこで様々なサバイバル経験をさせられた果竪にとって、この男達の隙を突くことはある意味簡単だった。

 時として、職業軍神、夜盗、山賊、野生の獣を相手にしなければならない時だってあった。それに比べれば、何のその。


「へっ?」


 果竪は男達を気絶させると、自分の荷物、そして玉環の荷物を取り返した。そして、しっかりと旅費と金目の物も取り返す。

 というか、それ以外に報酬として金品を貰っていたのに、なんと強欲な奴らだろうか。

 果竪は、自分の分以外の金品の入った袋を拾い上げる。けれど、すぐに興味を無くして男達へと放り投げた。


 ぐえっ!と悲鳴が聞こえたが、気にしない。


 また、この先何があるか分からないので金品は多い方が良いが、男達の分まで奪おうとは思わなかった。

 そんな事をすれば、この男達と同じレベルにまで下がってしまうし、暴力で他神の物を奪えばそれは盗賊の部類になってしまう。

 それこそ、元王妃としては完全なスキャンダル--醜聞だ。


 地の果てまで追いかけて抹殺されるだろう--凪国上層部に。


「さてと……」


 物陰に隠れて、荷物をチェックする。無くなっている物は無い。

 本当なら、ここらでさっさとこの村から逃げ出せば良いのだが……。


「……玉環に会いに行かないと」


 そして、きちんと伝えなければ。


 果竪は村の中心に向かって歩き出した。





 玉環は絶望していた。

 自分のせいで、果桜が死んでしまった。

 そう--死んでしまった。


 生きている筈が無い。


 遺体を見せられたわけでもない。

 でも、森の魔獣の餌にされたなら、絶対に生きている筈が無いのだ。


「ごめん…・ごめんなさい、果桜」


 自分が巻き込んでしまった。


 そう--自分は果桜を巻き込むべきではなかったのだ。

 あの時、あの場所で別れてしまうべきだったのだ。


 そうすれば、果桜は死ななかった。あんな酷い目に遭わされなかった。



 玉環を捕らえに来た者達に酷い暴行を受けていた果桜の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。

 果桜はそんな目に遭わされる子では無かった。

 全ては、玉環のせいなのだ。

 玉環の我が儘のせいで、果桜はあんな目に遭わされて、そして--死んでしまった。



「ごめん、なさい……」



 もう謝ったってどうにもならない。

 そう……失われたものはもう戻らないのだ。



 逃げ出さなければ良かったのかもしれない。



 玉環が逃げ出して、たまたまそれが上手くいって、そして果桜は玉環に出会ってしまった。もし玉環が逃げ出さないで大神しくしていれば、果桜は自分に会う事なく平穏に今も生きていられただろう。


 とんだ疫病神である。


 でも--。


「果桜、果桜……」


 玉環は逃げ出さなければならなかった。

 凪国王宮に行ってはダメだ。

 凪国国王と会い、『後宮』に治められては。


 だって、そんな事をすれば。


 だって、あいつらは玉環を使って--。



 彼らは、ようやく、平穏と幸せを手に入れられたと言うのに--。



 玉環は無力な自分を憎んだ。哀れむのではなく、憎んだ。


 玉環が無力だから、利用された。

 玉環が無力だから、逃げ切れなかった。

 玉環が無力だから、果桜を酷い目に遭わせて死なせてしまった。


 玉環が無力だから、凪国に迷惑をかけ。



 そして彼らと彼らの愛するものを--。



「私は……守りたかった、だけ、なのに」



 何も出来なかった。

 玉環は何も出来なかった。


 彼らを助け出し、今も守ってくれているのは、凪国だ。

 なのに、玉環はそんな彼らの平穏と幸せすら壊そうとしている。


 玉環が凪国『後宮』に行けば、彼らに再び魔手が伸びる。


 ダメだ、ダメだ--。



 彼らも、彼らの愛する者達も。

 そして凪国にも、迷惑はかけられない。



 きっと、周囲は言うだろう。



 そんな縁もゆかりもない他神の為にどうしてそんな--と。



 けれど、彼らは知らないだろう。



 彼らの絶望と恐怖、怨嗟と屈辱、そして果てしない恥辱。

 地獄そのものだった日々の記憶を。




 玉環が彼らの前に姿を見せる前から知り、そして幽閉されていた時もずっとずっと。




「……死んでしまいたい」



 玉環はポツリと呟いた。


 けれど、すぐに笑う。



 それは出来ない。

 玉環にも数少ないが居た。

 彼女を守ってくれた者達が。


 彼女達の為にも、玉環は死んではならない。



 今回、玉環が逃げた事で彼女達の立ち位置は悪くなるかもしれないが、奴らが彼女達を直接害する事は出来ない。

 だって、彼女達は……。



「ふふ……そう、誰も彼女達には何も出来ない。それに……私はもう」



 玉環は、自分の足に付けられている足枷を見る。美しい装飾のそれだが、細い鎖は頑丈で、部屋の中央にある寝台の足へと繋がっている。

 寝台は重たく、玉環の力では動かせない。


 それに、足枷をどうにか出来た所で、部屋の外には見張りが居る。


「…・私の存在が、みんなを不幸にする」


 玉環が項垂れ、再び泣きじゃくり始めた時だった。


 部屋の窓が開く。



「へ?」



 窓は鉄格子こそついていないが、外側から木の板でしっかりと塞がれていた。にも関わらず、開け放たれた窓からは風が吹き込み、玉環の良く知る相手が顔を見せていた。


「玉環、見つけた」


 とりあえず、ここは三階の高さがあるとか、魔獣の餌になったのではないかとか、こんな暗い中森からどうやってとか、見張りはとか聞きたかった。

 けれど、玉環は何も言えなかった。


 ただただ、部屋の中に「よっこらしょ」と入ってくる果桜を声も出ないまま見つめるしか無かった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ